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覚書:津阪東陽とその交友Ⅲ-同郷の先輩から女弟子まで-(1)

著者 二宮俊博


はじめに

 津阪東陽の、津藩出仕以前の遊学時代すなわち安永・天明期の京都および津藩儒として出府した文化11・12年の江戸での交友については、すでに「覚書:津阪東陽とその交友Ⅰ―安永・天明期の京都―」(以下、「安永・天明期の京都」)ならびに「覚書:津阪東陽とその交友Ⅱ―文化11・12年の江戸―」(以下、「文化11・12年の江戸」)において、国立国会図書館蔵の写本『東陽先生詩文集』(以下、『東陽先生文集』を『文集』、『東陽先生詩鈔』を『詩鈔』と略記)を繙き、関係する詩文を読み解くことによって、これを具体的に見て来た。
 安永・天明期の在京時代には詩友として、小栗明卿・太田玩鷗・巌垣龍渓・清田龍川・伊藤君嶺・大江玄圃・永田観鵞・端文仲などと交際し、緇流の六如・大典それに儒者として那波魯堂・皆川淇園・頼春水・古賀精里ほかとも面識を得、詩を贈っている。一方、文化11・12年の江戸においては竹馬の友で昌平黌に学び桑名藩儒となった平井澹所との再会があり、江湖詩社の市河寛斎・柏木如亭・大窪詩仏・菊池五山はじめ通人として名高い大田南畝や市井の儒者として人気を博した亀田鵬斎それに折から江戸に来合わせた菅茶山などと顔を合わせる機会を得た。
 本稿では、そこに書き漏らした儒者・文人や画人、具体的には東陽の先輩にあたる菰野の久保三水、『東西遊記』の著で知られる久居出身の橘南谿、儒者では京洛の福井小車・猪飼敬所や尾張の岡田新川・秦滄浪それに画人として大原雲卿・岡田米山人などを補い、さらに附考として先人追慕の作として藤原惺窩の墓を展じ中江藤樹の生地を訪ねた詩などを取り上げ、東陽の『古詩大観』の校正ならびに刊行に尽力した女弟子富岡吟松に言及した。これまでと同様、東陽およびその交友に関して、従来にない新たな資料を提示紹介したわけではなく、彼の詩文を掲出して語釈を附したに過ぎず、その読みもかなり心もとないが、津坂治男氏の労作『津坂東陽伝』(桜楓社、昭和63年)や『生誕250年 津坂東陽の生涯』(竹林館、平成19年)を些かなりとも補う上で資するところがあれば幸いである。
 なお、前稿と同じく本文中に取り上げた人物の略伝や生卒年については、近藤春雄『日本漢文学大事典』(明治書院、昭和60年)、市古貞次ほか編『国書人名辞典』(岩波書店、平成3年~11年刊)や長澤規矩也監修・長澤孝三編『改訂増補漢文学者総覧』(汲古書院、平成23年)のほか、笠井助治『近世藩校における学派学統の研究』上下(吉川弘文館、昭和44年)を参照した。また各項目ごとに参考にした文献を挙げた。語釈を施す上で、岩波書店刊の『江戸詩人選集』全10巻(平成2年~5年)や『江戸漢詩選』全5巻(平成7、8年)から教えられる点が多かったことも、従前のとおりである。

同郷の先輩―久保希卿・橘南谿

 東陽と郷里の先輩・知友との交流ぶりを如実に示す文章として、「菰野山に遊ぶ記」(『文集』巻三)がある。これについては「文化11・12年の江戸」の平井澹所の項で言及し、澹所のほかに御在所岳への山行をともにした人物として、久保希卿・早川文卿・横山士煥・森子紀らの名を挙げておいたが、その略歴や生卒年等はわからずにいた。つとに津坂治男氏の『生誕250年 津坂東陽の生涯』に挙げられている四日市在住の郷土史家志水雅明氏の労作『久保三水・蘭所小伝』(四日市らいぶらりい別冊①、博文社、平成5年)を遅ればせながら手にするに及んで、菰野の在村文人との交流について多大の教示を得ることができた。そのなかから、ここでは久保希卿を取り上げる。
 なお、橘南谿は伊勢久居の人で、厳密にいえば東陽と同郷ではないが、久居は津の藤堂藩の支藩であることから、ここにあわせて記した。

 久保希卿(寛保2年[1742]~文化9年[1812])

