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幸せとはバランスなのかも 『プラダを着た悪魔』を観て

主人公のアンディと自分をすごく重ねてしまった
彼女は自分のステップアップの為に仕事を始めた
ファッションに1mmの興味がないのにもかかわらず
そして理不尽で失敗だらけ

それでも頑張った
きっと作中には描かれていない程に、いろんなことを犠牲にしたと思う
時間もお金も友人も恋人もプライドも自分も。
それでも努力は報われないし、認めてくれない
優しい言葉もかけてもらえない

嫌になるよな。
そして彼女は頑張った
ミランダに認められるまで
ダイジェストですっ飛ばされてるけど、死ぬほど頑張ったはず
毎日毎日毎日毎日
嫌なことがあったも前を向いてひたすらに頑張った
そんなの俺にはできない。きっとできない
そんなに頑張る意味をきっと見いだせない
そしてすごく自分を重ねた
あの、大号泣して自分を見失った日を重ねた。

頑張って頑張って頑張って頑張って
それでもその期待を崩すのは一瞬で
自分に、環境に、社内の人に
見捨てられるのは一瞬なのよ

その瞬間、自分がわからなくなる
自分が何をしたかったのか
色んなものを犠牲にして、自分すらも犠牲にして
それでも成し遂げたかったことって何なのか
「幸せ」って何なのか。
自分は誰なのか。

見ていて心が苦しくなった
それでも彼女は輝いた。本当にすごい
尊敬をする。
でも、俺はアンディみたいになりたいわけじゃない。
幸せっていつだってわかんないけど、「バランス」もあると思うんだ。
すべて仕事人間になることがすべてじゃない。
仕事をどうでもいいと思ってるわけじゃない。
悪く言えば中途半端なのかもしれないけど
全部が適度にうまくいってるくらいがちょうどいいのよ
わがままいって仕事は通用しないのかもしれない
でも、自分だけは守りたい


「ありのままで」
これを大事にしていた自分は素敵だったし
教師のときの自分は大好きだよ


ビジネスってすごいよね。
結果がすべて出し、その過程はどうでもいいのよ。
でもそうなると人の優しさに気づきにくくなるんだよ。

人の正確も人の気持ちも、その人の私生活や環境も。
そんなこと誰も何も気にせず、自分の大切なものをいとも簡単にぶち壊してくる。

それが当たり前なのかもしれない。
でも、俺はそうならなくていい。
そんなもんだろってなりたくない。

仕事の為に、お金のために、家族のために
自分が大切にしたくて守りたいものが例えあったとしても
そんな非情な人間になりたくない
自分を曲げてまでやりたいことなんてあるのだろうか


まこなりがよくいってるよね
「人生の成功はいかに信念を貫いたかで決まる」
きっとそう。

成功って?幸せって?
自分が納得する人生を自分で選んで進んだなら偉いし幸せ。

誰のための人生なのよ。
誰にとっての幸せなのよ。
じゃあ、やっぱり仕事に依存したくない。
でも、お金も稼ぎたい。
だから頑張ろう。
何かに捧げる人生じゃなくて
きっとバランスも大事なのよ。

教師に戻るよ
感動のある日々も送るけど。
お金があることで得られるものもある
その理想を捨てるのはあまりにも早すぎるさ。

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