女性の翼を折るような社会。
ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんのお父さんが、「どうやって娘を育てたか?」という質問をされたとき、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えたという話を聞いた。
マララさんは、日本を訪れ、「女子教育」の必要性、重要性を訴えた。
パキスタンにとっても日本にとってもとても重要な問題。
「女の子だから、県外に行かなくてもいいのに」
「女の子だからそんなに勉強しなくてもいいのよ」
これは、地方に住んでいた私が何度となく掛けられてきた言葉です。
私はそれをはねのけ、東京の大学へと進学しました。
しかし、第一志望の大学には落ち、浪人するという選択肢は私が女の子だからという理由で許されませんでした。
「女の子だから」
女性なら、一度はかけられるような言葉ではないでしょうか。
女性のやる気をそぎ、足を引っ張ることそれを、aspirationのcooling downという。
父や母、そして親戚、そして近所の人。
何も悪いと思わず、注意も払わず、投げた言葉はつり積もって女の子の自信を失わせ、やる気はなくなります。
多くの女の子、そして女性たちは誰でも持っているはずの翼を折られているのです。
才能がある女性の翼が折られることも多くある。
才能があって、それを生かしたいと思っていた。しかし、適切なロールモデルがないせいで夫や父のサポート役に回らざるを得なかった女性。
精神を病み、心身をむしばまれた女性たち。
そんな女性たちにスポットライトを当てた、本を読みました。
「才女の運命」
マルクス、アインシュタイン、ロダン…
歴史に名を残すような「偉人」にはなぜ男性が多いのか考えたこと、ありますか?
わたしが通っていた小学校の理科室で、音楽室で、男性ばかりの写真そしてその下にその人の功績がかかれていました。
男性だけが優れていたのだろうか?
小さい頃の、私はそう感じていました。
どんな伝記にも男性が成し遂げたことばかりしか書いてなくて、女性だと、マリーアントワネットと紫式部とキュリー夫人、ナイチンゲール、ヘレンケラーくらいしかなかった。
男性たちの傍らには才能あふれる女性の存在もあったはずなのに。
シューマンの傍らにはピアニストとして成功していたクララがいたことは知っていた。通っていたピアノ教室の先生にシューマンの伝記を読まされたから。クララも作曲をしていたのに、女性に課された家事育児に時間をとられ、十分に作曲できなかったということは、小さかった私は気づかなかった。
それぞれの分野で才能に恵まれていたのに歴史に名を残す「偉人」のパートナーとして翻弄され、「ミューズ」の名のもとで男性から社会的・創造的な搾取を受けていた女性たちの話でした。
今もまだ変わらず、「内助の功」がもてはやされ、男は仕事、女は家庭内の仕事といった性的役割分担が今もまだしっかり残ってる。
今までも、そして今も、女性たちは女性というただそれだけのことで、何かしら搾取を受けているのだ。
才女の運命、とてもよかった。
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