 名は世賢、通称は幸助。希卿は字、三水と号した。伊勢菰野の人。菰野藩儒の龍崎致斎(名は泰守、字は君甫。元禄2年[1689]~宝暦10年[1760])に学び後に津藩儒の奥田三角(名は士亨、字は嘉甫。元禄16年[1703]~天明3年[1783])に師事した。里正(庄屋)から大里正さらには代官に挙げられ、久しくその職を勤めた。東陽より15歳上。
 東陽が京に学んでいた当初、「久保希卿に与ふ」書(『文鈔』巻十)がある。これは希卿が礼の規定に関する疑問を東陽に質したのに答えたもので、安永9年(1780)ごろに書かれたようだ。在京時代、希卿にあてた詩文は他に見当たらないが、津藩に出仕し支城のある伊賀上野で儒員に充てられていたときの作に、七律「和して久保希卿に答ふ二首」(『詩鈔』巻五)がある。

   其一
  猥將樗散備儒員  みだりに樗散ちょさんもつて儒員に備へらる
  渉世浮沈總信天  世を渉るに浮沈は総て天にまか
  藍尾寧關大邦政  藍尾 なんぞ関せん大邦の政
  皐比聊秉六經權  かう いささる六経の権
  不知遄返桑楡業  すみやかに桑楡の業に返るを知らず
  好是閑終犬馬年  し是れ閑に犬馬の年を終へん
  嬾慢殘軀自➏久  嬾慢の残軀自らつること久し
  綈袍猶荷故人憐  綈袍ほ荷ふ故人のいつくしみ

◯樗散 無能な役立たず。盛唐・杜甫の七律「鄭十八虔の台州司戸に貶せらるるを送る」詩に「鄭公樗散鬢糸を成す」と。東陽の『杜律詳解』巻上に「ヤクニタゝズ」と左訓を附し、「樗散、荘子の語。樗、丑居の反。不材の木。散は用無きなり」と注する。◯総信天 晩唐・方干の七絶「長洲の陳子美長官に与ふ」詩に「人前ことごとく是れ交親の力、ふことかれ升沈総て天に信すと」と。◯藍尾 ここは末席の意。唐代、宴会で末座の者が飲むのを藍尾酒といった(『容斎四筆』藍尾酒)。◯大邦 ここは津藩三十六万石をいう。◯皐比 講義の席。◯六経 詩・書・礼・楽・易・春秋の経書。晩唐・黄滔の七律「翁文堯員外の文秀・光賢・書錦の什に和し奉る」詩三首其二に「山簡は諸郡の命を兼ぬるをぢ、鄭玄は六経の権を秉るをづ」と。◯桑楡 クワとニレ。ここは田園、農村をいう。◯犬馬年 自己の年齢の謙称。東陽の『薈瓉録』巻上に「犬馬ノ歯」の条がある。◯嬾慢 ものぐさ。畳韻語。三国魏・嵆康「山巨源に与へて交はりを絶つ書」(『文選』巻四十三)の「簡は礼と相背き、嬾は慢と相成る」から出た語。◯残軀 老残の身。◯綈袍 厚ぎぬのどてら。戦国魏の須賈が昔なじみの范雎はんしょの寒苦を憐れんでかつて綈袍を与えたことがあり、後にそれによって范雎から死罪を赦された故事(『史記』范雎伝)。『書言故事』巻三、朋友類に「綈袍恋恋」の語を挙げる。◯故人憐 盛唐・岑参の五絶「尚書の旧を念ひ袍衣を垂賜さる、にはかに絶句を題して献上し以て感謝をぶ」詩に「綈袍更に贈る有り、猶ほ荷ふ故人の憐れみ」と。

