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ナンプラーのかほり#1『扉が開いた』

はじめましての方も、そうでない方も、どうもバンナー星人です。

プロフィールにも書いている通り、バンナー星人こと私は、2004年よりバンコクに居を移し、現在バンコクの公立学校で日本語を教えるということを生業としています。職場で日本人は私ひとりで周りはタイ人、パートナーもまたタイ人、そういう点では、割と濃い目のタイ移住生活を送っているのかもしれません。タイに移住したのが36歳の時。それから20年近くの時が過ぎ、私もそれなりに歳を重ねてきたこともあるのか、最近「こんなこともあったな、あんなこともあったな」なんて思い出すことが増えてきました。しかし、ひとりで感傷に浸っているのも勿体無い。そこで、このNOTEを利用して、私がタイに移住した2004年から現在に至るまで目にしてきたこの国の景色を、心のアルバムをめくりながらみなさんに紹介できればと思い立ったというわけであります。そのアルバムタイトルは「ナンプラーのかほり」。このNOTEがみなさまにとって、慣れると癖になる、あのタイの調味料「ナンプラー」のような存在になってくれればと願っています。

記事は時系列でお送りするわけではなく、古い過去と新しい過去が交錯するそんな作りになると思のですが、第1回目となる今回の記事では、やはりアルバムの1ページ目、初めて私がこの国に降りたった日の出来事を描いてみようと思います。

私が旅行でタイを初めて訪れたのは2000年4月。当時30代前半だった私はそれまで海外に全く興味がない人間で、そのタイ旅行にしても知りあいに無理やり誘われてのものでした。当時はまだサーチャージなるものもなく、シンガポール航空で往復28000円と格安だったことも手伝い、1度ぐらい行ってみてもいいかというほんの軽い気持ちが芽生えたことが、今となって思えば、私の人生を大きく変えることとなったのでした。

その日、機内モニターの運行マップにてタイという国がアジアのどこに位置するかを初めて知ったぐらいだったので、自分が降りたった空港の名前がドンムアン空港だということもわかっていなかったのでしょう。ただ、不思議なもので、ターンテーブルにスーツケースが流れて来るのを待つ間に感じた「なんかカビ臭いところだな」という匂いの記憶だけははっきりと脳内に残っているのです。

クーラーの効いた空港から出た途端、湿った暑い空気がまとわりついてきました。これが噂に聞く南国の空気感かと思いながら、乗り込んだタクシーが空港構内を出て、降り注ぐ日差しを浴びたまさにその時です。助手席に座っていたわたしの目にあるタイ語の看板が「飛び込んで」きました。その時の感覚はどうやってもうまく説明できないのですが、まるで脳の奥にある秘孔を深い針で刺されたような感覚を味わったのです。初めてみるはずのタイ文字が私に訴えてきたのは「この文字読めるぞ、いや読めていたことがある」そんな記憶の断片でした。誰かに話せば一笑に付されるようなそんな話ですが、その時「なにかに繋がった」ような感覚は非常に生々しいものでした。みなさんも映画やドラマで、あるきっかけで記憶喪失の主人公が何かを思い出しそうになるシーンを見たことがあると思いますが、それに似た感じと言えば少しは伝わりやすいかもしれません。

あの時の「なにかに繋がった」ような感覚を人に話すと、「それはタイ人だった時に過去世の記憶なんじゃないか」と言われることも多く、確かにそれが一番シンプルでわかりやすい説明であるとも感じています。ただ、自分の中でその説は「可能性は否定はできないけれども」程度のもので、「かすってはいるが何かが違う」という疑念がずっと心に残っていました。実はつい最近も酒の席で、この話を知人にしたことがあったのですが、その時にふと自分の口からこんな言葉が漏れ出たのです

「もしかするとあれは未来の自分と繋がっていたのかも」。

たまに「タイに移り住まなかったらどんな人生を送っていたのだろう」と考えてゾッとすることがあります。実はそれほどまでにわたしは今のこのタイでの暮らしに満足しているということなのですが、「幸せ」と呼び変えてもいいであろうその「満足」は、タイでタイ人と仕事や暮らしを共にすることによって得られた「心の持ち方」「知恵」に依るところが大きいと感じているのです。

そんな心の平安を得た「現在」の自分が20年前の「すべてに不満だらけだった」自分と会ったならばどうするでしょうか。きっと「こっちに来いよ」と声をかけるはずです。初めてタイ語の看板を見た時に「この文字読めるぞ」と感じたのも、あの頃からすれば「将来」の自分である「現在」の自分の脳とリンクしたとすれば謎も解けるというものです。タクシーの窓から見えたあのタイ語の看板はもしかすると、あの時の私と現在の私をつなぐ、扉の役割を果たしてくれたのかもしれません。頭のおかしな話とはわかっていますが、それでもどこかで、そんな「ありえない」こともこの国なら「起こりえる」んじゃないかと思ったりもするのです。なんといってもここは「アメイジングタイランド」なのですから。

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