命、永遠、愛と友情、そして『ゼノブレイド3』
ポケモンにスプラトゥーン。それぞれメガヒット間違いなし、かつ遊び倒すのなら100時間はまだまだ序の口……みたいなタイトルの発売を複数控える今年のswitch事情だが、その口火を切るのが『ゼノブレイド3』だ。
本作の感想を語るに辺り、「どれだけ遊んだか」の自己申告はとりわけ重要になるだろう。例えば私のように50時間のプレイでメインストーリーを見届けた程度では、本作の半分はおろか、三分の一しか味わっていない可能性すらある。それほどにフィールドは広大で、語られる物語は厚くて膨大だ。やり切った、と豪語するには、追加で50時間近く要するはずだ。
それほどまでに骨太で、食べきれないほどのボリュームを持つ大作RPG『ゼノブレイド3』をひとまずの区切りまで遊び、愛すべき仲間との冒険を楽しんだ一方で、このゲームを薦めるにあたり「あなたは何時間、このゲームに捧げられますか?」と、各々に問いかけなければならないだろう。
ゲームとして"完成”したゼノブレイド3
『ゼノブレイド』といえば、いくつかの広大な箱庭型のフィールドを探索し、MMORPGライクの戦闘を重ねキャラクターを強化し、重厚なストーリーを読み解いていくのが遊びの根幹だ。その点において、本作『3』のゲーム部分はほぼ完成した、という評価に落ち着くと思う。
新たな大地に降り立った時、どれだけ歩いても果てに着かないほどに広大なフィールドマップが待ち受けているが、基本的にプレイヤーに与えられる選択肢はゲームの指示通りにストーリーを追うか、あるいは未開の地を探索するかの2つ。どんなに走り回ってもその場その場での目的を思い出せるようUIが導いてくれるし、一作目のリメイクにあたる『ディフィニティブ・エディション(以下、DE)』での親切なルート案内が今作でも引き継がれており、いつでも本筋に戻れる安心感が担保されているからこそ寄り道をする心理的ハードルも低く、探索をストレスなく楽しむことができる。フィールドに数えきれないほど設定された「ロケーション」「ランドマーク」を見つけるとボーナスEXPを貰える仕様も健在で、世界を探索すること=キャラクターの成長に繋がるゲームデザインは、一作目の時点で完成されていたのだと改めて気づかされる。
フィールドを闊歩するモンスターにも従来の区分けに「ラッキー」と「エリート」が追加され、素材目当てor経験値目当てで闘いを挑む敵を選り好みできるシステムは探索にメリハリを与えてくれる。また、寄り道の先には必ずコンテナ(宝箱)やサブクエストといったご褒美が待ち構えていて、プレイヤーを飽きさせない。探索と同様にサブクエスト達成でもボーナスEXPが入手できるため、目につくクエストを達成していれば自ずとレベルもぐんぐん上昇し、レベル上げのための作業的な戦闘が苦手な人も毛嫌いすることなく遊べるのも気が利いている。
もちろん、レベル上げが好きな人への導線もしっかり用意されており、プレイヤーの嗜好に沿った遊び方に対応する様々な仕掛けやデザインの奥深さは、ここでは語り切れない。思わず「ユニバーサルデザイン」の言葉が浮かんでしまうほどに、プレイヤーに優しいゲームなのだ。
サブクエストの中でもとくに重要なのは「ヒーロークエスト」と呼ばれるもので、これは7人目のパーティーメンバーである「ヒーロー」の参戦に関わるクエストだ。これを優先的にクリアすることで戦力の増強、固定メンバーの新たなクラス(他RPGで言うところのジョブ)の獲得という大きな利点だけでなく、そのヒーローキャラクターを主軸とした短いストーリーが展開され、キャラクターと世界観の深堀りに接続する。
設定上、ヒーローのほとんどが10年という寿命と闘い続ける運命を背負わされているため、一人一人が異なる価値観や死生観を覗かせ、それがまた本作の世界を取り巻く閉塞感に仄暗い実在感を与えてくれる。フルボイスのムービー込みで展開するこれらのクエストは、本筋ではないにせよ本作『ゼノブレイド3』の物語を読み解いていく上で欠かせないフレーバーなのは断言できる。
次に戦闘だが、感覚としては「2の爽快感のみを1のシステムに移植した完全版」という印象を受けた。前作『2』の戦闘システムは仕組みを理解すればこそ火力を10倍以上に伸ばせるが、それに至るまでの前提知識が複雑で、安定化させるには「ブレイドガチャ」という運の要素が絡むという、万人向けとは言い難いものだった。