「儒者の末席に列なったとはいえ、藩政に与ることはできず、無駄に馬齢を重ねるばかりです。それでもかつて貴兄からお示しいただいた御厚情や御恩を忘れてはおりません」。

   其二
  憶昔風流到處隨  おもふ昔 風流到るところ随ふ
  各天風月照相思  各天の風月 相思を照らす
  文章肎道千秋業  文章へてはんや千秋の業と
  羈宦空違五嶽期  羈宦空しく違ふ五岳の期
  春草重傷南浦別  春草重ねて傷む南浦の別れ
  故人休勒北山移  故人ろくするをめよ北山の移
  艱難太切歸歟嘆  艱難はなはだ切なり帰歟の嘆
  早晩披襟話許悲  早晩 襟をひらいてかくの悲しみをかたらん
◯風流 ここは詩酒の集い。◯各天 遠く離れた空の下。離れ離れでいることをいう。「古詩十九首」其一(『文選』巻二十九)に「相去ること万餘里、各々天の一涯に在り」と。◯風月 清風明月。◯照相思 この表現、初唐・李嶠の五律「崔主簿の滄州に赴くを送る」詩に「他郷明月有り、千里相思を照らす」と。◯文章 文学。詩賦文章。三国魏・曹丕「典論」論文(『文選』巻五十二)に「けだし文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」、盛唐・杜甫の五排「偶題」詩に「文章は千古の事、得失寸心知る」と。◯千秋業 長久の大業。◯羈宦 他郷での仕官。『晋書』文苑・張翰伝に「人生意にかなふを得るを貴ぶ。何ぞ能く数千里に羈宦して以て名爵をもとめんや」と。◯五岳期 後漢の向長(字は子平)が子女の結婚を済ませ隠居して五岳(東岳泰山・西岳華山・南岳衡山・北岳恒山・中岳嵩山)に遊んだ故事(『後漢書』向長伝)をふまえる。元・鄧文原の七律「盧鴻仙山台榭の図」詩(『佩文斎詠物詩選』巻二三八、仙類)に「壷公 三山の約にそむかず、向子 終に五岳の逢を期す」と。◯南浦 南の水辺。送別の地をいう。戦国楚・屈原「九歌」河伯(『楚辞』巻二)に「子 手を交へて東行し、美人を南浦に送る」と。◯故人 古くからの友人。◯北山移 杜甫の七律「覃山人の隠居」詩に「北山の移文誰か銘を勒せん」とあり、東陽の『杜律詳解』巻下に「移文」に「フレブミ」、「勒」に「カキツケル」と左訓を施し、「北山の移文は、孔稚圭が作る所、周ぎょうが隠操遂げざるをいやしんで、山霊の意を仮りて以て之を嘲る。中に云ふ、煙を駅路に馳せて、移を山庭に勒すと」云々と説く。六朝斉・孔稚圭の移文は、『文選』巻四十三。『古文真宝』後集巻五にも収載。◯帰歟嘆 三国魏・王粲「登楼の賦」(『文選』巻十一)に「むかし尼父の陳に在る、帰歟の歎音有り」とあり、『論語』公冶長篇に「子 陳に在りて曰く、帰らんかな、帰らんかな」とあるのをふまえる。◯早晩 いつか。◯披襟 胸の内を率直に述べる。杜甫の五排「盧五丈参謀琚に贈り奉る」詩に「幕に入りて孫楚を知り、襟をひらひて鄭僑を得たり」と。◯話許悲 南宋・楊万里「故少師張魏公の挽詞三章」其一(『誠斎集』巻二)に「別れしり知んぬ何の恙ぞ、誰に従って許の悲しみを話らん」と。

「あの頃は風流な詩酒の集いにお供して楽しゅうございました。本来貴兄のように郷里で暮らすはずの身が仕官したのをとがめだてくださいますな。さんざん難儀な目に遭って帰郷の念が強まっており、いつか胸の内にある悲哀の情をお話したく存じます」。
 寛政8年(1796)、40歳となった東陽は春から秋までの長期休暇を得て、久しぶりに帰省し、亡父の墓に詣で、旧友との再会を果たすことになるが、まずその際の感慨を記した「郷に還り感を誌す」詩(『詩鈔』巻五)を見ておく。

  艱難孤宦倦游身  艱難孤宦 倦游の身
  休告姑為舊逸民  休告しばらる旧逸民
  世路動多心外事  世路ややもすれば心外の事多く
  家林漸少眼中人  家林やうやく眼中の人まれなり
  青山何許終埋骨  青山何許いづくにかつひに骨を埋めん
  白頭相望坐愴神  白頭相望めばそぞろに神をいためしむ
  柳絮風寒天欲暮  柳絮風寒く天暮れんと欲す
  滿川流水送殘春  満川の流水 残春を送る
◯孤宦 地位の低い官吏。『後漢書』郭躬伝に「起つに孤宦りし、位を司徒に致す」と。晩唐・司空図の七律「詩僧秀公に寄贈す」詩に「冷曹孤宦寥落に甘んず」と。◯倦游 他郷での仕官にあきあきする。西晋・陸機「長安有狭邪行」(『文選』巻二十八)に「余はと倦遊の客」と。◯休告 官吏の休暇。中唐・韓愈の五古「張徹に答ふ」詩に「洛邑に休告を得、華山に絶陘を窮む」と。◯旧逸民 仕官する以前の自由民。〈逸民〉は、官途に就かないでいる在野の知識人。◯世路 世渡り。特に宦途をいう。◯心外事 思いも寄らぬこと。◯家林 家郷。◯眼中人 西晋・陸雲「張士然に答ふ」詩(『文選』巻二十五)に「桑梓の城に感念し、眼中の人を髣髴す」とあり、五臣呂延済の注に「眼中の人は親識を謂ふ」と。旧友もしくは親しい人をいう。但し、ここは、それだと詩意が通じない。〈眼中丁〉〈眼中釘〉の意で、自分に害なす者、目障りな人物をいう。◯青山の句 北宋・蘇軾の七律「予、事を以て御史台の獄に繋がる(中略)故に二詩を作り、獄卒梁成に授け、以て子由に遺す」詩に「の処青山骨を埋む可し、他年の夜雨ひとり神を傷ましむ」と。◯何許 何処に同じ(釈大典『詩家推敲』)。◯愴神 心を痛める。◯柳絮 柳のわた。◯満川 南宋・阮閱の七絶「北園」詩に「満川の流水 武陵の花」と。◯送残春 春のおわりを見送る。中唐・白居易の五古「南亭にて酒に対して春を送る」詩(『白氏文集』巻八)に「独り一盃の酒を持し、南亭に残春を送る」と。

