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生い立ちその3〜思春期(高校)

こんにちは。ちゅんです。

生い立ちについて少し書きます。
まだ読んでない方はその1から遡って頂けると嬉しいです。

私にとって一番辛くもあり輝いてもいた思春期は
真っ暗なものでもありました。

父方の叔母が病気で精神的に狂ってしまい、祖父が倒れて亡くなったのをきっかけに、今度は父がおかしくなりました。重度のアルコール依存と双極性障害を併発して、もはや常識では考えられないような行動を取り始めたのです。
私が高校に入った頃からひどくなりました。
部屋は大量のビール空き缶と焼酎の空き瓶で埋め尽くされ、なぜか父は家中のドアというドアをバタンバタンと開閉しまくっていたのです。明らかに異常行動でした。そのほかに、真夜中に車の中で大音量で同じ音楽をかけ続け、自宅内でも聞こえるほどだったので、
またはじまったか、とため息が漏れました。
また、夜中にいなくなったかと思うと、近所の知り合いの家から電話が掛かってきて「お宅の〇〇さんが、うちで半裸で踊っているから、今すぐ迎えにきて欲しい」という信じられない内容だった事もあります。
自宅での奇行の他に、ついに職場でも異常行動が見られて、職場の休憩所にあるTVのリモコンでTVを延々と付けたり消したりしていたそうです。見かねた同僚の方からまた連絡を頂きました。
父は度々精神病院に入院しました。

その頃、私は高校にあがり、真っ暗な自宅の環境とは裏腹にすごく充実した日々を送っていました。友人もたくさんできて、高校の普通科でしたが授業も楽しく、部活に打ち込んで土日もずっと部活でした。
今思えば、高校生活があってこそ私のメンタルが保たれていたのだと思います。父がいる自宅に帰るのが嫌で嫌で、でも母や兄弟が心配でもあったので毎日帰るという感じでした。
父はもともと無口で穏やかなタイプでしたが、病気になってからは全く別人となってしまい、しかもどんどん悪化していくので本当に辛かったです。父が若い頃会社の出張で海外に行った頃の写真が出てきて、あの頃の父はもういないんだなと何度も泣きました。

高校生活で、私に転機が訪れたのは高一の終わり頃です。部活の顧問の先生から「あなたは将来何になりたいとか目標はあるの」と聞かれ、何となく絵を描いたりするのが好きで得意なくらいで、他に取り柄もなかったので「美術の先生になりたいです」と答えました。すると顧問の先生が、そのまま「じゃあ美術の先生に今から弟子入りしよう」と私を美術室に連れて行き、そのまま美術の先生から直々にデッサンなどの基礎を教えてもらう事になりました。

ここから私はクロッキーの課題を渡され、(クロッキーとは、デッサンよりももっと短時間で物の形をとらえるスケッチを更に精度を上げたようなもの)毎日数枚のクロッキーをひたすら描いては先生の添削を受ける、という事を続けました。始めは円柱、三角錐、箱、そこからコップや布など少しずつ短時間で正確に形を描けるように訓練しました。これはかなりキツかったです。次第にクロッキーを卒業し、デッサンを教えてもらうようになりました。
高校に朝一で行き、誰もいない美術室で石膏像を描いてから授業に戻り、放課後は部活に行くという日々を送りました。家にいるのが辛かった私は、高校でのこうした日々がとても幸せでした。ぼんやりとした目標でも、それに向かって打ち込む事に心地よさを感じていたのです。
この頃好きだった作家は、ヴァシリー・カンディンスキーやクロード・モネ、エドガー・ドガなどメジャーな作家でした。

その頃から、美大に行くのが目標になり、
高2の春には美大受験のための予備校に申し込みをしました。夏休みや春休みにデッサンや油彩を習いに行き始めたのです。そこでは同じ志の同士が沢山いて、とても楽しかったです。
家の状況が悲惨だったため、余計輝いて見えたのかもしれません。
素晴らしい高校生活と夢のような予備校生活が夢中で過ぎ、私の高校時代は光と陰のギャップがとにかく激しいものでした。

続く

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