見出し画像

ミューラル、ライブペイント、その熱量と血液

インスタでJosé Parláをフォローしている。
José Parláはストリート出身で、カリグラフィーを取り入れた筆致で巨大なミューラルを数多く手がけている作家だ。

とにかく作品がでかい。しかもこれが手書きだとなるとその途方もない作業量と膨大なエネルギーを感じずにいられない。これ画面全体を把握できてんのかな?このサイズの真っさらな画面に相対したら、むしろ恐怖心が芽生えてしまいそうだ。人間ってこんなに大きい範囲のものを一度に扱えるんだなあ。ただただ凄い。

もし私が彼のように大きな画面を扱うとしたら?ちょっと想像しただけで普通に怖い。真っ白でデカい平面を埋め尽くす熱量が私にはまだ足りていないのかもしれない。
José Parláの作品はただ画面が埋まっているだけではなく、画面の隅々にまで作家の血液がきちんと巡っている。これはとても大切なことだと思っていて、特に抽象画は大きな画面を短時間で埋め尽くしやすい技法が多いが、絵の具をぶちまけても画面は埋まりそれっぽくはなるかもしれないがそれだけでは成立しないんだと、思う。作品を作る時いつもこのことが頭をよぎる。
そういう意味で、私がきちんと扱える作品サイズは、ざっくり体感で4mくらいまでかなあ、と思っている。というかそれ以上のサイズを扱ったことがない。慣れれば扱えるようになるんだろうか?

グラフィティアーティストは大抵、デカい平面に真っ向から向き合っている。私はグラフィティをやったことがないし彼らがどういう気持ちで壁に向かっているのかわからない。無言の圧を発する壁に恐怖を感じているのか?もしくは自らで画面を埋め尽くす喜びや興奮があるのか?一度聞いてみたいな。

-

先日終了した「OSAKA LAUGH&ART 2021」では、9名の作家がライブペイントを行なっていた。私は展示のみだったので、ライブペイントの様子をずっと眺めていた。
どの作家さんのも本当に良かった、当たり前だが作家の数だけ画面の作り方や絵を描く作法、画面との距離感、体の使い方が違っていて、それがそのまま作家のセンスと共にリアルタイムで立ち現れてくるのが本当におもしろかった。空間も広々としていて気持ちの良い時間だった。絵筆1本で戦っている絵描きの皆さん、マジで格好よかったな。絵の具と筆だけなんやで。すごいです。

皆さんが描いていたキャンバスは高さ2m、大きいサイズで横3m、小さいので1mくらいかな?なかなかそのサイズの画面を描いたり展示したりする機会って多くはない。
見ていてライブペイントめちゃくちゃやりたくなった。上でも書いたが、きちんと血を通わせられるサイズをもっと大きくしたい、し、今のわたしがどこまでできるのかを知りたいなあとなんとなく思っている。デカい画面を埋め尽くし隅々まで支配し切るだけの熱量は今のわたしにあるのか?なんかそういうタイミングなのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?