今日は祖父(母方)の命日。

ターコイズ*ミントです。
いつものようにハイテンションでは話せない。というのは、一年前、大切な家族を失いました。高校2年生で祖母(父方)を亡くし、20歳の3月にまた一人、大切な家族が亡くなりました。

今日は祖父(母方)の命日です。

祖父は2020年3月6日で極楽浄土へ旅立ちました。

私のお家は仏教の浄土真宗大谷派を信仰しています。バリバリしている、というわけではございませんが。

今回は、祖父との思い出とか葬儀の様子でも語ろうかな、と思っています。ですます口調とである口調が混ざっていますが、ご勘弁ください…。

私は習い事の水泳を終え、書店で買い物した後、いつも母方の祖父母のお家に遊びに行ってました。そこで、お菓子を食べたりのんびりくつろいだりしましたが、私はよく祖父と話していました。身体が不自由でベッドに横たわっている祖父のところにトコトコ歩いて、ゲームの攻略法をベラベラ喋ったり、ヨッシーのぬいぐるみ(なんと、1体だけじゃないんです)で遊んでいたなぁ。祖父がヨッシーズを揶揄っている時、よく「ごめんなさいは?」と私はムッスーとなって祖父に謝らせていた。それと、学校であったことも真摯に聴いてくれた。「私の班ね、私以外の人、意見出してないんだけど」と愚痴った時、祖父は「(そういう人たちは)勝手に評価が下がるから」と言ってくれた。彼は「お前のまとめ方が悪い」なんてことは言わなかった。

祖父は、何回か入退院をしていましたが、亡くなる前は私が高校2年生くらいから最期まで入院していました。

去年の2月、祖父の寿命が危ういという連絡を受けた。後期期末試験を終え、私は母に「今のうちに祖父に会いたい!!!」と伝え、会える日に病院へ直行した。祖父の容態はみるみる悪化していく。「水飲みたい…!!」・「心臓が痛い…!!」と苦しそうだった。私はそんな祖父に何もできなかった。見守ることしかできなかった。

最悪なことに、2月の下旬、病院が面会の制限を出した。コロナウイルスのせいで頻繁に祖父に会いにいくことができなくなってしまった。制限が出されてから祖父の容態が悪化しないことを祈るばかりだった。会いに行きたくても、危篤でない限り、病院に行けないのだから。

「祖父の意識がない」という連絡が入ったのは、3月5日。亡くなる前日だった。しかし、面会に行けたのは母、叔父(母の兄)、祖母だけだった。人数制限されていて私たち孫は会いに行けなかった。もう祈ることしかできなかった。

…そして、

祖父は2020年3月6日の朝、極楽浄土へ旅立ちました。

最初は涙なんか出なかった。あまりにも唐突すぎたのか。だが、いつもより早く(午前5時半前後)起きたのになかなか二度寝ができなかった。

私たち孫は翌日の湯灌にて祖父のご遺体と立ち会うことになったのだ。

上記の通り、午前は涙なんか出なかった。なんでだろう?

だが、午後になり、涙が突然出てくるようになった。兄と祖父の話をしているうちに涙がどんどん溢れてくるようになった。ストップしたくてもストップしなかった涙。祖父が亡くなったのは寿命であって、誰のせいでもない。それなのに、「祖父が亡くなるかもしれないと思い込んだせいで…!!!」と自分のせいにした。母が帰宅した時、線香の匂いがした。

祖父は本当に亡くなったんだ…

と現実をより強く実感したものだ。なんて残酷なんだ、現実は。

それだけじゃない。コロナウイルスのせいで祖父に会えなくなっちゃったんだ。祖父を看取ることすらできなかった。

コロナウイルスめ…!!!!!

