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ネオアンチフェミニズム(反フェミの分類と指針)

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これは主にツイッターアンチフェミニストの分類、及び個人最適をフェミニズムに対する反論を交えながら考察するノートである。

タイトルにある「ネオアンチフェミニズム」とは広義には「現代のフェミニズム全盛社会に順応した(隠れ)アンチフェミニズム」という意味の筆者による造語だが、それを詳しく解説するための前提として、まずアンチフェミニストの分類について記していく。

◆アンチフェミニストの分類

一口にアンチフェミと言っても幅広いが、その定義や沿革などはウィキペディアなどを参照してもらうとして、ここでは主にツイッターアンチフェミ界隈からの考察を述べたい。

まずは、アンチフェミと総称されるからには、いくつかの理念、思想を共有していることになる。

例えば、この辺りの主張についてはアンチフェミ界隈では殆ど賛否の分かれないところだ。 フェミニズムの矛盾や齟齬、盲点などを指摘して反発していくという点では、ほぼ共通していると言っていいだろう。

しかし、それらの主張に基づく結論や生き様に於いては、各人かなりの差異が見られる。以上踏まえて、種々のアンチフェミニストたちを分類していこう。

1.実際に対面する女性への態度による分類

①PUA型

PUAというのはピックアップアーティスト(Pick Up Artist)の頭文字を取ったものであり、和訳するならばナンパ師、ヤリチンなどが適当であろうか。

ナンパ師の考え方、メソッドなどには男尊女卑的、女性嫌悪的なところがあり、ミソジニストやアンチフェミニストとは親和的な部分がある。

女性とはセックスしたいが、女性の精神的性質は基本的に嫌っているし軽蔑している。女性のワガママな部分やフェミニズム的な部分は特に嫌悪するため、それをナンパメソッドにより回避することでセックスを狙うのが、PUA型アンチフェミの基本的姿勢である。

以下において、PUAとアンチフェミニズムの親和性について、より具体的に列挙する。

・エイジズム、ルッキズム批判に対する反論

フェミニストによるエイジズム批判、ルッキズム批判というものがある。平たく言うと「女性を年齢や見た目で判断するのは悪である」とする主張である。これはフェミニストのみならず、非フェミ女性も時折口にすることだ。

そして、PUAは「女性を年齢や見た目で判断する」最たる者である。短期的かつ多くの女性とのセックスを最も求めており、女性の精神性は嫌悪しているのだから、外見的な要素を最重視するのは当然と言える。

すると、必然的にフェミニスト等からの批判対象になる訳だが、それに対する反論として「女も男を外見や収入などの指標で選別しているではないか。なのに男が女を年齢や外見で選別してはいけない理由などない」というものが考えられる。そして、この反論はもちろん反フェミ的でもある。

・ヤリ捨て批判に対する反論

女性側からの「PUAが女を取っ替え引っ換えすること」そのものに対する批判である。「特に適齢期を過ぎつつある女性の心を弄び、身体だけを貪って無責任に切り捨てる男は鬼畜にも劣る。自分の娘がそれをされた時のことを考えろ」というような苛烈な批判は、かなり倫理的で筋が通っているようにも聴こえる。

しかし、これに対しては「かつて仲を深めた男でも、自己都合により冷酷に切り捨てる女は多々存在する。そのような拒否権は女だけの特権ではない」という反論が成立する。無論こちらも反フェミと共有可能である。

ここまでがPUAと反フェミの親和的事例であるが、非親和的な部分もないわけでははない。 即ち、アンチフェミニズムを内包するPUAであったとしても、フェミニストを含む女性に対して利益提供するところはあるからだ。

・PUAとアンチフェミの非親和性

国内PUAの代表格と言える恋愛工学徒の台詞として「東京は我々の無料のソープランドのようなもの」という意味のものが有るが、それは誇張だと思われる。 いくら達者なPUAと言えども、女性にご馳走したり、エスコートしたり、機嫌をとったり、その他諸々の便宜を図ることはあるからだ。

アンチフェミは基本的に「女性は差別されており、被害者であるため、男性の協力を含む社会救済を行うことにより男女平等が達成される」というフェミニストの言い分に批判的である。

例えば、男女の幸福度は女性のほうが高いことなどを根拠に先の言説を否定しようとするし、踏まえて社会による女性救済論も原則却下、もちろん自分たちも積極的に助力しようとはしない。

