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てきすとのコアはにんげんのコア

活字媒体においては言うまでもなく、SNSやブログ、noteの類だって「どこまで行っても自分の鏡でしかない」と思うんだよな。

たとえば、インフルエンサーやアルファに感化されて「おれもこういう発信がしたい!やるぞ!」みたいなのってあんまり続かないイメージなんだよね。

いや模倣から始めること自体は構わないし、必要なところもあるんだけど「他人みたいになろう」という気概ではなかなか継続できない。「自分を深堀りして自分なりのコアコンテンツを発見し、書き表そう」とするスタンスが必要になってくる

十年クラスのアカウント群を観測していると、やはりどこかのタイミングにおいて、その人の生き様のコアとなるものを発信し続けるようになってしまうと感じる。法人の公式アカウントのように職務として投稿している場合などはまた別として。

それは、ビジネスだったり、趣味だったり、家事育児だったり、政治だったり、ジェンダー論だったり、宗教哲学だったり、メンタルヘルス関連だったりするわけだが、どれが良し悪しという訳ではもちろんない

ないけれども、個人の核となるものはそう簡単に変わらない、変えられないので、仮に「おれ/わたしもインフルエンサーになりたい!今日からそれを目指して情報発信してゆく!」と思い立ったところで「自分のコアから近いジャンル」について発信しないことには、なかなか継続的な成果は得られないんだろうなって思う。

ちなみにおれの場合は、仕事から趣味から競馬から宗教まで雑多のものを書き続けているわけなんだけども「その時にいちばん興味のあることについてまとめる」とか「なんとなく思いついたことを他人が読んでちゃんと分かる程度に整理するためのメモ帳」としてSNSを利用することが、いちばん性に合っている気がする。

甚だ自己満足的であったとしても、その時々の趣味や興味について書くことはテキストに熱量を持たせやすいし、アイデアを文章化しておくと頭の中がスッキリするからだ。

そのままオフラインに書いてもいいんだろうけど、他人からのフィードバックがあるほうがより刺激的であるし、思いもよらぬ外部からの意見を取り入れることによって、自身の考えが深化することも多いのだ。よって、やはりインターネッツに書き並べるほうが楽しいと感じるタチである。

おれ以外のみなさんは「自分のコアがどこにあって、それをどのように発信すべきなのだろう?」などと考えたりするのだろうか。

もちろん考えてもよいし、別に考えなくてもよい話だと思うけどね。SNSがあろうがなかろうが、どこに発信しようがしまいが、その人が自分なりの生き方をしていれば何の問題も無いわけなので。

無いわけなんだけど、おれはやっぱり「興味のコア」「生き方のコア」が色濃く顕われている他人の文章にいちばん惹かれてしまうんだよな。

そして、おれも己の人間性や情念を伝えられるようなものをしっかり書けるようになりたいとつねづね思ってはいるんだよ。

とはいえ、それがどれだけ達成できているかは、書き手自身であるおれからの目線ではよく分からないことなので、賢明なる皆さんの判断に委ねておきたい。それではまた次回。

(了)


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