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感情と思考


昔書いていたブログの中で(誤字が多くて申し訳ないが))感情と精神と言うものに少し触れていた。

感情と言うものは人それぞれの個性を作るもとになってあるのかと思う訳なんだが、マイナスな感情がマイナスな思考を産み、マイナスな言動を取る人物になるとすると逆になるためには真逆な考え方をすればいい、となる。
言うが易しなんだが、努力して意識して行けば出来なくもない。

なぜマイナスな思考になるのかと言えば、そのひとつとして、幼い頃からダメ出しされているとその傾向になると言われるけれど、何よりもいけないのはそうやって他者のせいして変わらないことではないだろうか?と思うのだ。

どうせ私は◯◯だから。

そう決めてしまっていては変わりようがない。

だってこうしてずっと来たから。そう言われてきたから。

こういう言葉が出るとき、自分は何も変えようとしていない。

他力では何も変わらない。
運でなんとかなる、なんてことはないだろう。

そもそも、運は自分でその時を捉えるか、捉えないか選択しているのだと思う。

たまたま、であっても何かしらその時の行動で変化している。

引き寄せると言えば他力になり、その時を逃さないと言えば自力であるのではないだろうか?

ポジティブな人は待ってはいない。
自ら決めて進むし選択していく。だから誰かの何かのせいにはしない、言い訳はしない。

「だって」という言葉が出る時言い訳があとに続く。
自分は悪くない、と。すると誰かを何かを批判することに繋がる。

誰でもあることだが、批判したとて状況は変化しない。辛いことであっても流すしか先に進むことが出来ない。
反省は必要だが、後悔ばかりしていても何も変わらない。

そのためには執着しないことに限る。
執着は良いことが余りない。

見切りをつけられれば次を考えて進むことが出来る。
もちろん諦めるまではあらゆる努力は必要だろうが、人間は有限だ。
時間の制約からは免れない。どんなに切り刻んで無駄を省いたとしても限界であれば、そこまでなのだと思う。
どうしても動かせないものは人智の及ばないところでしか操作できない。そうなった時は他を探すしかない。間違えていればまだできる方法はあると引き戻されることになるだろう。

私は自分のやるべきことは実は決められていると思っている。
人生の中で学ばなくてはならないことは決まっていて、課題はひとりひとり違うのだろうけれど、学べば先のステージに行くが出来ていなければ形を変えて似たようなことをさせられる。

他力の考え方の人はそこに気が付きにくいのではないだろうか?

自分の何が良くないか?それを変えていくためにはどんなことをしていけばいいか?考えて動く力が必要になる。

人生はポジティブに生きた方が前進していくがそれを決めて行くのも自分でしかない。

他人を動かすことは難しいが、自分を動かすことは容易い。

願っていても何も変わらないから、まず自分の行動を見直すことが必要だ。

先の目標が具体的にあるならリミットの時間を決めてそれに対して出来る行動は何かを考えて日々行動していかないとならない。

具体的なことがはっきりしないなら短期的な目標でもいい。積み重ねた先にはっきりとした物が見えてくる。
そんな風に思っている。


まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!