「宮仕えにはとかく心外のことが多いが、故郷に近づくにつれ気に障る輩がいなくなる」。
 寛政元年(1789)末、33歳で仕官はできたものの、任地は山国の伊賀上野で儒員の末席に列なったにすぎず、そのうえ山崎闇斎派の道学者らとの軋轢もあって何かと掣肘されることが多く、存分に手腕を発揮できずにおり、不如意感をつのらせていたのである。
 こうした日頃の気苦労を晴らし、鬱積した思いを散ずべく、そこで訪ねたのが菰野の久保希卿であった。七律「希卿を訪ぬ」詩(『詩鈔』巻五)に云う、

  隱居無恙舊風流  隠居つつが無し旧風流
  叢桂成陰境轉幽  叢桂 陰を成し境うたた幽なり
  詩或驚人聊亦戯  詩は或いは人を驚かしていささか亦た戯れ
  樽常有酒又何憂  樽は常に酒有り又た何ぞ憂へん
  交歡相慰十年別  交歓して相慰む十年の別れ
  敬愛自為三日留  敬愛して自ら為す三日の留
  深夜殷勤敧枕話  深夜殷勤に枕をそばだててかた
  襟期更隔幾春秋  襟期さらに幾春秋を隔てん
◯無恙 平安無事なこと。『書言故事』巻五、門疾類にこの語を挙げる。◯旧風流 詩を作り酒を酌み交わした昔の仲間。◯叢桂 群がり生えた桂。前漢・劉安の「招隠士」(『楚辞』巻十二、『文選』巻三十三)の「桂樹叢生す山の幽」から出た語。〈隠居〉とは縁語。◯境転幽 あたりは以前にもましてひっそりとしている。元・吳鎮の五律「郭忠恕の仙山楼観」詩に「畳雲しきりに起こり、崇山境転た幽なり」と。◯驚人 杜甫の七律「江水の海勢の如くなりたるにひ、聊か短述す」詩に「語の人を驚かさずんば死すともめず」と。◯殷勤 ねんごろに。しみじみと。畳韻語。『夜航余話』巻上に「殷勤ハ、ネンゴロニト訳ス。委細ニ心ヲ尽スノ謂ナリ」と。◯敧枕 横になったままやや上体を起こし枕をななめに立てそれにもたれる。◯襟期 心に思うこと。杜甫の七古「酔時歌」に「時に鄭老の
襟期を同じうするに赴く」と。

「十年ぶりの再会で、三日間お世話になりました。夜がふけるまで枕をそばだてて懐かしく語り合いましたが、これから先、こうしてお会いできるのは何年後でしょう」。
 そして菰野訪問のおりには、かつて菰野山に遊んだ仲間、すなわち東陽より3歳上の早川文卿(宝暦4年[1745]~天保9年[1838])、9歳上の横山士煥(寛延元年[1748]~寛政11年[1799])、8歳ほど上の森子紀(寛延2年[1749]頃~文化14年[1817])、6歳上の呂君彜(姓は野呂氏。宝暦元年[1751]~文政8年[1825])ら全員の顔がそろったかどうかは分からないものの、とにかく都合のつく連中と夏は泊りがけで避暑にでかけた。志水氏の前掲書によれば、早川文卿は菰野藩士、横山士煥は広幡神社の宮司、森子紀は下鵜原村の豪農、野呂君彜は菰野藩医。
 五排「菰山の積翠楼に遊び席上諸子に贈る」(『詩鈔』巻三)に云う、

