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『HiGH&LOW THE WORST X』は過去一オタクに優しく、そして厳しい。

 今年の夏はめちゃくちゃ暑かったし、感染対策という観点から一度もお祭りには行かなかった。地域で開かれる花火大会に向かう長蛇の列を尻目に、花火が空中で炸裂する音をBGMに仕事をしたり、アドベンチャーゲームに没入してしみったれた夏を過ごしていた。

 だが、祭りなら映画館にある。そう、おれたちのHiGH&LOWだ。

 前作『HiGH&LOW THE WORST』がいかに最高の映画であったかはこれを読んでいただくとして、待望の続編がついに公開された。MCUがCGアーティストの労働問題が取り沙汰されるレベルで供給過多になっているのに対し(それでいて面白いから文句が言いづらい)、こちらは3年寝かせた熟成肉。その間のファンダムの盛り上がりや各演者の立ち位置と進化を全てつぎ込んだ本作は、またしても過去作を飛び越えたノンストップアクションエンターテイメントに仕上がっていた。……とここで筆を置いてもいいのだが、それどころではない事態が起こったのでこうして長文をしたためている。おれはただ轟ッピの"perfect face"を観に行ったはずなのに……なんでこんなことするんですか高橋ヒロシ先生……。

「ガキのまま」でいさせてくれる場としてのザワ

 本作を観るに当たって個人的に一番危惧していたのは、「楓士雄たちを成長させてしまうのか?」ということだった。

 ハイローは特殊な世界観ではあるが、彼らは同時に鬼邪高校に通う高校生でもある。つまりはいずれ「卒業」というタイムリミットが待ち構えており、各々が自らの進路に向かって進んでいく決意をしなければならない瞬間が必ず訪れる。

 とくに、前作『THE WORST』が感動的だったのは、映画そのものが村山良樹の成長と卒業を描いたことが大きい。鬼邪高のアタマとして頂点を極めるも、外の世界では暴力だけでは解決できない様々な事象があることを知り、働いてお金を稼ぐ苦労を知った村山は、自分の進むべき道と向き合い、そして決断する。前に進むためのケジメとして牙斗螺とレッドラムの一件を片付けた後は、関や古屋と共に巣立っていく。力でテッペンを目指す行いを「ガキのやること」と小沢仁志(本人)の口から語らせたことでハイローの根底にある価値観を相対化してみせた『THE WORST』は、シリーズ全体を揺るがすという意味では劇薬だった。

 なればこそ、楓士雄たちの世代もいつかはこのことに向き合う時が来る。そしてそれは正しい。だが、それを推し進めてしまうと「ハイロー」というコンテンツそのものが児戯になってしまうのではないかと、いつまでもこんなモンに耽溺してんじゃねえよと言われるのではないかと、恐怖していたのだ。そんな旧エヴァみたいなメッセージをLDHという”圧倒的にキラキラした人たち”から言われてしまったら、おれのような映画に暴力衝動を託すタイプのオタクは二度と立ち直れなくなってしまう。

 で、前置きが長くなってしまったが、今作『X』はその問題を一旦は棚上げすることで、ヤンキーとヤンキーがテッペン目指してアツいバトルを繰り広げる、あえてわかりやすい目的に振り切っている。より強い者が全てを制す、というルールの下、屈強な男が拳を交え語り合う、純不良漫画の味わいに特化したハイロー。

 実はこれはかなり異例のことで、群雄割拠のS.W.O.R.D.の物語もやはりその裏には九龍というより大きな暴力の仕組みが働いていたし、前作もその後始末としてのレッドラム問題がクローズアップされた。その点で言うと本作は「搾取する大人の都合に踊らされることなく」「ただただ純粋にテッペンを目指して闘う」若者の物語だけを描こうとしている。不良漫画の世界観を現実に顕現させることにおいては美術面などで頭一つ抜けていたハイローが、ついにその精神性までをも120%その文脈で語り切ろうとする意欲作。それが今回の『X』のコンセプトだったのかもしれない。

 前作を経てより一層強固になった鬼邪高メンバーの絆と、鳳仙との友情に支えられながらアタマを張っている楓士雄。そんな彼らの前に集う凶悪な三校連合。その卑劣な所業に仲間を痛めつけられ、楓士雄はアタマとしての覚悟を改めて迫られる。

 本人にとってはこれは切実な問題だが、広い見方をすれば楓士雄の問題はひどく狭い世界でのみ意味を成す悩みである。喧嘩で一番になっても、社会では何ら意味を持たないし、ヤンチャな過去は就職などの足かせになることもあるだろう。ただ、そういった目線を取っ払って「男と男のアツい友情と対立」に絞ったからこそ見えてくる景色もあるし、過去作が積み上げた暴力と世界観のインフレをリセットする試みとしておれは"賛”を表明したい。大人に近づくだけが成長じゃない。ただガキのままで無邪気に親睦を深め合う世界観があるからこそ、若き彼らの闘いを微笑ましく見つめていられる。HIROさんの優しさはいつだって、一斗缶みてぇに暖かい。

