【私的論考】2020年の終わりに考える「自分で考える」ということ

あー今年もあと少しやな。

夜にアメブロも書く予定なんやけど

このnoteは今年の時事的なことも含めて

改めて思ったことを。


なんといっても今年は「新型」に振り回された一年やったな。

緊急事態宣言からGoToキャンペーン、そしてこの冬の騒動。

マスクをするだのしないだの、経済がどうだの・・・

安倍首相の退陣からの「桜を見る会前夜祭」の問題。

そしてアメリカ大統領選挙での

「妙なトランプ推し」と「異常なまでの日本での報道」


これ、全部今年の出来事やで?(笑)


ワイは「新型」が問題になったときに

「これでおそらくカオスになるな」と思ってた。

そして実際にカオスになった(笑)


ワイが今年を表すのにちょうどいい動画があったので

それをTwitterで呟いた。


ほんまにね・・・これは大事なのよ。

みんな「弱者」になろうとしている。

なんか違うことをしたら叩く気質が、この「新型」の流行で

改めて表出したような気分や。

そして「いろんな情報を見たり勉強したりして発信する人」というのも

いたにはいたのだが

「自分が正しいと思うあまり、人に対しての攻撃的言動が

目に余る」のも今年の特徴だった。


ワイもTwitterで時事に関していろいろ呟くことが多い。

GoToキャンペーンもぶっちゃけ使ってない。

それは「自分で考えて決めた行動」や。

しかし同時に「それが正しい」なんて思ったことはない。

しかし、Twitterみてると、いかにも「自分は正しい、お前は間違ってる」と

言わんばかりの言動をする人がとにかく多い。


ワイは思う。

お前は何様や、と。

同時にワイも何様やと言われんように気を使う。

言動とは、言論とは

「自分の主張もするけれど、ほかの主張もしっかりと認める」

ところから始まるのではなかろうか。


おそらく来年になってもこの混沌は続く。

いやもしかしたらもっと厳しいものになるかもしれない。

いま必要なのは

「頭で考えるだけでなく、現実世界もしっかりと見ること」

なのではないだろうか。


そんなことを考える年の瀬である。

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