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自分を信じると言うことはどういうことを指すのだろうか?

美容院に行った。
延び放題な髪の次男を連れて。

生真面目な彼は「不要不急の外出を避けましょう」をどんなことがあっても…(そばのコンビニにラムネを買いに行くとき以外は)
守ってきた。
こちらから見たら、肩に余裕でかかる伸びた髪の毛はカットするに十分価するものだと思ったのたが、勉強中に脳に与えるラムネの購入以外の外出は彼にとっては不要不急であった。

すっかりバッサリ短くなってさくらんぼ色に染まった髪の毛は本人にとって満足であった様子だし、こちらもさっぱりしてホッとした。

次男は自分の考えを曲げない。
幼い頃からそういう人だ。
何を言っても無駄なので決めたことについてくどくど言わない。
もちろん間違えているとこちらが思うことについてはおかしいと助言する。しかしそれをどうするか考えるのは彼。
なぜこんなにも信頼できるのか?と言えば、失敗したときも何者のせいにすることが無いからだ。つまり言い訳をしない。

 人は自分で決めても悪くなったら何かのせいにしようとすることが多い。
だけど本当は決めて行動したのは何者でもなく自分であるということを認めないとならない。
それがきちんとわからないと、何かの時に周囲に振り回されてしまう。
自分自身のしてきたことに責任を取れないということは、自分を信じられないからと言うことになる。

ここは少し説明が必要かもしれない。

自分が決めて日々行動しているのだと意識すると、どんな結果を招いたとしても自分の責任となる。誰かが言ったからとて決めたのは自分だ。
失敗したときも自分の責任だと考えると、失敗を悔やむより次にどうしたらいいのか考える。
全て自分を信じて行動した結果なんだと受け入れられれば他者のせいにはしない。

あの人がもっときちんとしてくれたなら。

とか

こんな状況だったから。

とか……

そんな気持ちになるときは相手のせいにしている。

例えば不幸な状況であっても、残念なことだけど起きたことは変わらない。
変わらないから受け入れて前を進むしかない。
変わらない過去を嘆いても何も変わらないという事実を受け入れるしかない。


私がこう書くときっと

あなたは同じ立場になっていないから

と言うだろう
確かに同じになったら相手の気持ちはわかるだろう。だけどそれで大変でしたね。可哀想でしたね。悲しかったですね。と共感してそれで良い方向に向かうのだろうか?

自分に都合の良いセリフを聞き、共感されてもそれだけだ。
こんな可愛そうな自分を認めてくれ、大切にしてくれと言うならば自分の軸がブレていることになる。
可哀想な私のままでいたいならそうすればいい。
自分の思った通りにしか人生はならない。

こんな人生は嫌だ、周囲に寄りかかっているだけだと思うなら強くなるしかない。

こんなことを書いても良い風には思われない。
もっと読んでいて楽しい記事。癒してくれる記事。そういうものが支持されるだろうから。
だけど現実から目を背けたままでいると歪む。
こころが、からだが不調に陥る。


他者はどんなことがあっても変えられない。
起きた事実も同じだ。

他者を変えたければ自分が変わるしかない。自分の態度が変わると他者の態度も変わる。
それは不思議なんだがそんな風に出来ている。

起きた事実は変わらないが、その後の自分の気持ちで未来は変わっていく。
そう思うから、強くなれと書く。

自分が変わることで周囲との関係性が変わる。いいと思う自分になれば、自分のことを好きになるし、自分を信じることが出来る。そうして自信が生まれる。

周囲からもまた同じように信頼されるだろう。

自信とは自分を信じて進むことで、周囲に言われたからと言って変えていくことは自分を信じることではない。


自分軸がぶれないと言うのは自分に自信がつくことだが、人間は思っている以上にぶれやすい。


周りを基準に動くから自分で決めたように続けることが出来ない。

周囲のせいにするのはぶれている証拠。

事実、私がそうだ。

毎日ブログを書いてみようと思いながら一週間と続かない。
それは仕事をしていて、家事をしてブログを書く時間がないからだが、それも言い訳になるだろう。
なぜって同じように働いて時間がなくても毎日アップしている人もいるだろう。

そう考えると、それでは自分に出来ることはなんだろう?

私はブログをパソコンでは書かない。
通勤中の電車の中でスマホに打ち込んでいる。文字数が多いとしんどくなる。だが、こうでもしないとアップする時間がなく、記事もかけない。

仕方がない。これでするしかない。そう思っているので、毎日の記事をやめて中身をもう少しで充実していけるようにしたい。

それでもダメなら自分の書くものが読むに値しないものなのだろう。

その時はどうしたらいいだろうか?書くことをやめるか、それでも書き続けるか。

周囲から認められなくても、それでも続けると思えることがきっと書くと決めた私の正しさなのかも知れない。

以前に書いていた。よければこちらもご覧ください。↓


まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!