私が二次創作していた時の話

物心ついた頃から、私は絵を描くことが好きな子供だった。漫画好きな家族の影響をもろに受け、家に所蔵された漫画は片っ端から読んでいたし息を吸うようにアニメを見て育った。

母は典型的な少女漫画が好きだった。おかげで私の人生の指針は「ガラスの仮面」で構成された。
父は典型的な少年漫画が好きだった。おかげで私は義務教育の如く歴代のガンダム作品を履修した。ついでにガンダムSEEDで同人誌を出した。
兄は典型的な模型オタクでゲームオタクである。離れて住んでいてもハマる作品とタイミングがちょくちょく被るので、漫画やDVDは兄妹間でシェアされている。

そんな環境で育った私は、二次創作をこよなく愛する漫画アニメオタクかつ、定期的に舞浜通いするディズニーオタクとなった。
私がディズニーオタクになった件はあまり家庭環境とは関係していないので、その話はまた別の機会に。


さて。
私が二次創作、いわゆる同人活動に目覚めたのは中学生の時である。目覚めた切っ掛けもありきたりで、同級生から当時ハマっていたアニメの同人誌を見せて貰ったことから始まっている。
当時は同人ペーパー(一枚の紙にイラスト、萌えトーク、参加予定イベント、自家通販情報を掲載した手作りチラシのようなやつ)の交換配布が大流行していたと思う。絵が上手い人は大抵ペーパーや同人便箋を作って流通していた。部活の先輩後輩から始まり、同級生の姉妹、同級生の姉妹のまた友人…と交流が広がり、最終的には文通や雑誌の交流コーナー繋がりで全国各地に数十人規模を相手に手紙とペーパー交換のやり取りをしていたと思う。毎月凝ったイラストと萌え語りという名のトークを認めた原稿を作成しては印刷所で数百枚単位で刷り、百枚入りの業務用封筒を1ヶ月で使い切ってたとかちょっとした業者の仕事だが、これが当時の腐女子にとってのソーシャルネットワークだった。そして今になって不思議に思うが、あの印刷代と郵送費はどこから捻出してたんだろう……?

同人誌即売会にサークル参加し、本格的に同人活動を始めたのは高校に上がってからだ。10代の私はとにかく何でもやってみよう精神と意欲に溢れていた。
手作りのコピー本ではあったが毎月新刊を発行しては行商のように地元の即売会に参列し、投稿雑誌にハガキやら4コマを投稿しては常連と呼ばれるようになり、インターネットが活発になれば個人HPを作って運営し、あまつさえ友人知人を巻き込んでイベント企画に携わった経験もある。……こう書いてみると本当にアグレッシブすぎて怖い。学生だったのに、いつ勉強していたのかすらも覚えていない。
美術系の短大を経て社会人になってからも、同人活動は20代半ばまで続いた。その間にも動画を作ったり初音ミクでDTMをかじってみたり、オリキャラのグッズ製作してはデザインフェスタに出店してみたりとやっぱり色々と手を出していたが、気がつけば自然消滅のようにそれら創作活動から手が離れていた。

同人誌を作らなくなった事に関しては特に何か事件や切っ掛けがあったという訳ではない。しいて言うなら、若さに任せてがむしゃらに行っていた事の大半が、SNS上で事足りてしまうと思ってしまったからか。そして生活環境の変化も理由の一端になるのかもしれない。OSのアプデで長年使っていた板タブが使えなくなったとか、平日は仕事から帰れば寝るだけの生活になったとか、そんな些細な言い訳がチリになって積もっていくうちに、かつてどうやって絵を描いていたかも思い出せなくなりつつある。それでもスマホで毎日pixivを巡り、Twitterでフォロワーの活動や好きなジャンルの情報を収集して満足しているし、休みのたびにやれイベントやら聖地巡礼やらグッズ収集やらと出掛けては推しにお金を落としている。コロナ禍の今は外出自粛でどこにも行けず、頓挫した予定も多すぎて血の涙を流しているけれども。

創作からは離れたけど、結局私は変わらずにオタクをしている。正直、それを怠惰と叱咤するべきか、オタ活の方向性が変わったと受け入れるべきかはまだ揺れ動いてる。とりあえず、こうして文字を書いてみたり、スケッチブックに落書きするところから足掻いてみれば、なにか見つかるかもしれない。



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