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また再来年くらいに同じところに行ってほしい(読書感想文:シャニマス サマー・ミーツ・ワンダーランド)

夏の長編アニメ

イベント開始直後のニコ生で「夏の長編アニメみたいに作りました」と聞いたため、かなり身構えていたのです。
というのも、夏の長編アニメと聞くと、私は「変化と別れ」という、かなり重いキーワードを連想してしまうのです。

「夏の長編アニメ」と括ったとしても、いろいろなイメージがあると思うんですね。
私にとっての夏の長編アニメは、インターネット以前に、夏休みの昼頃にNHK BSで放映されていた「11人いる!」とか「空飛ぶゆうれい船」のような70~年代の劇場版アニメをイメージします。
どちらもご存じない方に例えれば、クレヨンしんちゃんの映画が近い。日常の春日部から離れて冒険する、非日常を舞台にした冒険活劇のイメージですね。

サマー・ミーツ・ワンダーランド

そんな期待を持ってサマーミーツワンダーランドを読み進めたんですが…あさひのボトルメールや、おばあさんが出てきたあたりは「な、夏アニメ~!」って感じなんだけど…あれ?もう残り話数無いよ?あれ…?
と、ワンダーにミーツするんだけど、帰…帰っちゃうんですよね。

そう、今から!今から面白くなるのに!!彼女たちも、「なんだか不思議だったね」で済ませてしまうのでこちらも「なんだこれ…」ですよ、長編アニメの解釈違いですよ、こんな思いをするなら恋鐘の水着に産まれたかった。

ただ、今までのシナリオを見るに、このシナリオの感じ、「わざと」なんですよね。
第四話で拾う天上行きの切符、天上って見慣れない表現ですけど「ほんとうの天上へさえ行ける切符」など、宮沢賢治の銀河鉄道の夜に出てくる言葉なんですよね、後の話に出てくる汽笛の音もあり、このイメージが強い。

銀河鉄道の夜の詳しい解説はGoogle検索に投げますが、主人公たちは旅の果てに「僕もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。(青空文庫より)」と、本当の幸せを探す決意について書かれた物語だと思うのです。

みんなのほんとうのさいわいをさがしに行く

アイドルそれぞれが幸せを探す、というのはアイドルマスターの物語での大きなテーマの一つであって、シャイニーカラーズも同様であると私は考えています。
銀河鉄道の夜においては、主人公たちは旅によって幸せを見つけようとする決意を固めるが、アイドルたちは銀河鉄道に乗らない。

なぜなら、彼女たちの「本当の幸せ」は、アイドル活動を通してのみ見つかるのであって、今回のイベントのようなワンダー(奇跡とか、運命)によって見つけられるものではない。そういうことなのかな、と思いました。

彼女たちの「変化と別れ」とか、まぁ、たしかにアイドル中じゃないと嫌ですもんね。いいですね…えぐいです…すき…。
なんか、いろいろ終わった後に同じところに行ってほしいですね。

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