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曖昧なわたし

忘れっぽい。

近頃まぁやり終えたと思ったらきれいさっぱり忘れる。
記憶の容量が少なすぎで端から消去していかないとならないのだろう。

職場の先輩は記憶力がいいので、人のやったことも覚えていてくれる。で忘れないようにしてくれている。
ついつい先輩に頼っているものだからますます忘れっぽくなっている。

いや人のせいではない。私自身に危機感がないからだろう。

すぐ会話のなかで「アレ」だの「ソレ」だの。
一体なんのこと言っているのか、本人の頭の中にはあるものの名詞が出ない。
頭の中を映像化出来る能力があればどんなにいいだろうか?と思うのだが、そしたら自分の考えていることが周囲に丸見えになるわけで

あんな顔して、今えっちなこと考えてるんだ~

とか

今あいつのこと殺したいぐらい怒ってるんだな

とか

相当金に困ってるんだな

とか

早くトイレ行けばいいのに❗

とか

腹、減ってんだな(まぁ、これはいいか)

とか思われるんだろうな。
テレパシー?なのか、いいような悪いような……。

話を戻そう。
ボケもここまで来ると本格的に頭を使っていないのだろうと反省する。


しかし、どうやったら年老いた頭で記憶力が良くなるのか?

それを解明できたらノーベル賞も夢じゃないのかな?と。

人間の中で過去の記憶を一瞬で呼び覚ませる能力はどこにあるのだろう?
海馬だろうか?だとしたら私の海馬くんはまぁカードゲームに夢中で全く役になってない。
(いまの一文、思いっきりスベっているのが肌で感じられるが……それはともかくとして……)


人間は脳ミソはほとんど使ってないらしいのでもう少し使えるなら進化はどんな風になるんだろうか?
今のままでは完全にAIに負けている。
ひと月前どころか数日前のこともあやふやだ。

もしかして使わせないのは進化が早すぎると滅びるのも早いからか?
そう考えてくると、忘れることで良いこともある。

忘れるから過去の怒りや悲しみも鮮明さは失われ、こころの在り方で相手を許すことが出来る。
これはAIには真似できない。

逆に言えばAIに感情をインプットしたとしても客観的、総合的な判断による感情だろうから主観性より客観性が強い感情になるだろう。
人間も主観より客観的になれれば感情の行き違いなんてものも少なくなると思うのだが。

(逆に言えば人間の脳みそは起きたことを自分の好きなように脚色する能力が高いから、記憶なんであてにならないとも言える)
いつまでも起きたことを正確に覚えていて自分の当時の感情も完全にインプットしていたら感情は十年前のものであっても今起きたことのように感じられるままだ。
負の感情の場合、それで人生は楽しいか?と言えば否ではないだろうか。

人間の記憶のいい加減さが人間をストレスから守っているのかもしれないと思えば覚えていなくても幸せに生きることはできるのかもしれない。
そして、あやふやな記憶が良い思い出を更に淡く霞ませながら美化するのではないだろうか。だから思い出は美しくもなるわけだ。
人間の脳のいい加減さは色々なことをうやむやにしながら、新たな感情を私たちに起こさせることも出来る。

ホントに人間、謎だらけ。(結局自分の忘れっぽさの改善には何も繋がってないお話)

まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!