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「花譜がスプラトゥーンやってた」@04012021

わーーーーーーーーーーー花譜が配信をしていた!!!!!

正確に言うと花譜が、というより神椿が、だ。見ました?見ましょう。


めちゃくちゃ面白かった。あの魔女ガールズが普段絶対に出さないような叫び声上げててめっちゃ笑った。花譜ちゃんは末っ子に相応しいふてぶてしいプレイスタイルだったし、幸祜さんは動きが俊敏すぎて周囲に引かれていた。たぶんゲームをプレイすることに慣れてるタイプだ。



それでゲームに興じ嬌声を上げる人たちを見ていたわけなんですけど、視聴中ずっとなにやら罪悪感に襲われていた。なんだかいけないものを見ているようだった。

これは僕個人の感情の話でしかないので、本当に言い捨てるだけの文章だし真実ではない。でも、分かるっていう人が居たらそれはそれでうれしいのでなるべくわかりやすく書く。

以下感情の腑分け。


何から話すか30分ぐらい考えてたんだけど、花譜ってVSingerですよね、という前提がやっぱり足掛かりになると思う。

花譜は、花譜という作り手と演じ手により結実した存在を通じて、様々な表現を見せてくれるコンテンツだ。(花譜の説明に花譜を使ってしまった。さらにはその花譜も花譜によるもの。再帰的だ~~~)

この花譜という仕組みによる表現は、3年という月日を通じて非常に大規模かつ多岐にわたるようになったのだが、そこにはどうしても隙間が生じる。物体を囲う面と面の間、それは辺ではなく空間的ですらある。そして僕たちにはこの隙間を埋める遊びをしたがる。

だから二次創作ってものがあるんだろうな。解釈バトルを起こしたり、怪文書を書いたり、人の数だけ幻想郷が生まれたりする。

花譜の二次創作、楽しいよね~~~。意味深で寡黙でスケルトンな少女には、やりたい放題できてしまう。


でも結局、面だと思っていたものには厚みがあって、しかもそれは殻の中で、いやおそらく殻の外側で、まっとうに誠実に人生をしていた。すると僕たちの遊び場の面積は減り、しかもきちんと培っていた秘めたる厚みや質感というものを認める必要がある。

この秘められた人格が言い訳できないほど白日の下にさらけ出されたのが件の生配信で、だからそこから目をそむけたくなったんだろうな。

ちょっと結論が変わってしまった。まあいいや。



花譜の二次創作を避けてる人、立派すぎるでしょ。花譜の仕組みを認めたうえで、それに手を伸ばさずにただ増え続ける面とふさがる隙間を眺め続けてたってことでしょ。SCP財団職員かよ。

起こっている物事に期待を抱かずにただ傍観し続けることって難しい。物語性を感じてしまう。えっ、「人生は物語じゃないから」ってこういうこと???ちがう?はい……


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