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中国語連続文法2

【中国語の連続文法について】

 さて、皆さん、私は、中国語の文法は、アポコイヌ―ともまた少し違って、例えば「我愛儞」なら「我愛」と「愛儞」との連続(注1)のようになっている可能性がある、と申しました。
 そうすると、中国語での「私、明日学校行く」式の文も、「私、行く」「明日行く」「学校行く」の3つの連続(注1)みたいなものだと言いたいのか、とお考えになった方、いらっしゃいませんでしょうか。
 結論から申しますと、その通りでございます。詳しく見てみましょう。

【緊急避難的な確認について】

 ところで、こちらの投稿からご覧になった方には、アポコイヌ―とか、(この後、すぐ出て来る)体用相*とか、それは何だ、とお感じの方もいらっしゃるものと存じます。最初の投稿から順を追ってお読みいただくのが一番とも存じますが、取り敢えず、そちらの二点については、以下の投稿でご確認いただければ幸いです。

【中国語文法の図示(注2)について】

 「私」に対応するのは「我」、「明日」は「明天」、「学校」は「学校」、「行く」は「去」と、考えるところから始めます。

 中国語の場合、「我去」「明天去」「去学校」のように、二字熟語と同じ構造で、その必要に応じて、その部分だけ言うことも普通にできます。これは、中国語がアポコイヌーとはまた少し異なったような感じで連続(注1)していることの傍証の1つとも言えるかと存じます。

 我明天去学校。

 我去+明天去+去学校=我明天去学校
 体用+相用+用体=体相用体

 二字熟語のようになっている部分を、視覚的に把握しやすいよう、図示(注2)します。

我明天去学校。

 ここから更に同じ部分を同じ列に揃えます。

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我明天去学校。

 同じ部分は、(どこかで)一回言ったら、言わない場合があることを斜線を入れて示します。なお、もう一回言う場合や、言う必要が有る場合があることも中国語が連続(注1)していることの傍証の1つです。

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我明天去学校。

 斜線を入れる方式も悪くないのですが、図として更に見やすくする方法を検討します。そこで、体は、1列目、3列目に入るもの、用、相、*は、2列目に入るもの、相と*とは用の上下両方に入るもの、と決めて図示(注2)します。

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我明天去学校。

 上述のように配置を定めると、連続(注1)して言っている「用」の部分を1回しか言わないことが図示(注2)できます。
 なお、中国語の場合、「我明天去学校」とも「明天我去学校」ともどちらの言い方もできます。デフォルトの言い方は前者だということのようですが、詳しい違いについては今回は措きます。
 さて、「我明天去学校」「明天我去学校」のような語順も図示(注2)するため、1列目に入って、斜め上にあり、「用」と隣接している「体」も、その「用」と二字熟語のようになっているものとします。

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 これで、上の行から先に言うこと、空白の部分はスキップすること、1列目から3列目に順に進むという図式が図示(注2)できることになります。

 次に、用相の構造ですが、相用の際、相を上、用を下に配置したように、その逆にして、用を上、相を下に配置します。なお、語順の問題として、你のような代名詞ともされるものが、用体の構造になる際、用相の相は、体の後ろ側に来ます。用の斜め右下に隣接した相も「用」と二字熟語のようになっているものとします。そのようにすれば、上の行から先に言うこと、1列目から3列目に順に進むという図式が図示(注2)できることになります。

【卒業学校はNG!?】

 なお、並列しているようなものは、縦に並べることにします。以下、BBCニュース中国語版より引用します。

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台风“烟花”两次登陆中国华东地区 浙江上海受到影响

 「台風、煙花、二度も、中国華東地区に上陸。浙江、上海、影響を受ける(に到る)」程度が直訳的なものです。「登陸」ですが、「上陸」が対応すると考えてよいでしょう。
 さて、日本語の場合、「~に上陸する」ということもできますし、「~を卒業する」ということもできます。
 中国語の場合、「登陸」「卒業」というのは、共に「用体」(本当は違いますが敢えて言えばVO)の構造です。訓読した際、「陸に登る」「業を卒(を)ふ」となるのは、日本語の問題です。意味上の違いはさておき、中国語の場合、文法構造上、両者は同じです。
 よく紹介される内容ですが、日本語が母語の学習者にありがちな間違いとして、「学校を卒業する」の直訳的なものなのでしょうか、「×卒業学校」というのがあります。これは、中国語としては文法的に非文で、

 学校卒業。(学校毕业)
 従学校卒業。(从学校毕业)
 在学校卒業。(在学校毕业)

 のいずれかのように言う必要があります。なお、もう卒業している場合、学校卒業了(学校毕业了)、従学校卒業了(从学校毕业了)、在学校卒業了(在学校毕业了)のように「了」を加える必要があり、無いのは変だ、とのことです。中国語には時制は無い、のようによく言われますが(外れますが、因みに、私はそれを100%信じておりましたが)、漢文ではともかく、現代中国語では過去に起こった(ような)ことに「了」を付けないとまずい場合もあるようです。また、外れますが「卒業了(毕业了)」は、「卒了業(毕了业)」ともいうことができるそうです。