その点本作では、複雑化の要因だった「属性」の要素を排除して、一作目同様にキャラクター個々人のロール(役割)を重視するシステムに遡った。ロールは「アタッカー」「ディフェンダー」「ヒーラー」の3つで、そこから細分化した複数のクラスを最大7人(ヒーローのみクラスは固定)のパーティーメンバーに割り振っていくことで、攻撃・防御・回復が上手く機能するよう試行錯誤を促される。各ロールに相応しい行動を取り続けると「チェインアタック」に移行するためのゲージが溜まり、これで大火力を狙うのが戦闘の基本だ。
「チェインアタック」も一作目の方向に立ち返りつつ、頭に入れておくべき情報は各ロールごとの特性やキャラクターごとの倍率補正くらいのもので、より直感的に連携を組めるデザインに仕上がっている。どのキャラクターのオーダーを受け、誰にアーツを打たせ、数値を高めていくか。『2』の難解さを払拭しつつ、こちらの火力がどんどん伸びていき1000%越えの攻撃で敵のHPをどんどん削っていく快感、あるいは取得経験値を3~4倍まで伸ばしどんどん成長していく実感を手軽に味わえるため、つい辞め時を見失ってしまう。もう一戦、もう一戦とユニークモンスターに再戦を挑み続け、メインストーリーを進める上での適正レベルをうっかり超えてしまうのは、一度や二度ではなかった。
その他、キャラクター2名が合体して巨人化する「ウロボロス」は時限性とはいえある意味で「無敵」を獲得するシステムとも言えるし、ストーリーの進行上で解禁されるノアの強化状態もかなり強力で、これらを順当に理解していけば少なくともメインストーリーで詰む、ということはないだろう。前作にはなかった(!?)チュートリアルの読み返し機能の他、オプションでの難易度変更といった救済措置も用意されているので、ストーリーをサクサク読みたい人やそもそもゲームが苦手な人も取りこぼさないように出来ているのも、これもまた「ユニバーサルデザイン」だ。
探索と戦闘。RPGの遊びの基礎の部分において、『ゼノブレイド3』は高い水準に位置している。過去の難解過ぎた要素を取っ払い、良かった所を素直に伸ばした各種調整には、ゲームを購入したユーザーを誰一人取りこぼさないよう苦慮した形跡が伝わってくる。今思えば、追加ストーリーの内容も踏まえると『DE』は本作『3』のプロトタイプとも言える作品だった。『2』→『DE』を経て、ブラッシュアップと取捨選択を極め磨き上げられた『3』は、シリーズ1遊びやすく、switchを持つユーザーなら触れてみて損はないタイトルに仕上がっていると言い切ってしまいたくなる。
命の在り方を問う壮大なストーリー
シリーズ集大成の風格を醸し出す本作は、ストーリーにもその意気が溢れている。過去作の履修が必須というわけでもないが、シリーズファンであれば見逃せない要素が数え切れないほどに散りばめられているからだ。
※以下、『ゼノブレイド3』のネタバレが含まれます。
物語の舞台となる「アイオニオン」と呼ばれる大陸では、ケヴェスとアグヌスという2つの国家が戦争を続けていた。両国に生きる者はみな10年の寿命しかなく、その生命は戦場で尽きるか、10年戦い抜いて「成人の儀」を受け天寿を全うするかのどちらかしか結末が与えられていない。それでも若者たちはその生命が輝く日のために、人殺しを続けていく。
シリーズでも最もシリアスなあらすじが用意された本作のストーリーは、その実過去作のテーマを上手く継承したものになっているように感じた。一作目が未来視を通じて「やがて来る悲惨な運命を乗り越える」を紡ぎ、二作目は滅びゆく世界でも明るく「楽園」を目指すボーイミーツガールを活写した。転じて『3』は、死ぬことをシステムとして義務付けられた若者たちが、世界の崩壊を前に"それでも”不確定な未来へと時間を進めるために戦い抜く物語が展開される。
現実はどこまでも残酷で、世界という大きな枠組みの変化や崩壊は理不尽な暴力として眼前に現れる。そして、ゼノブレイドの主人公たちが立ち向かうのは、そうした現実に絶望した人間やその価値観である。かつてシュルクたちが、レックスたちが、絶望の果てに変わり果ててしまった創造主クラウスを否定したように、ノアたちもまた(その名こそ出なかったものの)「モナド」を持つ者として運命そのものに剣を向ける。