  騒客耽行樂、沈吟曳杖遲  騒客 行楽に耽り、沈吟して杖をくこと
               遅し
  烟巒隨歩變、雲樹入看奇  烟巒 歩に随って変じ、雲樹 看に入りて
               奇なり
  舊社尋盟處、清歓避暑時  旧社盟をあたたむる処、清歓暑を避くる時
  楼凉霞泛酒、林爽雨催詩  楼凉しくして霞酒にうかび、林さはやかにして雨
               詩を催す
  嘯月曽遊感、醉花重會期  月にうそぶきて曽遊感じ、花に酔ふて重会期す
  泉聲夜逾響、山氣夏偏宜  泉声夜いよいよ響き、山気夏ひとへによろ
  風景雖無盡、人生奈有涯  風景は尽きること無しといへども、人生はかぎり
               るをいかんせん
  離群他日恨、幽興苦相思  離群他日の恨、幽興はなはだ相思はん
◯騒客 詩人。『故事成語考』文事に「騒客は即ち是れ詩人」と。◯沈吟 ここは詩句を考える意であろう。畳韻語。◯烟巒 もやのかかった山々。◯入看 目に入る。近くに見える。盛唐・王維の五律「周南山」詩(『唐詩選』巻三)に「白雲望を廻らせば合し、青靄看に入れば無し」と。◯旧社 昔の文学サークル。◯清歓 欲得づくを離れた閑雅な楽しみ。◯尋盟 旧交を温める。もとは盟約を重ねる意(『左氏伝』哀公十二年)。『書言故事』巻六、評論類に「旧約を尋むるを尋盟と曰ふ」と。◯雨催詩 杜甫の五律「諸貴公子の丈八溝に妓を携へ涼を納るるに陪し、晚際に雨に遇ふ二首」其一に「片雲頭上に黒し、まさに是れ雨の詩を催すなるべし」と。◯嘯月 月下に詩を吟ずる。◯重会 再会。◯泉声 ここは渓流の水音。◯離群 勉強仲間とはなればなれになる。『礼記』檀弓上に「子夏曰く、吾れ離群して索居す、亦た已に久し矣」とあり、鄭玄の注に「群は同門の朋友を謂ふなり」と。◯他日 後日。◯幽興 しみじみとした興趣。盛唐・岑参の七律「崔十二侍御が灌口にて夜、報恩寺に宿すを聞く」詩に「勝事接す可からず、相思うて幽興長し」と。

 そしていよいよ休暇を終え伊賀上野にもどる日が迫ったころ、友人たちが送別の席を設けて招待してくれた。七律「菰野の諸子、西山の鳳蹟楼に邀宴す、是れ昔年しばしば遊びし処、席間賦謝して兼ねて以て留別す」詩(『詩鈔』巻五)が、それである。〈鳳蹟楼〉は、未詳。

  翠嵐秋爽靜雲林  翠嵐秋爽にして雲林静かなり
  行樂伴來招隠吟  行楽伴ひ来たる招隠吟
  多病偏衰蒲柳質  多病ひとへに衰ふ蒲柳の質
  倦游逾切薜蘿心  倦游いよいよ切なり薜蘿へいらの心
  功名寧易酒中趣  功名なんへん酒中の趣
  山水不須絃上音  山水もちひず絃上の音
  舊社交歡無限興  旧社の交歓 無限の興
  別魂空自夢相尋  別魂しく夢に相尋ねん
◯翠嵐 山林にかかるもや。◯招隠吟 人に帰隠をすすめる歌。西晋の左思や陸機に「招隠詩」(『文選』巻二十二)がある。◯蒲柳質 病弱なたち。『世説新語』言語篇に「顧悦は簡文と同年にして髪つとに白し。簡文曰く、卿何を以て先に白しと。こたへて曰く、蒲柳の姿は秋を望めば落ち、松柏の質は霜を経ていよいよ茂る」と。『書言故事』巻十、花木類に「蒲柳姿」を挙げ、「自ら衰弱を言ひて蒲柳の姿と曰ふ」として、これを引く。◯倦遊 仕官にあきあきすること。前掲、「郷に還り感を誌す」詩の語釈参照。◯薜蘿心 隠遁志向。〈薜蘿〉は、薜茘へいり(マサキノカヅラ)と女蘿(ヒカゲノカヅラ)。隠者の服をいう。六朝宋・謝霊運「斤竹澗り嶺を越へて渓行す」詩(『文選』巻二十二)に「山阿の人を想見するに、薜蘿眼に在るがごとし」と。◯酒中趣 盛唐・李白「月下独酌」四首其二に「但だ酔中の趣を得、醒者の為に伝ふることなかれ」と。◯絃上音 三味線をいうのであろう。◯旧社 昔の文学仲間。◯別魂云々 別れた後、夢で会うことをいう。六朝梁の江淹「別れの賦」(『文選』巻十六)に「離夢の躑躅を知り、別魂の飛揚をおもふ」と。古代中国において、夢で人に逢うのは魂が身体から抜け出して会いに行くからだと考えられていたことによる表現。◯空自 〈自〉は、接尾語。釈大典の『詩家推敲』に「本自・独自…空自…要自ノ類ミナ上ノ字ニツヒテ用ユ」と。

 また七絶には「菰野の一士の家、屏風に余が少時の詩を貼す。たん汗にへず此れを作って之にふ」と題した詩(『詩鈔』巻八)もある。
「少年時分は才子だと誉めそやされて未熟な詩を屏風にのこしてしまった」。
 こうした菰野での再会からまた十八年、希卿とは顔を合わせる機会がないまま、東陽のもとに訃報が届いた。その死を悼んだ七律「久保希卿を追悼す」詩(『詩鈔』巻五)に云う、