オタクに優しいザワX

 ヤンキーとヤンキーがしのぎを削る世界。そうした映像作品は数え切れないほどあれど、キャラ描写の濃さとアクションの質の高さにおいてハイローはやはり群を抜いている。

 今さら言うまでもないが、アクションにおいては本当に世界で闘えるレベルであり、見たことないようなフレッシュなアクションがいくつも拝めるだけで映画は華やかになる。長い手足を活かしたしなやかなパンチとキックの応酬、組み手技を使っての掴んで投げての闘い、重力の存在を疑うほどの飛翔を見せるパフォーマーたち。天は二物を与えずと言うが、顔が良くて歌が上手くてアクションが出来て……という人間が三桁くらい出てくるハイローを観る度にこの言葉がいかに嘘っぱちであるかを再確認してしまう。

 また、キャラクター描写にも目を見張るものがあった。花岡楓士雄を演じる川村壱馬の、あの大型犬のような天性の愛嬌は彼ならではのアタマとしての在り方に説得力を与え、鬼邪高メンバーもキャラ単体でスポットが当たる瞬間は短いけれど、ちゃんと彼らなりの結束を感じられるようなワチャワチャ感が愛おしい。鳳仙の小沢仁志らも個々での見せ場が与えられたり、とくに我々の好評を受けての(あえてこの言葉を使うが)カップリング成立と思わしき轟と小田島の結びつきには、あざとさ込みでやりやがったな!と言いたくなる(あまり話さなくていいから楽、って質感、なに……????)。

 本作を見て強烈に早期したのが、『魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』であった。このキャラとこのキャラが組んだら嬉しいでしょう?という二次創作的な発想を公式が取り入れ、さらにツイストを加えて我々ファンを翻弄する、みたいな想像力を感じる。轟洋介と小田島有剣に杏さやを重ねて観ると、二度も味がするので大変よいです。ありがとうございます。

オタクに厳しいザワX

 そんなザワXだが、敵が今作から湧いて出た三校連合ということもあり、とにかく新キャラクターが多い。全員主役というスローガンを掲げている本シリーズだが、風神雷神のようにあえての省略が話運びをスムーズにする一方で描かれなかった余白も多く残されており、「もっと観たかった」「推しの俳優によっては消化不良を起こすんじゃ」という気持ちにもなってしまう。

 そんな三校連合だが、実は全員の顔と名前が一致しなくても、メインの2名だけ(とサボテンくん)だけ覚えていれば話についていけなくなることはなく、実に丁寧に交通整理されている。……が、それが問題なのだ。というわけでここからは、本編を観た全ての人間が狂うであろう天下井公平と須嵜亮の話をします……。

【注意】
ネタバレしかない
【注意】

 そもそも、である。これまでのハイローにおいて幼馴染とは「誤った道に進みそうになったら殴ってでも引き戻す」ことが正解だった。かつてノボルにコブラたちが、新太に楓士雄たちがそうしてきたように。

 ところが、天下井公平と須嵜亮に関してはそうはならなかった。かつて自分を救ってくれて、一緒にテッペンの景色を見ようと誓った天下井に「駒」と呼ばれながらも付き従う須嵜。彼らは幼馴染でありながら「主従」という鎖で雁字搦めになっていて、非道を起こす天下井に何も言い返せないまま、ただただ哀しい目をするばかりの須嵜……。

 須嵜は、一度として天下井に歯向かわなかった。クライマックスのあの場面で、天下井がナイフを取り出した瞬間、須嵜は殴ってでも彼を公正させるものと思っていた。ところが、絞り出るように口から出た言葉は「俺たちこれから鬼邪高の駒ですね」という一言だった。かつての面影を残さない天下井に対してそれでも敬語を崩さず、自分の不甲斐なさから頭を上げられずにただただ静かに泣き崩れる須嵜亮。彼はどこまでも天下井に付き添っていく"覚悟”をキメている。天下井が堕ちるのなら自分も一緒に泥を喰らう。そういう関係なのだ、須嵜亮にとっての天下井公平とは。

 一方の天下井公平は、金は持っていてもカリスマを持ち合わせていない、テッペンの器にはなれない男として描かれていた。メインを張るキャラクターでありながら、「格好良くない」というバランスの衝撃。彼の転落は愚かで滑稽ではあったが、それではあまりに救われない。これまでの非道を帳消しにするほど甘やかす気にはなれないが、須嵜の覚悟を見て天下井が矜持を取り戻し、もう一度「友達」から始めようという決着には、涙が止まらなかった。

 須嵜亮。ハイローの世界観にこれまでなかった湿度の関係性を持ち込んだこの爆弾のことを、しばらくは忘れられないと思う。彼を演じる中本悠太さんは演技経験がほとんどない(!?)とのことで、それゆえの無口キャラなのかと思いきや、終盤では台詞に頼らず「顔で語る」演技を見事に披露して、須嵜亮という抜けない楔を打ち込んでいった。公開日のレイトショーでザワXを観て以来、ずっと須嵜亮のことを考えている。気が狂いそうだ。

 ハイローの世界観は、高橋ヒロシ先生が創り出すキャラクターによってさらに拡張性を見せている。その最たるものが天下井公平と須嵜亮だ。まさか、こんなに狂おしい感情で劇場を後にすると思わなかった。無名街と同じくらい燃えやすい関係性オタクの心は、四方八方から殴られてもうボロボロだ。何も言えないし、何も返せない。

 ラオウの人のつぶらな瞳が最高!とか、鈴蘭とか鎌坂高校のスピンオフが観たい!とか大騒ぎしたかったが、自分の心に嘘はつけない。今はとにかく、須嵜亮だ。須嵜亮に会いたくて、おれは今日も映画館に行く。

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