図書館という情報源の塊について

幼少期。私は図書館の虫だった。図書館に入り浸って本を貪る生き物だった。幼少期に喰っていたのは主に物語である。様々な物語の中で夢想的な旅をしてきた。一番心に残っているのは黒ねこサンゴロウという旅猫との思い出だが、一番波乱万丈だったのはハツカネズミ、ミスビアンカとの冒険だろう。あれほど恐怖という快感を味わったことは無い。

その頃から既に物語の便りは綴っていたのだがそれを世界に放出するという概念はまだなかった。一番心が美しかった時期かもしれない。その概念が頭の中にできあがったのはネットワークで携帯小説に巡り会った時だった。その頃は恋空が流行っていた。私はドキドキする思いで投稿サイトにアカウントを作った。そして書いては消して書いては消してを繰り返していた。

青年期になると簡易な言葉で書かれた物語は読めなくなっていた。私は夏目漱石という偉大な師匠の本を読み勉強していたのだ。その学びは読書をする目を肥やした。こうして私は図書館からも小説自体からも遠ざかって行った。唯一接点のあったのは小説家という肩書きだけであった。

図書館を使うようになったのは私がホームレスになってからだった。ホームレスになると家が無くなるのは当然なのだがひとつ偏った認識がある。所謂ホームレス=公園で寝泊まりするようなオジサンという認識だ。これは全くの誤りでこの日本は良くも悪くもホームレスとなったものには施設を提供される制度がある。私はそれに助けられたのだ。具体的な詳細は避けるが、その施設のスタッフが私に図書館を勧めたのだった。

図書館には多くの情報が集結していた。私は物語にはその頃には飽きていて、英語の勉強をひたすらした。その後公認会計士の勉強にも手を出した。一冊の教科書を読み切り紙に書き終わった。

図書館とは美しいものである。あらゆる冒険の入口でもあるし、学びの道が開けている林でもある。

私はリサイクルコーナーの本を片っ端から施設に持ち帰り学んだ。

長くなってしまったがこれが私の散文となった。