現実を強く強く恨んだ。コロナウイルスがなければ祖父に会いに行けたのに、コロナウイルスを許さない。コロナウイルスがまだまだ流行っているが、早く終わってほしい。私をはじめとした我が家のように悔しい思いをしてほしくない。コロナウイルスよ、早く消えてほしい。

これ以上、尊い生命を奪うな!他者との関わりを制限するな!

おっと、話が脱線してしまいました。


2020年3月7日。葬儀一日目。

遺族待機室にて祖父のご遺体と対面する。母が顔を覆う白い布を外した。祖父はもう息をしていなかった。駄目だ、涙がますます止まらなくなってしまった。私は祖父から授かったマスコット(厳密に言えば、祖父が叔父から貰った医薬品に付属していたマスコットを私に授けたらしいです)を握りしめながら湯灌の準備を待っていた。祖母(父方)の葬儀の時のように貰ったものを握りしめながら待機していた。祖父が棺に納められた後、不思議なことが起こる。

パーンッ!!!!!!!


なんということだ…。

私の数珠がバラバラになった。

まだまだ丈夫で使えそうなのに、急に数珠が壊れてしまった。納棺が終わるギリギリまでなんとか保ったようだが、数珠が見事に壊れてしまった。母は「昔、よくじいちゃんと腕相撲したからやられちゃったかも」と私に言った。言われてみればそうだ。祖父母の家から帰宅する前、よく祖父と腕相撲したもんだ。祖父はもしかしたら私を励まそうとしたのか?よく分からないが、祖父が私のそばにいることを伝えたかったのかも。この後、お店で新しい数珠を買いに行き、一回自宅でお昼ご飯を食べた。

お昼ご飯の後。また祖父のところへ向かった。祖父は葬儀会場へ運ばれた。私たちもスタッフ様の後に続いて会場へ向かった。

会場に着き、スタッフ様がお通夜の準備をなさっている時、私たち遺族は待機。私はとにかく祖父から授かったマスコットを握りしめるばかり。時々、姉と折り紙で棺に入れる鶴を折ることもあった。祖父が寂しくないように。

夜、お通夜が始まった。

お経を聞いているだけでも涙が止まらない。参列者で唯一泣いていた私。儀式が終わった後、祖母は参列者の方々に祖父の顔を見せた。私も祖母に同行するが、号泣してしまった。祖母は笑顔で「おじいちゃん、喜んでいるから泣かなくても大丈夫だよ」と励ましてくれた。それなのに、泣き止みませんでした。おばあちゃん、ごめんなさい。励ましてくれたのに…。夕食の時も涙が止まることなく、葬儀一日目終了。

そして、2020年3月8日。葬儀二日目。

とうとう祖父と本当にさよならしなくちゃいけない日がやってきてしまった。告別式。その後は火葬。祖父の身体が燃やされる時がやってきてしまった。心の準備なんかできていないのに。二度とおじいちゃんの生前の姿が見れなくなる。骨になっちゃうなんて残酷だ。しかし、私たち人間はそういう運命なんだ。

告別式が始まる前、祖父が納められている棺を凝視した。祖父のことが頭から離れなくて。お別れなんかしたくなくて。祖父のことを私が死んでも忘れまいという気持ちで見ていた。黙って立ち尽くした。

告別式が始まり、お経を聞いた。蘇る祖父との思い出。しかし、祖父はもう帰ってこない。

告別式の後、火葬場へ向かうことになった。霊柩車に乗る前、男性陣が棺を運び、霊柩車の中へ。合掌する際、隣にいた祖母は「泣かなくてもいいんだよ」とまた励ましてくれた。泣いているばかりの私に笑顔でそう言ったのだ。強いな、おばあちゃん、みんな。

霊柩車に乗っている時も私は泣いていた。何故だろう?祖母(父方)の葬儀よりも泣いてる回数が多く、長かった。祖父も祖母もどちらも選べないくらい大切なのに、祖父の葬儀はほとんど号泣していた。隣に座っていた姉に気を遣わせてしまいました。すまない。

