心が弱いのはいけない事なのかいという話

あの人は心が弱いから…なんて話をよく聞く。
心が弱い自分を変えた方法、みたいな啓発本やらブログが世の中に溢れる世界、まるで心が弱いのは変えなければいけないような気にさせられる。

心が弱いから宗教なんかに…
心が弱いからあんなものに手を出して…
心が弱いから病んでしまって…

いろんな言葉を聞くけど、どれもいい風に使われる事はない。

私はかなり心が弱い人間だ。
私だって心を強くできるものなら強くしたいが、正直心の強さなんてものは環境云々の前に生まれ持って決まっている事が殆どで、自分の心の限界を無視して動き続けたら本当に心は簡単に壊れてしまうものだ。

私は、自分はどうしてこんなに心が弱く生まれて来てしまったんだ、マインドフルネスをしたって変わらない、自己啓発本を読んでもほんの少しの改善しただけで相変わらずのペースで傷つき苦しみ続ける私の心は弱くてダメだ、とこれまで何度も思ってきた。

そして反対に、心の強い人が羨ましいなという他人への羨望もあり続けた。


でも、いろんな人の話を聞く限り、心が強い人間っていうのは、傷つかない訳じゃないんだと思う。
ただ、傷ついてもそれでも動き続けられたり出来る人だったり、傷ついてもすぐに忘れられる人だったり、傷つくポイントが違ったりする人が心が強い人と呼ばれたりするんだろう。

それと、心が弱いって事は、人の弱さや痛みも理解してあげる事が出来るという才能なんだなと最近は思うようになった。
心が強い人は、どうしても他の人の弱さに心の底からは寄り添ってあげられない。何故なら自分は傷付いたって走り続けられるからだ。
でも、心の弱い人は傷付いた人に同じ目線で寄り添ってあげることが出来る。コースでしゃがみ込むしかない人の気持ちを分かってあげることが出来る。
それは、心が強いと言われる人には出来ない素晴らしい才能なんだと思う。

だからこそ、この才能は大切にしてほしいなと思うのだ。
もし自分が人に優しくできない環境にある人はすぐにその環境から抜け出してほしい。
誰だって自分が死にそうなときに人に優しくすることは難しい。自分がコースでしゃがみ込んでる時に人の応援なんて出来るわけがない。
どんな生き物だって、自分が死にそうな時は人を思いやるより前に自分を中心に考えるしか無くなってしまうものだ。
その結果、自分を守るために人を攻撃したりしてしまうことがあるかも知れないし、自分の方がもっと辛いのにと妬む気持ちになってしまうこともあるかも知れない。

ならばそんな辛い環境からは逃げてしまおう、と思う。
何が辛いのか、どうして辛いのか、どうにか出来ないのか、という最低限の分析をした上で、さっさと新しい環境に行くことはむしろ素晴らしい事だと思うのだ。

もし新しい場所もうダメなら次があるし、またその次もその次だってある。
生きていれば必ず自分に合う世界が見つかるはずだ。周りが押し付けてくる理想の花壇は、あなたが咲ける場所とは限らない。

置かれた場所で咲きなさいなんて嘘っぱちだ、自分が咲ける土壌に行かなければどんな種も咲く前に枯れてしまう。

弱い心を責め立てられる環境っていうのは、もうそれはRPGでいうなら魔法使いに物理攻撃技ばかり使わせるようなものだ。
どれだけレベルを上げたって、魔法使いの攻撃力は剣士以上にはならないんだ。
でも、魔法使いは剣士よりも魔法が沢山使える。
そういう、人には自分が得意なものが必ずある。得意であることが自分にとって当たり前過ぎて気づけない事が多いからこそ、気づけなかったり、または環境によってそれはマイナスポイントだと決めつけられてる事もあるかも知れない。

例えば私はスピード重視効率重視の職場では、行動が遅くて自分の頭で考えて行動するってことができないタイプだったため毎日ボロボロだった。

しかし今の職場はスピードより質を求められ、自分の頭で考えるよりも上の判断を仰いでそれ通りに行う慎重さが求められる場所な為、かなり重宝されている。
むしろ今の職場では、前職場では良しとされていた雑でも速く動いて上の意見を聞く前に自分のルールで行動なんて事をしたら残念ながら厄介者扱いになってしまうだろう。

だから全ては適材適所なのだ。
心が強い人が求められる場所があれば、むしろ心が弱い人が求められる場所もある。

心が弱い事が悪いんじゃない。
むしろ心が強い人には見えない世界が見えているのだ。(もちろん心が強い人にしか見えない世界もあるが、世の中の全てが見える人間なんてものは存在しない)

無理やり背伸びして心が強い人の世界を見ようとするよりも、自分の楽な姿勢で自分の視界から見える幸せを探すっていうのが、一番大切なことなんじゃないかなって、私はようやく気づくことが出来た。それが真の意味での自分を受け入れることであり、自己肯定感に繋がる事なのかと感じる。

みんな違って、みんなダメ。
みんな違って、みんないい。

世間は心が強い人間を中心として出来上がりがちだから気づきにくいが、心の弱い人間には心の弱い人間の生存戦略が、あるのだと私は信じているし、これからも心の弱いまま幸せに生きていければいいと考えている。

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