 もう一方の「上陸」ですが、こちらは、

 上陸中国。(上陆中国)
 在中国上陸。(在中国上陆)
 到中国上陸。(到中国上陆)
 上陸到中国。(上陆到中国)

 のいずれも言うことができるそうです。
 「上陸中国」はいいのに、「×卒業学校」は、なぜ駄目なのでしょうか。
 「×卒業学校」とは言えない、というのを初めて聞いたとき、例によって私には強い拒否反応みたいなものが現れました。なぜなら、漢文としては、絶対駄目とは言い切れないように思われるからです。こちらのサイトの作者の方が、目的語が2つある事例として、興味深い例文をご紹介です。リンクの『5.主語+述語+目的語+目的語』のところをご覧下さい。引用します。

 >>景公問政孔子 Jǐnggōng wèn zhèng Kǒngzǐ 景公は政を孔子に問ふ
 >>乘舟江湖 chéng zhōu jiānghú 舟に江湖に乘る

https://www.seiwatei.net/kanbun/index.cgi?htm=gobunkei

 動詞の後に続く名詞、2つ共、前置詞が付かないところなどは、英語のSVOOと似ている部分があるとも言えるでしょうか。そのような図式でも日本語で謂うところの「どこかでどうこうする」のようなことを表すことが漢文ではできるのです。なお、リンクの例文にあるように、片方の名詞に前置詞を入れて言うこともあるようですし、前置詞の有無が日本語の何らかの表現と一定の対応を示すわけでもないようです。

【中国語文法の図示(注2)の実例(実験)】

 「上陸中国」と言えることについての、私の今のところの理解は、「陸」と「中国」とが同格だからだというものです。
 そして、「×卒業学校」と言えないことについては、「業」と「学校」とが同格になっていないからです。廃校になる等、学校の存続について、終わる、と言おうとしているのではなく、終わるのは学業なわけです。
 また、もう1つの要因としては、漢文のような語順の自由度が現代中国語には無い、ということが考えられるかと存じます。
 さて、中国語は、近代、日本語から多くの言葉を借用しました(注3)。近代に日本で造られた、日本語が語源の外来語の熟語が無ければ、現代の中国人の方々は、近代的、現代的な生活を送ることが不可能です。
 この事は、中国語には、日本語と同じような図式の複合名詞が、沢山出て来る可能性が高い、ということをも意味しています。複合名詞というのは、辞書に載るようなもの以外に、その場で誰かが作るものも基本的には含むものと言えます。
 例えば、「共産主義」というのも、複合名詞で、四字熟語です。共産主義なら、百科事典だけでなく、国語辞書にも出ているかもしれませんが、辞書に無い「〇〇主義」のような新しいものが、ドンドンその場で造られてもおかしくありません。
 やや外れますが、この意味でも、中国語は、2字熟語の連続(注1)のような言語かもしれない、と心の準備のようなものをしておいた方がよいものと存じます。そして、そういう2字熟語の連続(注1)も、文法の図示(注2)は、視覚的に分かりやすくしてくれます。
 体は1列目3列目に、用と相と*とは2列目に入ります。以下、リンクのBBCニュースの本文を実験的に図示(注2)してみます。上は簡体字で、下は日本の字体です。

中国簡体字
日本新字体

 いかがでしょう。中国語の勉強をなさったことが無い方でも、なんとなく分かるような気がしてきませんでしょうか。
 いきなり新聞記事は難易度が…という方がいらっしゃいましたら、短いものをどうぞ。こちらも下記リンクのBBCニュースより引用いたします。

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而就在几天前,中国河南省遭遇了严重洪灾。

而(しか)して
就(すなは)ち
幾天(いくてん≒いくにち=幾日)か前(*に在りて)
中国
河南
省、
厳重なる
洪災(≒洪水災害)に
遭遇せり

 上のように漢文訓読式に読んでも、大意を取ることが可能です。なお、漢文よりも英語の方が得意だった、という方のために、和訓でなく英訓を付けたものも、図示(注2)の方にご用意いたしました。
 なお、やや外れますが、このように、和訓だけでなく、英訓を漢字に付けることができるということは、英語は(或いはどのような言語でも)、漢字で表記することができる(注4)、ということの傍証でもあるものと言えるかと存じます。


参考文献:
注1:江副隆秀『日本語教授法の一考察3江副式重箱文法』新宿日本語学校1997p33
注2:江副隆秀『日本語の助詞は二列』創拓社出版2007p22-23他
注3:江副隆秀『日本語の助詞は二列』創拓社出版2007p15-16
注4:石井勲『漢字興国論』日本教文社1992
※著作権者の方が下記リンクにてご公開です。
http://ishii-miraikan.com/kanjikyouiku/contents/03_04_11.pdf

















































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