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ナンプラーのかほり#2 「残り汁」

「タイの好きなところといえば?」という質問の上位、いやもしかすると1位に輝くのではないかという回答が「タイ料理」ではないでしょうか。その「タイ料理」に欠かせないのがナンプラーと呼ばれる魚醤。タイ語で「魚の水」という意味のこのナンプラーは、今でこそ日本のスーパーでも手に入るようになりましたが、昭和生まれの私世代からすれば、まだまだ得体の知れない代物だったわけです。さて、今回はこのNOTEのタイトルにもなっているその「ナンプラー」と私の初邂逅の思い出を書いてみたいと思います。

それは2回目のバンコク旅行の時でした。たしか、時期を同じくして友人がバンコクに行くというので、現地で落ち合おうということになったと記憶しています。その友人と夜のシーロムを散策していた時です。「小腹が空いたから、ちょっとここで休憩」と彼が急に道端で立ち止まった、そこにあったのは、クイッティアオ(麺)の屋台でした。

と言っても注文したのは、小腹を空かしていた友人だけ。旅慣れてるなぁ、などと尊敬の念を抱きつつ座ったテーブルには、衛生状態の悪そうな飲み水が入ったプラスチックの水差しと、なんだかよくわからない調味料が置かれていました。

その友人は「この水飲んだら死ぬからね」なんて軽口をたたきながら、先ほどのわけのわからない調味料たちを運ばれてきた麺にぶち込んでいきます。彼が少し得意げに正体を明かしてくれた調味料とは、「ナンプラー」「唐辛子」「お酢」に「砂糖」。これがあのナンプラーかと、興味本位で少し匂いを嗅いでみたのですが、お世辞にも食欲が湧くようなものではありませんでした。こんなものを入れたら、せっかくのスープの味が台無しになるのでは?と思ったことを覚えています。

しかし、ナンプラーのしょっぱ味、唐辛子の辛味、酢の酸味に砂糖の甘味とまるで風林火山のように性質の違うものをぶち込んだスープというのは一体どのような味なのか。おいしそうに食べている友人を、わたしがよほど怪訝そうに見ていたのでしょう。彼は麺をすすり終わった器を指差し、「試してみる?」と冗談っぽく聞いてきました。

いやいや、さすがにそれは、と思ったのですが、好奇心には勝てません。テーブルに置かれていた金属製のレンゲでその「残り汁」をおそるおそる口に入れた瞬間、

「え?めっちゃうまいねんけど」

という言葉が反射的に口から出ていました。

高級寿司屋で初めて口にした土瓶蒸し(バブル成金の息子の家庭教師をしていたので連れて行ってもらっただけですが)も衝撃的でしたが、あの夜の「残り汁」はそれを凌駕するぐらいのインパクトを僕に与えてくれたのです。何色ものペンキをぶちまけたようなそのエネルギッシュな味は、土瓶蒸しのお出汁といった上品で洗練された旨味よりも、わたしの口には合っているとも感じられたのでした。

で、あの夜のことを思い出しながら、今、ふと思ったことがあります。バンコクという街自体も、あの味に似ているのではないかと。ポルシェを運転する若者、首からスピーカーをぶら下げて歌う盲目の物乞い、高級デパートで爆買いする中国人、そのデパートの化粧品売り場にいるお世辞にも綺麗とはいえない女装の男性、そういった多種多様な人間ひとりひとりが、まさに「調味料」となってこの街をエネルギッシュに彩っているのではないでしょうか。また、そのバンコクが今まで住んできたどの場所よりも落ち着いて感じられる私という人間もまた、「洗練」とは対極にいる種類の人間なのでしょう。

バンコクに住んでから、今まで食したクイッティアオのどんぶりを積み重ねたら一体どのくらいの高さになるのだろうと想像してしまうほど、クイッティアオを日常的に口にしているためか、残念ながら、あの夜の鮮烈な味の記憶はすっかり薄れつつあります。それは長年連れ添ってきた夫婦が、「この人のどこを好きになったのか思い出せない」と口にするのに似ているのかもしれません。今さら恋には落ちないけれども、それでもこれからも一緒に生きていく、クイッティアオは私にとってそんな存在なのだろうか、と、とりとめのないことを考えながら、今となってはもはや面倒臭げにナンプラーをスープにぶち込んでいくのでした。



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