迷ったら自分に聞け
バガヴァッドギーター 本読み会25回目
毎週火曜日の8:30〜9:00に、zoomで行っています。
第1回が始まったのは2023年9/14でした。
ここには私が印象的だったところを書き残しています。共感いただけたらとっても嬉しいです♪
本は「科学で解くバガヴァッド・ギーター スワミ・ヴィラジェシュワラ大師 著 、岡本直 訳、木村慧心 監修」を使っています。
そして、第四章が始まりました♪
第四章 智慧による行為からの解放
1.ヨーガの智慧の起源
行為はカルマ。カルマが結果となり、結果がカルマとなって、また次のカルマへと繋がる。
それがヨガでは苦悩だと言われています。智慧によって苦悩から解放されていくのでしょうか。
あー!本のはじめにあった「日本の皆様へ」は、ここへと通じていたんだ。
ヨーガの起源は5000年前にヨーガに関する文献の発見があり、それより以前からと言われています。
シヴァ神は最初のヨガ修行者で今でもヒマラヤで修行してるとか…?
また、2018に受けたインド政府QCI level2ヨガ指導者の試験勉強のテキストでは、太陽のようなヒランヤガルバがヨーガの創始者と書かれていました。
日本でいうとことろの天照大神のような感じでしょうか。
2.探し物は心の奥底に
私は大きな影響を与える人物だけではなく、私たちの身近な人にもクリシュナ神は智慧を啓示し、自分自身も誰かのメッセンジャーとしてクリシュナ神の手足となり、口を使って話していることもあるのではないかな、と思います。
私自身も身近な人との会話やお話を聞いていて、ハッとすることや、嫌だなぁと思う相手から反面教師として学ぶことがあります。
『誰もが心の奥底に隠されていて』というところ好きです。
私たちは勉強をたくさんします。
これを読んでくれている人も、もしかしてたくさん勉強をしましたか?
学生時代の勉強とは違って、大人になってからの勉強は自己啓発や自己探求が多いのではないでしょうか?何かの外の勉強をしながら、本当の自分探しですよね。
それは、ここに繋がっていると思います。誰もが心の奥底に隠されているものへと…。
いくら外側の勉強をしても終わらないわけです。心の奥底に隠されているのだから、探す場所が違っているかもしれません。
容易に近づくことができないものを伝えうる…、って意味深。
3.知ってると解るは違う
講座をたくさん受けて、資格をたくさんとっても、実践がなければその人の智慧とはならないのではないでしょうか。
知ってると解るは違います。
知ってることは脳に記憶した知識。
解るは腑に落ちた智慧かなとおもいます。
学んだことを実践してみて、自分が何を思い何を感じ理解したか、それが本当にその人のものとなった時に、その人の言葉で伝えられる。その人の行動に現すことができるものが智慧だと私は思います。
看護学校では知識を学び、
臨床を経験して智慧となる。
ヨガセラピストも同じです。
人に教えることが鏡となり智慧となる。
先生と言われる人のお話を聞いても、そこで良い話を聞いたなぁ、では身になりませんし、すぐに忘れます。
自分自身はどうなのか瞑想する。
それを日常的に瞑想し調べてみる。
実践してみて、ある日突然に、そうか!と解る。それが悟りであり智慧だと私は思います。
4.迷ったら自分に聞け
どうして、太陽神の方が先に生まれたのに、後に生まれたクリシュナ神が、智慧を伝授できたの?と、ストーリーの中の戦士アルジュナが疑問を持ちました。
肉体が今生で生まれて誕生し、肉体が亡くなれば死。そうなると、時間という概念に縛られてしまう。
生まれることも死ぬこともない不滅の魂が、輪廻転生を繰り返している。
真我は肉体ではなく、肉体の存在の基礎となっているものであり私たちの存在の真髄であり、真我生まれることも死ぬこともなく不滅である
ひとつの宇宙から、源から別れた別々の命も元はひとつ。
たとえば、家族や友人や仕事仲間、
ご縁の繋がった好きな人も苦手な人。
この本読み会に集った仲間たちも、
私も肉体を変えながら、
何度も何度も多くの生涯を
体験してきたことでしょう。
前生の記憶は、物質としての脳には記憶されない。肉体と共に焼かれてしまう。
じゃあ、そのメモリーはどこに保存されているのだろう。
魂の計画書のブループリントを一時的に忘れて、今生きている。まるで人生ゲームの攻略本を書いたのに、忘れてゲームを楽しむように。宝箱の中身がわかったら開けないよね。モンスターかもしれないから。笑
あちらに帰ったときには全てが思い出されるのでしょう。前生を忘れて今生を体験したい冒険者。
そして、このバガヴァッドギーターは、内なる世界のお話。私という小宇宙の中のこと。
悩める戦士アルジュナも私であり、
智慧を授けるクリシュナ神も私。
クリシュナ神がアルジュナの先生であるだけでなく、友達であり親戚でもある、というところの関係性から、
決して神を崇め奉り、すがるというのではないもの。内なる神さまに気づけば、いつでも対話を求めて聴けますよー、ってことじゃないかな?
見えないものがない世界より、見えないものも、ある世界のほうが、私は世界がまーるくなるので楽しいと思います。
由紀子
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