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企業と企業と個人~実写化ということ

女性漫画家が亡くなった。

「犯人捜しをするのは故人も望まない」と言う人もいるが、それは半分当たっていて、半分はズレている。
自殺は、以後の権利をすべて放棄する行為だ。その後では望むも望まないもない。そう想像するのは発言者の思い入れでしかないし、それに、この酷い結末に対して関係者はまだすべきことがある。
しかし、「誰が悪い」という私刑じみた追及は意味がないというのも事実だ。多くの人は、一読者以下でしか関わりがないからだ。

漫画の実写化は過去にも幾度か炎上している。今回、亡くなった方のブログ掲載によって起きた波紋は、彼女が発端でなくともいつかはこのくらいの大きな反応になるだろう、という種類のものだった。
愉快犯的におもしろがって便乗した一部(いるのかは知らないが)を除けば、反応した人たちのほとんども「悪く」はない。それほど、いわゆる実写化の「改悪」による炎上は何度も起きており、それぞれの原作ファンはもうずっとうんざりしていた、ということだ。
それに放送局や出版社に爆破予告や嫌がらせ電話が殺到したわけではない。迷惑行為があったとしてもニュースとして大きく取り上げられるほどの規模ではなかったのだろう。

女性漫画家の死に至るまでの経緯として
・実写化における原作者側から提示された条件が守られなかった
・出版社を通じて協議したが、難航していた。結果、ラスト2回を原作者が脚本を手がけた
・上記について脚本家がSNSでコメントする
・上記ののち、原作者が脚本の理由をブログ公開する
・原作者がブログ記事削除
・脚本家コメント非公開
というポイントがある。

まず、第三者からわかるのは、作品についてのすべての権利を持っている原作者が提示した「条件が守られない」という大きな問題である。
この大前提について、制作したテレビ局は「守っている」ことを証明しなければ、契約を破っていた、ということになる。刑事問題ではないが、その証明ができなければ、今後、そのテレビ局に作品を預けたいと思うクリエイターは激減するだろうから、テレビ局のトップは経営判断として、その調査をすべきだろう。

次に出版社は、作品を守るために十分な行動をしていたか、自ら潔白であることを示す必要があるだろう。「原作者を守るための調整はどれだけ行われていたか」(これはブログ記事によれば、何度も繰り返してはいたようである)、「脚本家のコメントについてどういう対処をしたか」など、原作者と作品を守るために、何をしたか、できたか、これから何をできるか、である。多くの作品を擁する出版社であるため、所属する作品の関係者からはそのような目で見られることだろう。これは担当者レベルではなく、内容によっては出版社全体のレベルでの話だ。

3つめに脚本家のSNS発信に問題はないのか、という点である。
私も自由業をしていたことがあるけれど、通常、仕事を請け負った場合、内容について一定の秘密保持が契約に含まれる。件の脚本家はテレビ局とそのような契約を交わしていたはずであり、放送終了直後の作品について「苦い経験」と発言すること自体、モラルとしても考えられない。身内の慰労会ではないのだ。テレビ局はこれを問題視しなければならない。もし、この程度の発言は問題にならないのであれば、このテレビ局およびこの脚本家に作品を預けると一方的な状況で「苦い経験」などと発言されることを覚悟しなければならない、ということになる。

4つめ、個人の資格で経緯を公開してしまったことについてである。原作者が、作品を守るためにどうしても脚本を手掛けなければならなかった、その理由は出版社から発表されるべきだった。なぜなら、実写化した相手は企業であり、この原作者は個人だからだ。脚本家が嫌味(あのタイミングでの「苦い経験」は十分その要素を持っている)を言う相手は個人だが、漫画家がそれに抗しようとすれば相手は企業になるのだ。会社化していればまだしも、一個人が企業を相手にするのは非常にリスクも負荷も高い。これを出版社で対応できなかったのか、ということだ。
そうでなくとも、出版社は自社作品の実写化について「苦い経験」などと発言した、スタッフ(あくまで雇われた人間に過ぎない! 番組の責任を負うべきプロデューサーですらない)の立場にある人間の無礼さについて抗議して然るべきだ。
当然、所属する作品の関係者は同様の事件が起きたときに、どこまで行動してくれるだろうか、という視点を持つだろう。

5つめ、ブログ記事削除の背景である。
SNSに波紋が広がったためだ、あるいは関係者から抗議が来たのでは、などいろいろ想像されているが、そこは問題ではない。重要なのは「個人が自身の作品について意見を公表したことに、外部から圧力を加えられなかったか」という疑いを持つことである。これは犯人を特定しろという意味ではない。
個人はとても弱い。窓口に別のスタッフを用意していなければ、すべてひとりで背負ってしまうことになる。彼女も意見を述べるとき、相当な覚悟でもって臨んだはずである。にも拘わらず削除した、そのときに、何らかの圧力がなかったか、それは疑わなければならない。
とはいっても、存在のあるなしを証明することはほぼ不可能だろう。だからこそ、クリエイターの権利を守るなんらかの手段は確保されていなければならない。ヒット作があったとしても、すべてのクリエイターが会社組織にしているわけでもなく、ましてや漫画家は大御所から新人まで層が厚い。
これは業界が考えていくことではあると思うけれど。
コンテンツ大国を名乗るのであれば、クリエイターの権利はどの国よりも守られているべきだろう。それなのにこんなにも無下にされている、この女性漫画家の死がとてもやるせなく、やりきれなく、悲しい。

私自身は、彼女の作品を知らない。
たまたま読むジャンルから外れていたので、名前しか記憶がなかった。
だから外野のなかでももっとも遠い場所にいる人間だし、思い入れもない。
それでも、彼女が必死に作品を守ろうとして、そして最期、どんな気持ちで死を選んだのか考えると、重く悲しい気持ちになってニュースを聞いた日は何もできなかった。
当事者どころか関係者でもないし、読者ですらなかった自分にできるのは、このことを忘れずにいることだと思う。
それから、上にあげた問題や課題を当事者たちがどうしていくのか、何もしないのか、時折でも思い出して観察を止めないことだ。
どうかこれ以上失望させないで欲しい。


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