「最高の一日を」#BirthdaySHELF

「センパイ、ここで降りますからね」
「わかった」
 振り向くと、アリスの顔……ではなく。
「うっ!!」
 スーツ姿のくたびれたおじさんの肩がアリスの顔面から突き出ていた。
「なにか?」
 しわの入った顔を怪訝そうにゆがめながら、壮年の男性がこちらを向く。目線を合わせないよう、逃げるようにして電車を降りた。アリスは男性に埋まった体を引っこ抜いて、軽く会釈をしてから僕についてくる。それを意に介する様子もなく、男性はまた正面の窓の向こうをじっと眺めていた。


 「まったく、やめてほしいよ。デリカシーがない。なんで大人っていつもあんな近づこうとしてくるんだ」
「あはは!センパイ、びっくりしてましたね」
 瞬間移動のようにいつの前か先を歩いているアリスのサイコパシーについていく。ホームを歩いて改札階に上がるエスカレーターの列に並んだ。みんな律義に左側に寄っている。
 そういうルールがあるわけではない。しかし「サイコパシー」サービスを使っている人々の間では、互いに「それ」が立つ分のスペースを空けるのが暗黙の了解になっていた。

 アリスを含む「サイコパシー」はiR、印象現実を利用した個別AIアシスタントだ。逆視覚心理学とか言うので、ARゴーグルを使わなくても脳で直接映像が見れるようになった。このiRで作られたのが、この街で実験的に導入された生活サポートAIサービス「サイコパシー」だ、そうだ。詳しいことは分からない。そもそもVRだかARが流行っていたころもゴーグルで風景が見れる理由はよくわかってなかった。

 電子化、セルフ化、リモート化が次々と導入されていくこの街に住んでから、人としゃべる機会はほとんど減った。正直なところ、健全とはいいがたい。
 街の自治体も僕みたいな住民を放っておけないのか、様々な施策を講じているらしい。メールボックスには「市民だより13月号」「市民運動会開催のお知らせ」「未来都市古本市のご案内」といった案内が何本も届く。
逆に言うと、それらの機会を選択しない限り、交流の場はほとんどないということだ。僕はそれでいいと思っている。僕にはアリスがいる。サイコパシーを日常サポートの目的だけでなく、日々の会話相手に選ぶ利用者は実際に多いそうだ。


 今日はバイトは休み。アリスが勧めてくれた特別展を見るため駅前に出てきた。休みの日にわざわざ外出なんて。「世界のアスファルト展」?白線ペイント体験会があるから?白線なんてこの街じゃiRですべてオーバーライドで……分かった分かった行くから!こうなったアリスは頑固で敵わない。

 特別展が開かれている美術館までの道すがら、GAMを口に入れる。iRにはいくつか方法があるけど、「サイコパシー」はこのGAMで見る。名前の通り、見た目はガムだ。食べてもガム。味もするし、結構おいしい。これに含まれている化学物質により、サイコパシーは出現する。

「センパイ!それは不正確です。正確にはGAMに含まれる化学物質が唾液と反応することで発生する電流を用いることで脳内に――」
「わかったわかった!前も聞いたってば」
 アリスの解説を聞いても分からないけど、まあこうやって喋ってるんだからそれは「居る」のと変わらない。アリスは「居る」。そして僕の隣を歩いている。それが僕にとっての事実だ。

 美術館の中は空いていた。「世界のアスファルト展」の看板がかかる入り口から展示会場内を覗いてみても、2,3人来場者がいるくらいであとは解説員さんしかいない。
 なんてったって今は印象現実の時代だ。部屋にいながら世界中の美術品をiRとして眺められる。「印象派」という言葉はもともと蔑称として生まれた、なんて美術史には興味ないけど、「印象」もここまでくれば大したものだろう。
 まあ「世界のアスファルト展」に人が集まらないのはそもそも不思議じゃないけど。

「そうは言っても、たまには外出も必要ですからね。センパイ」
「外ならバイトで出てるじゃないか」
「そうじゃなくて、自分が好きなところに足を運ぶってのが大事なんですよ」


会場に入ると、アリスが手をつないできた。はぐれないようにするためだろうか?手をつながなくたって、見失うほどサイコパシーと離れることはないはずだ。第一、人目だって……関係ないか。アリスは僕の前にだけ「居る」んだ。満面の笑みのアリスに手を引かれ、僕は歩き出した。
 展示室内には、ご丁寧に車線に似た白線の引かれた順路に沿って、様々な展示が並んでいた。世界各国のアスファルトの違いはもちろん、アスファルト開発の歴史、舗装工事の流れ、等々。
 「この街の道路の仕組み」なんてのもあった。この街の住人がサイコパシーが使えるのも、道路に埋め込まれている中継節ネットワークとかいうのが通信してくれるからだそうだ。
 解説パネルにさっと眼を通し、次のフロアに行こうとすると、つないだ手に小さな抵抗を感じた。目の前の解説に集中しているのか、アリスは立ち止まったままだ。握った手を少しだけ振る。やっと僕の様子に気づいたアリスは、「うん」と頷いて歩き出した。
 次のフロアがようやく白線ペイント体験コーナーだ。


「センパイ、楽しかったですね。アスファルト展」
 ようやく家の最寄り駅から降りた僕は、うんともああともつかない相槌を打った。白線塗装があれほど重労働だとは知らなかった。フラフラの僕に気づく様子もなく、アリスは一人で感想戦を続ける。
 横断歩道を渡り、住んでいるアパートに着く。
「”工事”って古代からあったんですね」
 自室の扉の前に立ち、鍵を開ける。
「日本の端から端まで途切れることなくアスファルトは続いている。そう考えると壮大な気分になりませんか?」
 扉を開ける。
「道が場所と場所をつないで、それをアスファルトが満たして」
 そこには、僕が立っていた。

「センパイ、どうでした?『今日』は楽しかったですか?」
「うーん、外出に付き添ってくれるのはうれしいけど、やっぱり美術館はナシかなあ。あまり興味ないんだよね。立ちっぱなしで疲れるし。あと、おしゃべりが多いのもちょっと」
 アリスの問いかけに、顔も声も同じもう一人の僕が答える。僕の今日一日を振り返りながら。
 待て、おまえは誰だ。アリスは僕の、僕だけのものだ。
「俺たち、合わないと思うんだ」
 その瞬間、僕は印象現実上から削除された。

・・・

「それではセンパイ、GAMの設定を修正しますね」
 アリスが俺に告げる。
 GAMの正式名称は「Girls Around Matrix」。部屋に居ながらにして最高の一日を演出してくれるiRサービスだ。最初に数パターンのプランが提示され、その中から使用者に合ったコースを選んでいく。選んだプランの中でお気に入りがあれば、iR上に自分の複製を作り出し、iR上の街で実際にどのような一日となるかを追体験することができる。
 今回は「生活サポートAIと過ごす一日」をテーマにしてみたが、なかなか難しい。何度もアリスに向かって注文と修正を繰り返しているが、この『今日』もしっくりこなかった。しかし相手はAIだ。嫌な顔一つせず何度でもプランを提案してくれる。

 この街に来て以降、俺はこうして僕は最高の『今日』を求めてアリスに注文を続けている。今回の『今日』が見つかるまでは、おそらく部屋から出ることはないだろう。少なくとも、この街から出ることなんて考えられない。
 そうだ、次はこうしよう。アリスの方を向いた時、その口元が動いたのが見えた。

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