宿敵たるメビウスの長の名がゼット、つまり「Z」から始まる名前が付けられたのはおそらく偶然ではないだろう。ザンザの意思を継ぐかの如くアイオニオンの世界を死の円環で支配するゼット、その正体は人々の不安や恐怖から生まれた集合意識だ。2つの世界が衝突し対消滅するという危機に対し、一部の者はオリジンという方舟に希望を託すのではなく、時を止め崩壊寸前のまま世界を留めることを望んだ。そうした未来を恐れる人の弱さの象徴こそ、ゼットそのものである。
ゼットたちメビウスは自らが造り出した人造人間の命を、アイオニオンという箱庭で争わせることで、「永遠の今」を成し遂げた。彼らにとって永遠とは、「死」を克服して得られる物質的なものだ。言うなれば不老不死を目指したマッドサイエンティストのようなもので、メビウスはその意識が肉体に縛り付けられ、それが滅ぶことを嫌ったものたちによる「個」の延命措置のシステムだ。その仕組みを維持するため、いわば大人の都合で罪なき子どもたちが戦場に出向き殺し合いを強制される世界は、悲しきかな現実社会にも通底する搾取構造を浮き彫りにし、訪れるであろう崩壊に目を伏せ明日を生き延びようとする短絡的思考に埋没してしまう兵士たちの気持ちにはつい感情移入してしまう。
一方、ノアたちやメビウスに対抗するシティーの人々たちが望む永遠とは、人が人から産まれ、子を遺し、死んでいくという「循環」のことを指す。彼ら彼女たちは人としていずれ訪れる死すらも受け入れ、愛する者と子を遺し自分の生きた証と意思を受け継いでいく、そうした精神的な命のサイクルをこそ尊ぶ人たちだ。それはそのまま、世界を、人を「在るべき姿」に戻すための闘いになり、メビウスのシステムから産まれたノアたちもそれに準じるように価値観を変えていく。
変化を怖れる者と、変化を受け入れて前に進む者の対決。それが『ゼノブレイド3』の物語の骨子である。人生には限りがあり、命は有限だ。その命をどう使うかという問題意識において、現実が残酷で理不尽であることから目を背けず、未来を自分たちで掴み取っていく若者たちが勝利する物語は、実に『ゼノブレイド』的と言えるし、その一方で「希望」「未来」といった耳触りの良い言葉だけでノアたち一行の価値観を全肯定していないところも実にフェアだった。闘う力こそ価値を持つメビウス世界では輝けないヨラン、あるいはシティーの営みの中で劣等感を募らせていくシャナイアがいるように、どちらを選んでも苦しむ人がいるということから目を背けなかったことから生じる苦味も、物語に厚みを増していった。
人間の強さと弱さ。その両方を描いたからこそ、キャラクターの前向きさや慟哭にも真実味が増し、価値観のぶつかり合いは悩ましく両者が納得に至る理想が中々見つからないからこそ、考えることを促す物語は見どころだらけであった。ここで思い出すのは、冒頭で幼少期のノアが友人たちと花火を見に街を走り回るシーン。ここでは、肌の色も種族も違う人間同士が、対等に暮らす世界の一幕が垣間見えた。
ゼットの言う、強者と弱者が存在する世界の壁を無くす手段とは、まさにこういうことではないだろうか。人が国家や民族の差を取り払い、誰もが自分の生き方を選べる世界になること。その理想論が誰かを救い、同時に誰かを傷つけるとしても、その希望だけは無くさずにいたい。
長大な物語は没入と食い違う
ウロボロスとメビウスの対決を軸としたメインストーリーは、個人的な体感だが寄り道をしなくとも最低40時間は要する、超大作の名に相応しい遊びごたえを本作は有している。
では、ヒーロークエストやサブクエストといった要素はただの枝葉なのかと言うと、決してそんなことはないのだ。ヒーロークエストは前述の通り専用のムービーとボイスが用意され、ヒーロー個々人の描写のためかなりの尺が割かれている。サブクエストもまたその殆どが会話テキストで展開されるものの、内容は「コロニーの食料問題」「先遣隊が帰ってこない(そして大抵"おくる"ことになる)」など切実な問題ばかりで、命の奪い合いを強要され、そこからいきなり開放された人々の戸惑いや生活の悩みに密着したものばかりなのだ。
故に、メインストーリーだけを追って走り抜けた人と、目につくサブクエストを全部こなしてクリアを迎えた人とでは、世界観に関する理解度も愛着も全然違ってくるはずだ。主人公たちもプレイヤーの旅に寄り添い多彩な表情を見せてくれる愛すべき存在だが、ヒーロー各位やコロニーに生きる人々の実在感があってこその本シリーズ、遊び尽くすにはかなりの時間と根気が必要となる。