一面的に見れば、先述のPUAの奢り行為などはアンチフェミとしては言行不一致的であると言わざるを得ない。実際そのような批判も別のアンチフェミからされることもある。

しかし、包括的に捉えるならば「PUA型アンチフェミは女性たちへの便宜を、なるたけ多くの女体を貪ることで回収しようとする者たち」であると考えることも出来る。

また、ナンパ師やヤリチンとまで極端ではなくとも、女性との関わりは持ち、ある程度その要望も聞こうとしたり、交際や結婚も吝かでないとするアンチフェミは、広義のPUA型アンチフェミと定義したい。

逆説的に言うならば「女性に対して批判的なところは有れども、女性との関係性を断とうとはしない」アンチフェミはある程度の言行不一致性を回避できないことになる。

②ミグタウ(インセル)型

ミグタウとはMGTOWと表記し「我が道を行く男性(Men going their own way)」の頭文字を取ったものである。

PUAとは逆に、女性との関係性を積極的に断ち切ろうとする男性のことを表す新語だ。

女性との関係性に於ける享楽や安寧を諦める、切り捨てる代わりに、女性に対する便宜や助力の類を一切拒否する強固な姿勢を有することが多い。

ミグタウ型アンチフェミは、女性批判フェミニスト批判に於いて、PUA型アンチフェミのような言行不一致性を含まず、ある意味、筋の通った純度の高いアンチフェミニストと言えるかも知れない。

したがって、同じアンチフェミでもPUA型とは正反対に近い男性層がミグタウ型には多く含まれると考えられる。

即ち、非モテ男性、低所得男性、いわゆるKKO(キモくて金のないおっさんを示すスラング)であるとか、女性への怨恨を募らせる弱者男性などがその主力を占めることとなり、女性との断裂はPUA型とは比べ物にならぬ深さである。

そして、その怨恨がさらに深まって暴力性を帯びた時、ミグタウはインセルへと深化して、テロリズムに手を染める。

ミグタウは女性保護思想に傾き過ぎた社会に対する非協力、ある種のサイレントテロ行為に留まっているが、インセルは物理的なテロリズムであり実際に多数の死傷者を出す事件を起こす者たちである。

またインセルのターゲットは「チャドやステイシー」これはインセルのコミュニティにおける隠語で、付き合う相手に不自由しない、モテるイケメンや美女を意味する。ただ外見が良いというだけではなくて、学歴や経済力、社会的地位の高さも加味された概念である。

つまり同じアンチフェミであったとしても、インセル型は女だけでなくPUA型男性も殺そうとするということだ。

これはアンチフェミ内での内紛の可能性を示唆しており、フェミニストがリベラルフェミニスト、ラディカルフェミニストなどに分裂して争っていることを嗤ってばかりもいられないということである。

2.現在に於ける言動、及び将来展望からの分類

ツイッターアンチフェミニストたちが、その思想により今後どのような社会を予想し、または求めるかは似たような思想を共有していても多岐に分かれる。

①保守・回帰主義

現代の人権思想、ポリティカルコネクトレス、男女平等思想、自由恋愛、共働き制度を否定し、男性上位、家父長制、分業制を支持し「男は外で働き、女は家を守って子供を産むべき」と言ったような伝統的、かつての保守的な社会へ回帰するべきという思想である。

・フェミニズムは男性の尊厳を奪うばかりでなく、パワーカップル問題などにより格差を拡大させる。
・フェミニズムは女性の不利な面、例えば賃金などついては男女平等を求めるが、男性の不利な面(親権、自殺率、ホームレス率、小遣い制などによる支出の不平等)については無視するため、女性に対するアファーマティブアクションについて男性は協力する理由がない。反発する理由はある。
・そもそもフェミニズムは一部の女性(高学歴キャリア女性など)しか幸せにしていない。女性間格差も広げる効果があり、低賃金女性も多数生み出している。また主婦の幸福度は従業女性のそれより高い。
・男女平等思想は女性の高学歴化、晩婚化、未婚化を招くものである。フェミニズム先進国たる「北欧のイスラム化」を観ても分かる通り人口再生産能力を失い、ネイティブ出生率2.0以上を達成することが出来ない死の思想である。ネイティブ民族を増やせない思想は必ず滅びる、または人口再生産を移民などに頼ることになり、内紛を招来したのちに国を多民族に乗っ取られる未来を呼ぶことになる。

などを理由として保守回帰を求める。

自由民主主義や人権を否定し、王を戴くような伝統的な社会への回帰を主張する反動主義や、イスラム教とも親和的なところがある。そう考えるとムスリムは世界最大最強のアンチフェミニスト群とも言える。

