見出し画像

【社会人向け】「我慢」することの価値について徹底解説!

  • いつも「我慢」ばかりしてしまって辛い・・・

  • 「我慢」することのメリットがよく分からない?

  • 「我慢」することのデメリットも教えて!

 今「我慢」することを受け入れ、将来きっとよいことがあると期待しているが、実際はよいことは訪れず、ひたすら「我慢」を繰り返す負のループに陥ってしまうケースは非常に多いです。

 私は今では過度な「我慢」をしないようになりましたが、10代の頃から極端に我慢する人生を歩んできました。しかし、体調を壊した時に我慢することが人生の目的になっていたことに気付き、同時に我慢することにどのような価値があるのか考えるようになりました。

 そこでこの記事では、「我慢」にどのような価値があるのか述べます。

 この記事を参考に「我慢」を繰り返す負のループから抜け出せれば、苦楽のバランスのとれた充実した人生を送れるはずです。

<<「我慢」することの価値について今すぐ見たい方は下記のとおり

  • 我慢することの一般的な価値
    自己制御、長期目標の達成、他者への配慮

  • スタートが「我慢」ならばゴールも「我慢」してしまう結果になってしまうため、「我慢」と反対の「素直」な行動をスタートにする

  • 「我慢」が必要な時はあなたが待つことで自分や周囲の人を幸せにすることができる時であり、無条件に「我慢」を受け入れてはいけない



1.「我慢」することの一般的な価値とは?

一般的には我慢することには次のような価値があると考える。

  • 自己制御:自己制御力の発展につながる。欲求を制限し、慎重に勝つことや困難な状況に耐えることは、個人としての成長や内面の強さを養うことに役立つ。

  • 長期目標の達成: 短期的な欲望を抑制して長期的な願望を実現するための必要なステップになる。例えば、健康的な生活習慣や学習に集中することで幸福を追求することができる。

  • 他者への配慮:我慢をすることは、他者への配慮や社会関係の維持に役立つ。より良い人間関係を構築することに繋がる。

 上記のように、私も人生において「我慢」することには一定の価値があると思うが、一方で過度に「我慢」することにはデメリットがあると思う。ここでは私の経験をもとに我慢することのデメリットについて考える。

2.スタートが我慢ならゴールも我慢

 私はこれまで我慢することは無条件に価値があると信じてこれまで生きてきた。更に言うと好きな事を楽しんでするより嫌いな事を我慢してする方が価値がある生き方だと思い込んでいた。今、冷静に考えると実に不自然な思い込みである。きっとみなさんも異常だと思うはずだ。これまでの私は自分にとって苦手なことにあえて挑戦し、その苦しみを我慢することでいずれよい結果が出て幸せになると信じていた。しかし、結果は心身がボロボロになっただけだった。人生は円運動に似ておりスタートが我慢ならばゴールも我慢になってしまうのだ。すなわち、「我慢」の軌道を進んでいることだ。逆にスタートを「快適」にすると、ゴールも「快適」になることになる。快適な軌道を進むからである。別に例えるなら原子構造に似ていると思う。面白いと思う。なではなぜ私はこのような思い込みに囚われてしまったのだろうか?

3.素直な気持ちを大切にする

 原因は様々あるが育った環境の影響が一番大きかったのではなかろうか。両親は「おもしろ楽しく生きる」ということに対して嫌悪感を感じる人間だった。なぜ、そのような考え方になったのか?両親は強烈な劣等感を抱えており自己否定感に苛(さいな)まれていたからではないかと思う。そして、その自己否定感から「自分が楽しむ」ことより「他人から羨ましがれる」ことが価値があると信じ、我慢を必要としてしまったのではないかと思うのである。最近はこの考えに辿(たど)り着いたおかげで、両親に対して苦しい思いを背負ってきた一人の人間として客観視できるようになったのである。そして今はこの両親を反面教師として、ただ我慢するだけの人生から卒業して「我慢」の反対語である「素直」な行動をとるようにしている。
 具体的には私は毎日午後10:00までに寝るようにしている。そして、結果的に毎日朝6:00に起きることができ、会社に行くまでの時間に自分の関心があることについて勉強ができているのである。もし、私は以前のように我慢が目的の人生を歩んでいたなら朝6:00に起きることが優先となり、眠いたいのを我慢することが目的になり、我慢している自分が称賛されるべき人間だと勝手に思い込み長続きしていないだろうと思う。夜10:00までに寝るという行為は眠たいから寝るという「素直」な気持ちを優先する生き方を選択したため、朝、我慢することなくスッキリ起きられ、会社に行くまでの間、退屈だという素直な気持ちから熱中したいという感情が生まれ結果的に興味のあることを勉強できているのである。要するにスタートを「素直」にすることでゴールも「素直」な結果になるのである。

※苛(さいな)まれる・・・苦しめられること

4.我慢したい理由とは?

 ただ、両親だけが原因であるとは必ずしも言えないこともある。それは自身の自己肯定感の低さが我慢をすることを選択させているのではないかと思う。自己肯定の無さから自分がおもしろ楽しく生きることより他人から高い評価を受けることに関心があったのである。他人の気を引こうとして我慢している姿を見せていたのではないかと思う。他人から評価されなければ存在する価値がないと自分勝手な思いこみから出る行動だ。確かに他人から見ると我慢している姿は異常に見え一瞬だけ同情されて気を引くがただそれだけで尊敬はされないのである。最後には意味なく我慢した結果、疲弊した心身が残るだけである。

5.我慢が必要な「時」とは?

 ここまで我慢はよくないとういことを述べたきたが我慢が必要な場合もあると思う。正確にはここでいう「我慢」とは「待つ」ことである。待つことは自分にとって意味のあることのためにすべきである。それは自分の存在意義を示す時である。例えば、あなたが待つことで自分や周囲の人を幸せにすることができる場合である。また、待つことは自ら主体的にするものであり、他人から強制されるものではない。待つことを主体的に楽しくすることに価値があると思うし、自分が生み出す価値を社会に提供できるのではないかと思うからである。

6.まとめ

 最後に私は我慢をすることを全て否定するつもりはない。「我慢」を無条件に受け入れることがよくないと言いたいのだ。何のために我慢するかが大切なのだ。無意味な我慢は時間の無駄であると考える。我慢する前に本当にその我慢は必要なのか?我慢することが目的になっていないか?よく考えなければいけない。

【「我慢」することの価値について】

  1. 「我慢」することの一般的な価値
    自己制御、長期目標の達成、他者への配慮

  2. スタートが「我慢」ならばゴールも「我慢」する結果になってしまうため、「我慢」と反対の「素直」な行動をスタートにする

  3. 「我慢」が必要な時はあなたが待つことで自分や周囲の人を幸せにすることができる時であり、無条件に「我慢」を受け入れてはいけない


最後まで読んで頂きありがとうございます。
皆様が充実した人生を送れるよう応援しています!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?