また、プレイ時間の長尺化に密接に絡む要素として、本作はとにかくムービーやカットシーンが多く、長い。物語として描くべき点が多いこと、冒険の間に挟まれるノアたち一行の何気ない会話や休息シーンにもちゃんと意味があることはわかる。とはいえ、マップを一分ほど歩けばカットシーン、また少し歩いてカットシーン、という場面にはいくつも遭遇したし、一時間ゲームを遊んだとしてキャラクターを操作する時間よりもムービーを眺めている時間の方が長かった、なんてことも展開上ありえなくもない。
正直に言えば、本作『ゼノブレイド3』の難点の多くは、ここに集約されるだろう。新たな大地に期待ふくらませるプレイヤーに対し、「ここはこんな土地で目的地にこれだけ遠くて……今はキャッスルに行かねばならないが回り道をしなければならないので……」と丁寧に説明してくれるのは有り難いが、本作はゲームなのだから、ゲームを遊ばせてほしいのだ。
とくに5話終盤のムービーは、体感で一時間近くあって、物語的にも劇的な展開のため見逃せない内容ではあったのだが、コントローラーを握る手が手持ち無沙汰になるにはあまりに長すぎるし、途中でセーブも出来やしないまま一時間も拘束されるのは、ゲーム機本体のスリープ機能にいくら何でも甘えすぎてはいないか。
描くべき事柄が増えるのに比例して、ムービーもカットシーンも長くなる。それは当たり前のことなれど、探索と戦闘がシームレスに切り替わる本作の手軽さに反して語り口だけがどうも鈍重で、ゲームとして味わいたい気持ちに演出優先で「待った」をかけられる場面があまりに多く、結果として没入度を大きく削がれたのが欠点として数えられる。
だからこそ、最初の問いを必ず投げかけなければならない。「あなたは何時間、このゲームに捧げられますか?」と。膨大なサブクエストと探索、メインストーリーを語り切るための長尺なムービー。エンディングを迎えるに至れば必ず充実感は約束できますが、そこまでにちゃんと時間を確保できますか?と。多忙な現代人にはやや優しくない本作の側面も、しっかり記しておかねばならない。
それでも、『ゼノブレイド3』は愛おしい。
基本システムは過去作の試行錯誤の結果が盛り込まれ、物語の重厚さや描かれるテーマは現代の若者たちの在り方や閉塞感に対する考え方などを上手く捉えている。殺伐とした展開に突入すると主人公たちの穏やかなやり取りで一息つかせる緩急も申し分ないし、『2』の少年漫画風……というか時に下ネタを含むギャグセンスも鳴りを潜め、ノアたちは優しくて清潔感と思いやりのある青年たちでとにかく好感が持てる。今回はあえて削ったが「カップリング」として味わうことも可能で、3組のカップルはどれもが応援したくなる微笑ましさがあり、彼らの再会を望まずにはいられない。
そう、「アイツらにまた会いたい」と思わせた時点で、本作は"勝ち”なのだ。ノアが、ミオが、ランツが、セナが、タイオンが、ユーニが、いつまでも幸せでいてほしい。衝突が回避された世界でも、お互いを感じられる世界だったら、どんなに嬉しいだろう。そんな想いと共に、私は再びアイオニオンの世界に帰ってきてしまう。まだ見ぬヒーローとの出会いや取りこぼしたクエストを求めて。そして何より、彼らとまだ離れがたくて。
そういえば、12月までに配信が予定されている《全く新たなオリジナルストーリー》とは何を指すのだろうか。過去作とのリンクに言及するのか、それともノアたちの再会が描かれるのか。どちらにせよ、まだまだこの世界に耽溺できる要素が残されていて、本当に良かった。
『ゼノブレイド』『クロス』『2』、あとは『ブレスオブワイルド』も含め、モノリスソフトのこれまでのノウハウが全て注ぎ込まれた本作は、ゼノブレイドシリーズのみならずRPGゲームとしても集大成の一つに数えられるだろう。高い完成度を誇る本作を遊び、それが世に出るまでの一連の流れを後追いとは言え並走することが出来たのは、何だか初めて『アベンジャーズ/エンドゲーム』を観た時の満足感を思い出す。本当に素晴らしい体験でした。何度もありがとうを伝えたい。
そして願わくば、『ゼノブレイドクロス』にも現行機へのリメイクという形でもう一度脚光を浴びせてほしい。フィールド探索における「上」方向への自由度は本作がずば抜けていたし、音楽も素晴らしいのだ。あとはまぁ、志半ばで終わってしまった物語の供養もしてあげてほしい……。
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