火葬場に着き、告別室で最後の最後のお別れの時がもうやってきた。そこでも私はやっぱり涙が止まらず。母は「大丈夫だよ」と私の頭を撫でてくれましたね。私は亡き祖父に「どんなことがあっても頑張るから応援してね」と伝えました。棺の顔だけ見える扉を開け、本当に最後のお別れ。祖父の顔を忘れないようにと。限られた時間の中、ずっと。

そして、おじいちゃんが燃やされる時。
「うっ…!!!」
私は姉にしがみつきました。おじいちゃんが燃やされるのが怖くて。現実が怖くて…。

火葬が終わり、御斎が始まりました。

御斎の途中で、お骨拾いが行われました。

お骨拾いでも涙は止まりませんでした。おばあちゃんの時は涙すら出なかったのに…。

私が「おじいちゃん…」と呟きながらお骨拾いしていたところ、スタッフ様が「もう少しご辛抱してくださいね」と私にやんわりと言いました。スタッフ様もきっと私を励ましたかったことでしょう。スタッフ様、ありがとうございます。

お骨拾いが終了し、おじいちゃんの骨は骨壷に入りました。おじいちゃん、辛かったね。頑張ったね。おじいちゃんの骨を見て、おじいちゃんがどれほど強く生きていたか実感しました。

まずは、今生きている家族に向けて。

葬儀で唯一涙を流していました。それは皆様ご存知の通り、私です。泣くのを我慢しようと思っても皆様のように強くないので泣き止むのは失敗しました。泣いてばかりで困らせてごめんなさい。それなのに、嫌な顔一つもせずに励ましてくれたよね。おばあちゃん、おじちゃん、お父さん、お母さん、お姉ちゃん、お兄ちゃん、ありがとう。これからも強くなれるように精進します。


そして、極楽浄土にいるおじいちゃんへ。

おじいちゃん、私ね、おじいちゃんの孫で本当に良かった!
ううん、おじいちゃんの孫じゃないと駄目なの!
色々お話ししたり遊んだりしたね。でも、おじいちゃんを困らせちゃうこともあったね。わがままでごめんね。
でも、おじいちゃんのおかげで私はもっと強くなろうと思いました。
おじいちゃんが教えてくれたこと、思い出しながら胸を張って生きられるようにしたいです。
おじいちゃん、ありがとう。お疲れ様でした。もうおじいちゃんが苦しむ必要なんかない。極楽浄土で楽しく過ごしてください。私も精一杯生きるからおじいちゃんもより立派な仏様になれるように修行に励んでください。そして、たまに私たちに会いに来てください。今よりも立派な仏様になっても会いに来てね。
極楽浄土から私たちのことを見守っていてね。 
生まれ変わっても、私はずっとおじいちゃんの孫でいたいです。
またどこかで会えますように。

…、今回は今までの記事よりもかなり暗い雰囲気になりましたね…。なんだか申し訳ない。この記事を執筆している時も涙があふれてしまいました。もう泣かないと思ったのに大粒の涙が大量に出てしまいました。…、おじいちゃんとの思い出を忘れないようにと。

冒頭でも書きましたが、私は祖母(父方)も亡くしています。80歳にならないうちに極楽浄土へ旅立ってしまいました。それが、2017年1月8日。おばあちゃんの話もいつか執筆して大事な記録にしたいところです。

私たち人間はいつか必ず死にます。死から逃れることなんかできやしない。大切な家族のお別れすら避けられない。だから、お別れから背いちゃ駄目だ。お別れから私たちは強くなる。亡くなった方々の分まで生きるのが私たちの使命なんだ。亡くなった方々の無念を晴らすためにも私たちは今日も懸命に生きないと駄目だ。生命を粗末になんかしちゃ駄目だ。
私たちは有限の存在。だからこそ何かに励みたくなるものです。

最後までご覧頂き、ありがとうございました。
また次回、お会いしましょう。