もう少しマイルドに、昭和のベビーブーム期のような社会構成を求める場合なども、保守回帰的なアンチフェミニストと言えるだろう。

②加速主義

先述のようなフェミニズム、男女平等の欠陥を知りながら、敢えて進めようとする考え方である。欠陥がある思想はいずれ瓦解するが、まだまだ男女平等思想は強固であることを認識しているため、加速させることで崩壊を早めようとする意図を持っている。

アンチフェミニズムを内包する加速主義者は、夫婦別姓や同性婚などのリベラル言説に積極的に賛成するため、一見リベラルと区別が付かないのが特徴だ。

よって、ポリコレ全盛の現代において、アンチフェミニストでありながら、周囲の男女平等主義者からの反発を招きにくいという利点がある。

③"避"婚主義・反出生主義

結婚制度は女性優遇に傾き過ぎであるため、それを断固拒否するし、出産による人口再生産に対しても非協力的な立場である。

主婦フェミニストなどが訴える「家事育児は女性に偏りすぎており、男性の参画推進が必要である」という主張に対し「家事育児と賃労働の合計時間はほぼ同じのため、それ以上の男性負担は過重である」という反論がある。 そして、そのような女性優遇状態の結婚、出産は拒否する、女性優遇社会について協力しないという態度である。

避婚思想のアンチフェミはいくつかに分かれる。

⑴そもそも結婚できないタイプ

それはさらに二種類に分かれる。

A.結婚したくもないし、出来もしないタイプ

女性に好かれないし選ばれもしないが、それで構わないという突き抜けた避婚アンチフェミである。ミグタウ型と親和的だ。

B.本当は結婚したいけど、出来ないタイプ

結婚はしたいが女性に選ばれない敗北感、虚無感の言い訳として「現代の結婚は不幸」というアンチフェミ思想と親和的になる。必然、願望と現実の狭間で怨恨と苦悩を募らせがちである。こちらもミグタウ型・インセル型と相性が良い。

⑵結婚は出来るけど、したがらないタイプ

女性と恋愛や性交渉はしても、結婚は拒否するタイプである。必然、強者属性寄りのPUA型と親和的になる。

有名芸能人やセレブ、アスリートなどの突き抜けた強者男性が、恋人やセックスパートナーを取っ替え引っ替えしながらも独身を貫く、または著しく晩婚となる例はままあることだ。 彼らも一人だけの「妻を娶ることは損である」という利害感覚の中で生きているものと推察される。 そのような感覚を持つことは特にアンチフェミ思想に染まらずとも可能であるが、アンチフェミニズムによってさらに補強されるということである。

また、反出生主義は破滅主義と近似しており「"女尊男卑社会"などには協力しないし、その結果、自分の属する共同体が衰退しても構わないし、むしろそれを望むところがある。

上の"女尊男卑社会"を"男尊女卑社会"に読み替えると、一部のフェミニストの主張とほぼ同じになり、フェミと反フェミが反出生主義に於いて合流してしまうことはままある。 互いに忌み嫌いながら、最終的な言動は似通ってしまう場合があるのだ。

④厭世主義

「フェミニズムの蔓延により、今後の社会は悪い方向にしか進まないし、どうにもできない。なるようにしかならない」というような諦念を抱くことである。

 これが強まると、うつ状態に近いものになるし「何か言ったところでどうにもならない」という確信のもと、反フェミ的発言にも消極的になることもある。 よって、一見ではノンポリと区別がつかないこともままある。

⑤純闘争主義

フェミニズムをほぼ全否定しつつ、一切妥協の余地のない全面闘争を図る思想である。 ツイッター内においては、必然的にテキストによる論戦に留まるが、強力な物理暴力に振れた場合はインセルとなる。

当然、重犯罪であるため数は少ないが、今後起こりうる闘争激化に伴って増加する可能性はある。

⑥共存主義

一部のフェミニズム・フェミニストと協調・共闘を図る思想である。

例えば、一部のフェミニストには「表現規制反対派」も属しており「男性向けアダルト媒体、萌え媒体の規制を強めるべきではない。そのような規制強化論はいずれ女性向け媒体へも向けられることは確実であり、結果的に女性の自由から退行する」というような主張を持つ者も存在する。

