空気のように
バガヴァッド・ギーター第8回目本読み会
zoomを使って、毎週火曜日の8:30〜9:00に行っています。
本は“科学で解くバガヴァッド・ギーター スワミ・ヴィラジェシュワラ大師 著 、岡本直 訳、木村慧心 監修”を使っています。
この時は、私はおやすみしていました。
なので、1人で自習。
やっぱり、みんなで読み、みんなの感想を聞かせてもらうことで理解が深まってると実感しました。
と、言いながら、言い出しっぺのホストもよくお休みしてます笑
現在は33回目が終わり、次回は五章〜です。
第二章 サーンキヤ・ヨーガ
いつかは脱ぎ捨てるもの
この表現は好きです。
この肉の衣服もいずれは脱ぎ捨てる。
だとしても、私たちは乗り換えのきかない、身体という車に乗って人生を旅をしている。
主人公は私。
それはドライバーかな?と思うけれど、実はドライバーさんも車の一部。
真我という本質の私は、後部座席に座って景色を眺める観照者。
いつかこの肉体という衣服を脱ぎ捨てるまで、大切に取り扱いたいですね。私の身体さんありがとう。
新しい衣服をまとい、そして脱ぎ捨てる。また新しい衣服を着て人生を送る。それを何度おこなってきたんでしょうね。
斬られず焼かれず永遠なもの
この表現を初めて聞いたときに、
ホッとしたのを思い出します。
なぜかなぁとも思ってたのですが、
何度も輪廻する中で、
人を斬ったことも
あったからかも知れません。
父方のご先祖はお城で切腹の時に介錯するお役目を賜っていたようで、その因縁で、ナンタラカンタラ〜って子どもの時に聞いたことがあります。
それより、子どもの頃に父が亡くなった時に火葬場で焼かれて骨になった姿が心にあったからかも知れません。
あぁ、、、身体が無くなってしまったら、もう帰るところがないじゃない?って。確実に肉体で会えないよー涙
(古代エジプトがミイラにした気持ち分かる笑)
そんな風に思うのも、何となく子どもの頃に、死んでも死なない何かが、どこかにあると、感じていたのかも知れませんね。
空気のように
何か自分のにある真我が肉体を脱ぎ捨てれば、スーッと抜けて、別のところへと移動するイメージでしたが、どうやら違うようですね。
そういえば、
神我の科学の五大元素の瞑想で、空元素の瞑想をしていた時にこのような感覚を覚え涙しました。
空元素の特徴は、分散性、浸透性、偏在性
もっとも微細な元素。
それは絶対者ブラーフマンに近い微細なもの。
その瞑想の時に、自分を包むようにあり、自分の中にもあり、浸透もしているという感覚は、深く愛に包まれたような感覚を覚えて感動し、気がつくと涙が溢れていました。
それは自分は守られていたんだ!という気づきのような感覚でした。
シュラバナ、聴聞
マナナ、熟考
ニデイディヤーサナ、深い瞑想
このスリーステップで瞑想することが、
悟りの道を開くのでしょう
最後はクリシュナ神がズバッとアルジュナに言います。
私も見誤っています。
肉体を脱ぎ捨てて旅立たれたと思っても、もうこの古い肉体を通して、話したり触れたりはできないんだなぁと思うと悲しく涙がでます。
でも、、、
ヨガの智慧に触れたおかげで、
万所のあらゆるところに大切な人を感じられます。
そして私をあたたかく見守ってくれているように感じられるようになりました。
由紀子
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