  物在人亡獨悵思  物在り人亡して独り悵思ちやうし
  小來同郡舊相知  小来同郡の旧相知
  金蘭意氣終千古  金蘭の意気つひに千古
  雞黍風流自一時  雞黍けいしょの風流自ら一時
  秋苑空荒松月冷  秋苑空しく荒れて松月冷やかに
  夜臺深鎻草蟲悲  夜台深くとざして草虫悲しむ
  交游歿盡還郷處  交游歿し尽す郷に還るとき
  擕得詩篇好眎誰  詩篇を携へ得てく誰にかしめさん
◯物在人亡 盛唐・李頎の七律「盧五の旧居に題す」詩(『唐詩選』巻五)に「物在り人亡してまみゆる期無し」と。◯悵思 悲しみに打ち沈んで物思う。◯小来 子供時分から。◯旧相知 昔なじみ。◯金蘭 金属のように堅く、蘭のようにかぐわしい交わりを「金蘭契」という。『易経』繋辞上伝に「二人心を同じくすれば、其の利きこと金を断ち、同心の言、其のかぐはしきこと蘭の如し」と。◯千古 永訣をいう。◯雞黍 鶏をつぶし黍飯きびめしを炊いて歓待する。『蒙求』巻上の標題に「范張雞黍」。『書言故事』巻三、叙擾類に「雞黍」を挙げ、「飯を擾するを、雞黍の款と云ふ」と。〈擾〉は、ご馳走する意の俗語。◯自一時 それ自体(今となっては)僅かな間にすぎない。明・李攀龍の七絶「歳抄、元美兄弟の書を得て却って寄す二首」其二(『滄溟集』巻十四)に「中原みだりに説く先朝の事、五子の風流自ら一時」と。◯松月 松にかかる月。◯夜台 墳墓をいう。◯草虫 草むらにすだく虫。◯眎 視の別体字。示と同義。

「故郷にもどっても昔の文学仲間はすっかり亡くなり、誰に詩稿を見せればいいのか、心待ちにしてくれる人はもういない」。時に東陽56歳。19年に及んだ伊賀上野詰めから五年前に津に召還され、ようやく活躍の場を得て、遅ればせながら驥足を伸ばし始めたころである。
 さらに歳月は流れる。七絶「旧友に遇ふ」詩(『詩鈔』巻九)に、

  歳月蹉跎白髪新  歳月して白髪新たなり
  風流一梦舊青春  風流一夢 旧青春
  自稱名姓猶堪訝  自ら名姓を称するもいぶかるに堪ふ
  陌上相逢是路人  はく上相逢ふは是れ路人
◯蹉跎 もたもたするさま。畳韻語。初唐・張九齢の五絶「鏡に照らして白髪を見る」詩(『唐詩選』巻六)に「宿昔青雲の志、蹉跎す白髪の年」とあり、盛唐・李頎の七律「魏万の京にくを送る」詩(『唐詩選』巻五)に「見るかれ長安行楽の処、空しく歳月をして蹉跎たりやすからしむるを」と。◯風流 詩酒の集い。◯旧青春 昔の青春時代。元・釈善住の七律「時太初海昌の詩巻を読む」詩(『谷響集』巻二)に「鏡をつねに傷む新白髮、杯をってかへって憶ふ旧青春」と。◯陌上 街頭、路上。初唐・盧照鄰の七古「長安古意」(『唐詩選』巻二)に「楼前に相望むも相知らず、陌上に相逢ふもんぞ相識らん」と。◯路人 自分とは関係のない人。三国魏・曹植「親親を通ぜんことを求むる表」(『文選』巻三十七)に「恩紀の違へること、路人よりも甚だし」と。

「昔馴染みを路上で見かけ自分から名のってもポカンとされた」。先輩・知友など昔の仲間が一人また一人と世を去ってゆく中、早川文卿・森子紀とは、それぞれ思いがけない出会いがあった。
「文卿に邂逅す」(『詩鈔』巻九)には、

  拙官蹉跎壯志空  拙官蹉跎して壮志空しく
  看君氣象老猶雄  看る君が気象 老いて猶ほ雄なるを
  悲歡二十年來事  悲歓二十年来の事
  話盡寒窓一夜中  かたり尽さん寒窓一夜の中
◯拙官 官界での世渡り下手。◯壮志 意気盛んな志。晩唐・李群玉の「灃浦り東のかた江表に遊び」云々と題する五古に「壮志空しく摧蔵す」と。◯気象 心意気。

「自分はもたもたして志を実現できずにいるのに、君は相変わらず意気盛んだね。悲しみに喜びといろいろあったこの二十年、しみじみ語り尽そう」。
「森子紀に邂逅す」(『詩鈔』巻九)には、