これは当然「男性向け媒体への表現規制反対派」アンチフェミニストと合流可能であり、一部の論点に於いて呉越同舟状態となる。

また、フェミニストの大半の主張には反対するが、共働き推進社会や男女賃金平等などについては賛成するアンチフェミなども散見される。

要は、フェミニズムに対して是々非々の態度をやや強めに持つアンチフェミニストたちのスタンスであるが、協調を強め過ぎた場合は、外部からはフェミニストと区別が付かない場合もあるし、矛盾を包含して言論強度を下げる場合も当然考えられる。

よって、よく言えば穏健派だが、悪く言えば中途半端な立場に見えるため、アンチフェミ内部からも時折批判の対象となる。

◇◇◇

以上の六種類で、殆どのアンチフェミニストは分類出来るが、明確な区別が出来ない立場や、いくつかの思想を併せ持つハイブリッド型も存在する。

また、今後の状況に於いては以上の分類のいずれにも属さない新型アンチフェミが発生する可能性もあり得る。

◆アンチフェミニストの個人最適

「上記の分類の中でアンチフェミニスト個人がもっとも幸福を感じやすい類型はどれか?」について考える。 結論から言ってしまうと「PUA型/加速主義」アンチフェミである。

当たり前だが、一般的に男は女に好かれたほうが幸福を感じやすいし、犯罪など犯さなくて済むなら犯さないほうが良い。この時点でミグタウ型、インセル型は消去される。

その他の保守・回帰主義純闘争主義反出生主義などは現状のポリコレ社会では批判に晒されやすいし、ややラディカルに過ぎて現実性も乏しい

厭世主義などはそれ自体が絶望を帯びており、幸福には程遠い。共存主義は前述の通り、矛盾を包含し、こちらも批判されやすい。

となると、必然的に「PUA型/加速主義」アンチフェミが最適解にもっとも近い存在となる。

・ネオマッチョイズムとの対比

ホモ東氏が提唱した「ネオマッチョイズム」というものがある。大体の定義としては「表向きは男女平等を支持しながら/男は女を守るべきという保守思想を内面化する男性の考え方」のことである。

大多数の女性にとって都合の良い面を持ち合わせているため好かれやすいが、男女平等思想と男性上位思想を併せ持つため、その矛盾点がしばしば批判対象になる。

先の「PUA型/加速主義」アンチフェミの言動はネオマッチョニストと酷似しているが、先の矛盾点を加速主義などによって回避しようとしているところが異なる。これを狭義のネオアンチフェミニストと定義しておく。(広義のネオアンチフェミは冒頭に記した通りである)

以上の理由でアンチフェミニストが、思想を維持したまま幸福度を損なわないようにするならば、ネオアンチフェミを目指すべきである。

しかしながら、皆が皆それを目指したからといって当然成れるとは限らず、非モテ男層、弱者男性層は発生し、ミグタウ・インセル型アンチフェミへと収斂してしまう。 女性に好かれようとしても好かれない、幸福になろうとしてもなれない者は必ず産まれる。幸福とは相対的なものだからだ。

よって、必然的にネオアンチフェミニストは他のアンチフェミとの関係を考える必要がある。

☆ネオアンチフェミニストが他の男性に対して向けるべき態度

ここからは客観的な分類、考察の類というよりは、筆者の私見、要求である。

ネオアンチフェミニストのみならずPUA型アンチフェミは、前述の通りミグタウ・インセル型アンチフェミとの対立可能性を包含している。 これを軽減するにはPUA型アンチフェミが、ミグタウ・インセル型のみならず弱者男性の殆どに対して温情的であるべきと思われる。

恋愛強者寄りのアンチフェミが自己責任論を振り回し、弱者男性を叩くようでは男性間格差拡大を肯定するフェミニストやネオリベラリストと区別が付かなくなってしまう。 アンチフェミは基本的には保守回帰思想保持者であり、格差拡大に反発しないと矛盾を招くことになる。

よって、恋愛弱者男性に助力することはあっても対決すべきではないと考える。さもなくば、いずれミグタウ・インセルの牙はPUAに対しても向かうこととなるだろう。 アンチフェミならば格差縮小の観点を持つべきであるし、その為の「徳」を帯びるべきだと筆者は考える。

☆ネオアンチフェミニストが女性に向けるべき態度

ここからは完全に男性都合で記していく。よって一部の方、特に女性が読んだ場合、強い不快感を催す場合がある。以下の有料ゾーンはとりわけ遠慮のない言葉で綴るつもりであるため、それを踏まえた上でお読み頂きたい。

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