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生活は掃除と似ている。というか、掃除に似た生活をしたい。私はたくさんを得たい。

掃除が好きだ。単純にピカピカしているものを見るのは心地よい。目に見えない大量の菌たちを根こそぎふき取っていると想像するのも楽しい。

よく身近なものを例えている。今日は生活を掃除に例えてみた。

生活とは掃除のようなものだ。自分に必要ない出来事、感情を乱す出来事には対処する。忘れたり、考えたり、話したりする。それは、ごみをまとめる、それをゴミ捨て場に持っていくなどの作業に似ている。

自分が大切にしていることについていつも考え、行動する。毎日目に入るものを磨く。磨けばそこに自分との関係性が出てくる。そして、ますます自分の中に融け込んでゆく。

また、捨てるということは、それがもう自分にとって必要ないということだ。必要ないというのは、興味がなかったり、持っていると悪影響だったり、それか、自分がすでにそれ自体にすがらずとも持っているときではないだろうか。

捨てる行為ができるということは、それができる状態にあるということ。マイナスをっているのに、本人にはプラスかもしれない。捨てることを喪失と捉えるとき、本当の意味でそれを手に入れていないのかもしれない。

私はたくさん捨てたい。捨てられるようになりたい。捨てるために、私はたくさん得なければならない。得るために、私は捨てなければならない。日用品を買う、おしゃれな指輪を買う、おいしいものを食べる、手に入れる、そして捨てられるように、味わい、愛で、磨き、観察し、所有する。ボロボロになって、もはや自分の一部と化したとき、捨てる。空間、余裕ができ、身軽になる。また新しいものを手に入れに出かける。

私は掃除が好きなので、生活をこう例えたらすごく楽しくなりました。
生活の積み重ねを、人間は死ぬ時に、これが人生だったと語ることになるのでしょう。
あなたは、どんな人生を作っていますか。

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