  相遇猶能識舊聲  相遇ひてほ能く旧声を識る
  牢騒哀老不勝情  牢騒 老を哀れんで 情にへず
  風流四十年間前  風流四十年間の前
  恍惚追思似隔世  恍惚として追思すれば隔世に似たり
◯識旧声 昔ながらの声で当人だとわかる。北宋・蘇軾の七律「姪の安節が遠くより来りて夜坐す三首」其二に「心衰へ面改まり痩せて崢嶸たり、相まみえてまさに旧声を識るべし」と。◯牢騒 思うようにならず、不満なさまをいう近世の言葉。畳韻語。◯哀老 〈哀〉字は、衰に作るのがよいか。◯恍惚 ぼんやりするさま。双声語。◯似隔世 元・薩都拉の七古「相逢行、旧友の治將軍に贈別す」詩(『雁門集』巻十)に「旧遊歴歴として隔世に似たり、夜雨に同群を思はざらんや」と。

「見た目は変わっても声で君だとわかった、四十年前の詩文の集いは遠い昔」。
野呂君彝とは詩のやり取りがあったものか、七絶「君彝に次韻す」と題する(『詩鈔』巻九)作がある。

  故交零落少晨星  故交零落して晨星より少なく
  老病相憐眼轉青  老病相憐れんで眼うたた青し
  濁酒枯魚一爐火  濁酒枯魚 一炉火
  儘➏風雪撲牕櫺  儘➏まかす風雪の窓れいつに

◯故交 昔の友人。◯零落 死ぬこと。双声語。後漢・孔融「盛孝章を論ずる書」(『文選』巻四十一)に「海内の知識、零落してほとんど尽く」と。金・趙秉文の五古「淵明にならひて自ら広うす」詩(『閑閑老人滏水文集』巻五)に「故交零落し尽き、世に能く久しくとどまらんや」と。◯晨星 明け方の星。『書言故事』巻八、叙同官類に「落落晨星」の語を挙げ、「同年の者或いは存し或いは亡するを言ふなり」と。この場合の〈同年〉は、同じ年の科挙及第者。◯眼転青 『蒙求』巻下の標題に「阮籍青眼」がある。◯濁酒枯魚 濁り酒と魚の干物。明・李攀龍の七絶「九月八日東村にて元美を送る」詩(『滄溟集』巻十二)に「濁酒枯魚自ら貧ならず」と。東陽の七絶「冬夜」詩(『詩鈔』巻八)にも「濁酒枯魚いづにか在る」と。◯儘➏ 一任する意。まかす。〈➏〉は、拌の俗字。◯牕櫺 連子窓。

「昔の仲間は一人また一人といなくなり今では夜明けの空にかかる星の数より少なく、互いに年をとると同病相憐れむじゃないが老病相憐れむで、まなざしもますます優しくなる。外は雪もよいの寒風が窓にうちつけるがままよ、囲炉裏ばた濁り酒に肴の干物があればよい」。
 東陽の生まれた平尾村に隣接する菰野は土方藩一万二千石の陣屋があり、後の東陽の素地を作ったところである。久保希卿をはじめ先に名を挙げた横山士煥・森子紀らは菰野藩内の在村文人たちであったし、藩士の早川文卿を含めて、概して遠く江戸や京大坂にまで聞こえた著名な人物というわけではなかった。されど東陽にとっては詩文サークルの先輩・仲間として忘れ得ぬ人々であったのである。とりわけ最年長の久保希卿は菰野藩儒の南川金渓とともに得難い存在であったようだ。金渓のことは、前稿「文化11・12年の江戸」において平井澹所を取り上げた際に言及したので参照されたい。
 なお、志水雅明氏の著書から希卿の墓碑として津藩の儒者野村西巒せいらん(名は世業。明和元年[1764]~文政10年[1827])の手になる「立恭先生の碑」があることを知ったので、本稿の末尾に【資料編①】として挙げておいた。また金渓については、江村北海に碑文があり、岩田隆氏が訓点(返り点)を施しその著『宣長学論孜―本居宣長とその周辺』(桜楓社、昭和63年)に既に紹介されているが、改めて書き下しと語釈と附し【資料編②】として示しておく。

