自分の声、キモすぎ問題
活舌が悪いことが、コンプレックスである。
活舌が悪すぎて両親からは「何言ってるかわからない」と言われた回数は数えきれないし、お客様とお電話していても十中八九「すみませんもう一度いいですか」と返される始末。元から喋りが滑らかではないのに、緊張すると早口になってしまう癖があるものだから、イレギュラーな対応やオタク語りをしているときの私の語り口は最悪だ。知人が私のトークを評して曰く「耳障りの悪いシン・ゴジラ」とのことで、あまりに巧い回答だったので座布団を投げつけておいた。
その上さらに、どうやら私の声質は思いのほか低いらしく、マイクに通りづらい。このweb会議全盛の時代、とかくPCごしに人と会話する機会は多いものの、「え、〇〇さん今発言してる??」と言われるのは会議の恒例行事だ。マイクとの距離を変える、あるいはマイクそのものを変える、声を張り上げるなどしても一向に声がネットの海に乗ることなく、最終的には「20人近く参加するweb会議でぼくだけチャット参加」なる伝説をたたき出し、高齢の上司が私が発言するたびに耳を澄ませる顔のスクショが部署に回覧された時は「コレ俺が悪いのか!?!?」と複雑な気分になったものだ。
そんな汚発声モンスターなぼくですが、人一倍「誰かと話したい」欲求がコロナ以降高まっており、それにうってつけなのがtwitterの「スペース」機能だ。
昨年流行した「Clubhouse」なるSNS同様にスピーカーとリスナーに分かれラジオ的に音声を配信できる機能なれど、Clubhouseは基本顔出し&本名という無駄にハードルが高い気質ゆえに、わりと明確に避けていた(招待が来たのをスルーした)。ところが同様の機能がtwitterに導入されると「コレだよコレぇ!!!!!!!」と大喜び。「アカウント」という仮面を被ったまま、普段仲良くさせていただいているアカウントの方と肉声で話したり、あるいはふらりと寄ってくださった方と新しく繋がったりと、交流範囲を増やしつつ「話したい」欲求を満たせるスペースは、私にとっては天国のSNSだった。
スペースの使い方は主に、①映画やアニメなど触れたコンテンツについて話す、②雑談としてゲリラ的に建てる、③コンテンツの同時再生イベントをする際の通話ツールとして、の三つ。事前に打ち合わせと告知をしての対談形式をするのもいいし、何気なく建てた部屋にたくさんの人が立ち寄ってくださって、話も弾み夜更かしの原因になってしまうくらいには、スペース中毒になっている自覚がある。
web会議と違い互いの顔が見えないことへの難しさ、議論や会話の向かう方向性が意図せぬ方向(あるいは特定の誰かや思想などを傷つける可能性のある内容)に向かってしまったときのホストとしての役割について悩むことはあれど、基本的には「ニコニコオタク村シェアハウス」として好き勝手喋らせてもらったり、あるいは作業のお供としての簡易ラジオとしても使わせてもらっているスペース。不思議なことに、趣味や娯楽といった好きなことについて話すとき、私は私の声に関する一切のコンプレックスを忘れてしまえるのである。仕事でweb会議をする際のあの憂鬱な気持ちもどこへやら、わりと軽率にスペースを建てては、エンドゲームの上映時間を超えておしゃべりすることもあり、「話す」ことへの拒否感を和らげてくれた意味でもスペースには感謝している。
……しているのだけれど、誤っていたのはどうやら自分の認知だったらしいことが判明した。先日、人様のスペースに参加させてもらった際、一時離脱するためスピーカーからリスナーへと切り替えを行った。すると、そういう仕様なのかはわからないが、リスナーになった瞬間に数秒前の音声に巻き戻って出力されたのである。そう、先程自分が発生した「一旦離脱しまーす」という気の抜けた音声が、私の耳に届いたのだ。
うわっ…私の声、低すぎ…?
というかキモすぎ…?
キモすぎるのである、自分の声が。わりと朗らかに、明るく喋っていた自覚なのに、本当の声は「ボソボソ低い声で呻くオタク」だったのでビックリした。いや、絶望した。私こんな声で話してたの?2〇年間も??????マジで????????
いや、予感はあったのだ。疫病が広く蔓延したこともあり5年近くカラオケにも行っていなかったが、その頃から「部屋に充満するこの聞き取りづらい歌声はだれだ……??」とマイクを握りしめながら思ったことがあった。いやでもまさかね、ここまで酷いとはね、予想外でした。本当に今まで聞き取れてた?フォロワー!!!!!とこれまでの参加者全員に詰め寄りたくなるほどの、井戸の底を思わせる低い低い声。
いわゆるアラサーと呼ばれるくらいには人生を重ねてきたものの、ようやく(新たに)気付いてしまった自分の醜さ。すかさずgoogleに「自分の声」と入力すると、最上位のサジェクトに「気持ち悪い」と出るあたり、人類みな自分の声の認知に悩んでいるらしい。
そう、骨伝導。これまでわりと「自分の声は悪くない」と思っていたのに、それはどうやら骨から伝達される音を認識して、都合よく解釈していた音声だったらしい。して、その正体は「ドブみてぇに低く、活舌も悪いから最悪」の二重苦だったわけだ。に、人間の設計~~~~~~~。
かなりショックを受けている。自分の本当の声が認識と大きく違っていること、そのことに気づき他の人も結構それに悩んでいるらしいことをアラサーにもなってようやく知ったことも、全てが衝撃である。もっと深堀するなら、「自分が認知している声とほんとうの声質が異なる」設計の人間が「意図した声質で発声でき、コントロールが可能」という俳優・声優という職業の凄まじさに思い至ってしまい、頭が上がらない。例えば大塚明夫さんが「自分の声嫌いでさ……」とバーで一人愚痴るものなら「イヤイヤイヤ!!」とツッコミをしてしまうだろう。おれ以外の人類!自分の声に!自信をもってくれ!!!!
というわけで「真実」にたどり着いて以来、取引先の営業さんと話していても「聞き取れてないけれど文脈で笑いどころを判断しているかもしれない」と疑ってしまい、大変よくない心理になっております。そういえば先日、「自分の顔」についての体験談を投稿したのに、すかさず翌月には「声」という新たなファクターが、自分の醜さを実感させやがる。
先日観た映画『犬王』では、主人公の犬王が猿楽で新しいパフォーマンスをするたびに、生まれつきの異形が見目麗しい男性の姿に変貌していく様子が描かれた。それに見習っていけばおれはさしずめ「twitterをするたびに自分の醜さに気づいていく」化け物と言えるのかもしれない。
そんな逆犬王、それはそれとして人肌恋しい季節だったり、女児アニメの感想がどうしても言いたいよ(♪Designed desires)になることもあって、凝りもせずスペースを開いてしまっている。どうか、この哀れな成人男性を見捨てず、これからもお話に付き合ってあげてほしい。対牀風雪、私の好きな言葉です。
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