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エリート - 「日本と日本人への10の質問」

さて「日本と日本人への10の質問」、5番目のお題は「エリート」。前回の「老い」とは少し違った視点からのアプローチになっているようですが、自分とはまぁ、程遠い言葉だよなぁ、、との感慨から。

■ エリート

「エリート」と聞いてイメージされるのは、個人的には「特権階級」とか「優秀な人材」といった辺り、もうちょっと噛み砕くと、文武両道、人品卑しからぬ、家系がいい、なんて風にも落とし込めたりするのでしょうか。前者はさておき、後者の「優秀な人材」との観点では、以下の2点のうちどちらかの資質を持っている人かな、と個人的には。

① 想定外の事柄に直面したときに、惑わず最善手を判断・選択できる人
② 想定外の事柄に直面しないよう、あらゆるケースを想定して動ける人

またこれは、次の「リーダー」で取り上げられるであろう資質とも関わってくるとは思いますが「率先垂範ができる、模範となりうる」といった要素も含まれるだろう、とも思っています。

日本の指導層にないものは何か、と考えたとき、それは「ノーブレス・オブリージュ」の精神ではないか

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

「ノーブレス・オブリージュ」、直訳すると「高貴な義務」なんて感じでしょうか、元はストア派から来ているとのことですが、現代風では「公共心の発露」なんて方がしっくり来るかもしれません。

ヨーロッパでは貴族や騎士階級は、支配階級であると同時に、国民への責務を負っていました。その最たるものが、武力を持ってさえも国民の安全や財産を守ることです。「体を張って」いるのです。

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

ちなみに「ノーブレス・オブリージュ」との言葉、2020年に亡くなられた台湾の李登輝氏の著作でも副題として挙げられています。その主題は『武士道解題』、日本では古くからなじみのある「武士道」にもあると、そう主張されています。詳細はここでは割愛しますが、日本人の本来持っていたであろう「美学」を想い起させてくれる一冊です。

バブルが崩壊した後ならば、日本のエリートたちは、「体を張った」のでしょうか。彼らは何もせずに、ただ自信を失っただけではないでしょうか。

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

塩野さんは「エリート」を「指導者層」と位置づけていますが、バブル崩壊の頃の日本の指導者層は、、自らが意識して得た「権利」で無いが故に、背負うべき「義務」も意識できていなかった、そういうことでしょうか。

これは何もバブル崩壊の頃に限った話ではなく、311の時の民主党(立憲民主党)の体たらくと、今回の能登半島地震の時の自民党の頼もしさの比較だけでも、違いがはっきりと出てしまっているよなぁ、、とも。

にもかかわらず、いまだに、自分たちのことを棚上げして騒ぎ立てる立憲共産、、もとい、立憲民主党の面々(全員と言いませんが)、危機の時にその本質は現れるよなと思いながら、悪夢の民主党(現・立憲民主党)には二度と政権を任せてはいけないと、あらためて実感させられます。

「権利」に見合った「責任」を意識して果たしていくのは、何も「エリート」と呼ばれる人だけに求められるものではないと思いますが、少なくとも「高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に」なんて無責任極まりないことを口にしないようには気を付けないとなぁ、なんて思いながら。

さて次は「リーダーシップ」となります、切り口的には似てるような気もしますが、どうなりますか。

そういや『機動戦士ガンダムF91』でも貴族云々からの「ノーブレス・オブリージュ」なんて言葉が飛び交ってましたが、続編となる『機動戦士クロスボーン・ガンダム』では中々にシビアな顛末を迎えていたような、、まぁ、うろ覚えです。

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