※久保希卿らについては、前掲、志水雅明『久保三水・蘭所小伝』のほかに『菰野町史』(近藤謙蔵主編、昭和16年。名著出版より昭和49年復刻)参照。

 ところで、菰野出身の儒者には先に名を挙げた者以外にも東陽より19歳上の石川金谷(名は貞、字は太一[乙]、号は金谷。元文2年[1736]~安永7年[1778])がおり、「石川太一が致仕して郷に還る、此れを贈って慰藉す」と題する七律(『詩鈔』巻四)があるので、ここに挙げておく。詩題の下に「太一は菰野の人。日州延陵の文学とる」という自注を附している。金谷は、南宮大湫(名は岳、字は喬卿。享保13年[1728]~安永7年[1778])が桑名で教授していたときに従学。かつて長崎に遊んだことがあり「中土の音に慣習」していた(後述、巌垣龍渓の墓誌)。京都で開塾(『平安人物志』明和5年版にその名が見える)。江村北海(名は綬。正徳3年[1713]~天明8年[1788])の明和8年(17710)刊『日本詩史』巻五には「又た石大乙・榺文二は業を喬卿に受くる者。(中略)大乙ははやく京師に来たり、講説を業と為す」という。のちに近江膳所藩に仕えた。その際、皆川淇園(名は愿、字は伯恭。享保19年[1734]~文化4年[1807])に七絶「石川太一が膳所侯の文学と為り江戸に赴くを送る」詩(『淇園詩集』巻三)がある。その後、病により職を辞し、安永2年(1773)日向延岡藩に聘せられるも直言がたたって罷免されたという。

  竟向家山賦卜居  つひに家山にいて卜居を賦す
  志高樂託拂衣初  志高く楽託らくたくたり衣を払ふの初
  浮雲流水情無極  浮雲流水 情極り無く
  明月清風興有餘  明月清風 興餘り有り
  期客自鋤三徑草  客に期す 自ら三径の草をくを
  消閑好攤一床書  閑を消す 好し一床の書をひろぐを
  優游堪玩人間世  優游もてあそぶに堪ふ人間世
  枉道何門不曵裾  げていづれの門にか裾をかざらんやと
◯向 文語の於と同じ。〈於〉は平字、〈向〉は仄字。◯家山 故郷。◯卜居 土地柄の良し悪しを占って住まいを定める。『楚辞』巻六に屈原の作とされる「卜居」があり、盛唐・杜甫の七律に「居を卜す」詩がある。◯楽託 自由闊達。些事にこだわらないさま。落託も同じ。畳韻語。『世説新語』賞誉篇に「王脩載(耆之)の楽託の性、門風り出づ」と。◯払衣 衣の塵を払う。帰隠することをいう。六朝宋・謝霊運「祖徳を述ぶる詩」(『文選』巻十九)に「高く七州の外に揖し、衣を五湖の裏に払ふ」と。◯浮雲流水 行雲流水と同じ。中唐・朱放の七絶「温台を送る」詩に「浮雲流水相随ふ」と。◯明月清風 『南史』謝譓伝に「時に独り酔ふこと有り、曰く、吾が室に入る者は但だ清風有るのみ、吾が飲に対する者は、唯だ明月有るのみ」と。◯三径 前漢末、王莽が実権を握ったとき帰隠した蔣詡は家の竹林に三本の小道をひらいたいう(『三輔決録』)。『蒙求』巻上の標題に「蔣詡三逕」。東晋・陶潜「帰去来の辞」(『文選』巻四十五、『古文真宝』後集巻一)に「三径荒に就いて、松菊猶ほ存せり」と。ちなみに、東陽の『薈瓚録』巻上に「三逕」の条がある。◯消閑 暇つぶし。◯一床書 棚いっぱいの書物。初唐・盧照鄰の七古「長安古意」(『唐詩選』巻二)に「寂寂寥寥たり揚子の居、年年歳歳一牀の書」と。〈揚子〉は、前漢の揚雄。◯優游 ゆったりと遊びたのしむ。古くは『詩経』大雅「巻阿」に「伴奐はんくわんとしてなんぢ遊び、優游して爾休せよ」と。◯人間世 世間。『荘子』に人間世篇がある。◯枉道 みだりにいう。晩唐・尚顔の七絶「秋夜吟」に「枉げて道ふ一生繋着無しと、湘南の山水別人尋ぬ」と。◯曳裾 宮仕えする。前漢・鄒陽「書を呉王にたてまつる」(『文選』巻三十九)に「固陋の心を飾れば、則ちいづれの王の門にか長裾を曳く可からざらんや」と。

「故郷に帰隠されての気ままな読書生活、お召しがあればどこでも仕えるつもりはあるぞと口ではおっしゃるが、どうやらその気はありますまい」。
 なお、前掲『菰野町史』によれば、菰野の瑞龍寺に巌垣龍渓撰の墓誌がある由にて、その一部が書き下して抄録されているが、実物は未見。

※ 石川金谷には、唐話の辞書『遊焉社常談』があり、石崎又造『近世日本に於ける支那俗語文学史』(弘文堂、昭和15年)167頁に彼の略歴を載せる。その出身地について、石崎著には「伊勢国菰野山下の産。其の先は河内の人」という。


覚書:津阪東陽とその交友Ⅱ-文化11・12年の江戸-(9)
覚書:津阪東陽とその交友Ⅲ-同郷の先輩から女弟子まで-(2)

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