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もう宇治市には戻れない

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おれは京都府南部にある宇治市の中だけで三回引越しをしてるんだけど、先日ドライブがてらなんとなく昔住んでた家とその付近を見回ってきたのな。

一代目の家はいくらか修繕された跡はあったが、ほぼ当時そのままの造りで別の家族が住んでいた。じつに道の狭い住宅街で車も通りにくかった。

住んでいた頃はあまりそんなことを感じなかったけれども、当然のことながら身体が大きくなると世界は縮んでしまう。

向かいの家が人懐っこい老犬を屋外で飼っており、親父と一緒に可愛がっていた覚えがある。

ウチの親父は若干頭がおかしいので、たまたま早起きしたときは小学生だったおれとその老犬を連れて、飼い主に無断で散歩に行ったりしていた。

散歩から戻ると飼い主のじいさんが(ウチの犬どっか逃げてまいよった…)みたいな顔で途方に暮れていたが、親父は「ゴメンゴメン、犬が出かけたそうな顔しとったから」みたいなノリで、大して悪びれてもいなかった。

二代目の家も大きくリフォームされて別人が住んでいた。この家は親父が個人塾を始めようとして建てた物件だったのだが、やがて経営不振に陥り人手に渡った。

塾用の物件だったため、外から二階の教室に直行できる階段があったりと、普通に住むにはたいへん使い勝手の悪いものであった。

隣にはボロアパートとプロテスタント系の教会があって、そこを司る牧師の娘はたいへん清楚な美少女だったことを朧げながら覚えている。

あのときの美少女が今や中年女性とはにわかに信じがたい。思い出の中の美少女はいつまでも歳を取らないような感覚を抱いているのはきっとおれだけではないはずだ。

また、ボロアパートの裏には線路が通っていて、とくに仕切りも無かったので歩いて越えることができた。

ところが、近所の徘徊老人が早朝に線路を渡って列車に跳ねられひき肉になる事件があってから、フェンスが設置されたらしい。

幽霊らしきものまで時折現れた三代目の家は、ボロ過ぎたため我々一家が宇治市外に引っ越したあとで取り壊され、駐車場になっていた。

また、おれが通っていた中学の近くには上下水道もマトモに通ってない朝鮮人部落があったのだが、こちらも重機が入って更地となっていた。

宇治市民ならすぐにピンとくるたいへんややこしい土地であったはずなのだが、最近はめっきり人も住まなくなっていたようだ。

戦後から揉め続けていた宇治の火薬庫も、ブルドーザーで均してしまえば単なる駅前の住宅用地である。

今年の夏はしつこいが、いくぶん日の落ちるのも早くなって、夜はぐっと涼しくなった気がする。

例年においてはだいたいこの時期に台風のひとつやふたつがやってきて、暑気を巻き込んで北上し、そのあとに秋風が流れ込んで季節を進めているはずだ。

ところが、今年の台風はなかなか本州を直撃しないため夏が土俵際で踏ん張り、俵を割ってくれない感じなのだろう。

夏が去ったら去ったで「やっとマシな気候になってくれた」という気持ちと、なんとなくさみしい気持ちが入り混じるのだろう。

宇治に住んでいたときもそんな想いを毎年のように抱いていたはずだ。幼少期から思春期の思い出はどういうわけだか夏がいちばん色濃く残っている。

昔住んでいた街の変わっていることと、変わっていないことを確認したのちに帰路へと就いた。ずいぶん遠いところに移り住んだつもりだったが、車を飛ばせば間もなく今の住処に辿り着いてしまう。

それこそおれの成長の証なのだが、あの箱庭のようだった街には本当の意味で戻れないこともまた理解できる歳になった。

先の老犬について、もう少し付け加えておきたい。

どこにでもいる雑種だったが美しい黄金色の毛並を持っており、与えられたものはなんでも喰う人懐っこい犬だった。雌なのに何故か「ジョン」という男性名を与えられていた。

おれが学校帰りに「ジョン、ジョン!」と呼ぶと、犬小屋から嬉しそうに駆け出してくる愛想の良さがあった。

今となっては彼女もその飼い主もとっくに亡くなっており、その住処の跡は雑草が伸び放題で、誰かが手入れをしているような様子はまるでなかった。きっと、今後もしばらくはあのままなのだろう。

(了)


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