第1320回 古文書だけではイメージしずらくても

1、読書記録309

今回ご紹介するのはこちら。

公益財団法人いわき市教育文化事業団2022『磐城平城文献等調査報告書』

平成30年から令和3年にかけて、

いわきの歴史を振り返るシンボル的な場である磐城平城を、地域の「たから」として、未来への継承と地域活性化を実現させるため、磐城平城等の歴史的価値を明らかにし、市民が自分たちの歴史に関心を持ち理解し大切にするという意識を醸成すること

を目的として行われた調査の報告書です。

磐城平藩は歴代徳川譜代の臣が治めてきた土地で、

初代は鳥居元忠の子忠政に始まり、内藤氏、井上氏、安藤氏と続きます。

2、立体模型の普遍性

城や城下町を描いた絵図はカラーで多数収録されているのですが、特に目を引いたのは木製の城絵図。

いわばお城の模型ですね。

近世史が専門の田仲桂氏がコラムで詳しく取り上げているのですが、

堀は青、道は黄色、土手は緑、屋敷地は白、櫓の場所は朱色で彩色されている。

写真でもかろうじて色が残っていることがわかります。

所々に何かを差し込んだような穴が空いており、もしかすると立体的な櫓や鐘撞堂などの構造物が組み合わされていたかもしれません。

いよいよもって現代の城プラモに近づいてきます。

木図の裏面や付属文書によると作者は木田與左衛門。

内藤家お抱えの大工で、江戸藩邸の普請にも携わっていたようです。

設計図として模型を作る、というのはいかにも現代的。

本当は全国各地のお城で立体模型は作られていたのかもしれませんが、

現代まで遺り伝わってきたものは非常に限られるようですね。

製作は元文二年(1736)、と言うことですので、内藤氏が藩主だった時代に作成されていることがわかります。

現在所蔵されているのは宮崎県延岡市の内藤記念館。

福島県のお城の模型がなぜ九州に?となるかもしれませんが

平藩主であった内藤政樹が百姓一揆の責任を問われて転封された先が延岡でであったことから、貴重な本図も運ばれていったのでしょう。

本題とはずれますが、なんとこれは江戸時代を通じて最も遠くに転封された例だ、というから驚きです。幕府のお怒りの程が伺えますね。

改易断絶にならなかっただけマシ、といったところでしょうか。

その後の内藤家は養子縁組が続きますが、幕末まで続くようです。

延岡城の西の丸跡に建てられた歴史資料館が内藤記念館でしたが、現在再整備事業の実施中で今年9月までに開館する予定とのこと。

期せずして遠く離れた二つの地で内藤氏の歴史を発信するきっかけが起こったということになりますね。

方や歴史資料館の整備、方や調査報告書の発刊。

連動して発信力が相乗効果を生むとなおいいですね。

3、まだまだ話題は豊富

いかがだったでしょうか。

個人的には平城下を経由して松島を訪れた大原幽学の『陸奥つれづれ草』や

所々発掘調査を実施した際に出土した陶磁器関係も

気になるところですが、取り上げるのはまたの機会に。

そして一度現地を訪れて地理的な情報も得たいところです。

本日も最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。



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