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ざるうどん大盛と牛丼、そして生ビール。

 昨夜の出来事だ。

 一時間程度の残業をして職場を離脱し、すぐ近くのうどん屋さんに立ち寄った。うどんの固さについては同じ九州と言えど複数の派閥に別れ、麺棒を血で染める闘いが日夜繰り広げられていることは他県の皆様もご周知のことと察するが、私はコシの強い麺を好む傾向にあるので、それに合ったお店が近くにあるというのは本当にありがたい。うどんのおいしさもさることながら、セットメニューのメンチカツやヒレカツがリーズナブルでありながら揚げたてジューシーで、手っ取り早く腹を満たしたい時にも重宝する、忙しい現代人の懐と腹を支えてくれる強い味方である。

 今日は以前から悩みのタネであった大きな仕事が二つほど片付いて、お昼も控えめにしか口にしていなかったこともあり、多少気が大きくなっていたのであろう。席に着くやいなや迷いもせず「ざるうどん&牛丼セット」をチョイスし、うどんは大盛にしてみた。普段の自分基準なら食べ過ぎアラートが鳴り響くところだが、今日くらいは自分を甘やかしてもバチは当たらんだろうと、暴食に身を堕とすことにしてみる。

 注文から一分が経ったか経たないかくらいの速さで、品物が届いた。このお店は提供スピードも魅力の一つであり、そういうところもサラリーマン御用達なのだ。テカテカと店内照明の光を反射するように白く輝く麺はその太さで存在をアピールし、肉うどん用の具材を流用したであろうお手軽牛丼も、その甘ったるさと白米のマリアージュが食欲を誘う。

 まずはうどんのつゆにネギを浸し、わさびを少々いれて馴染ませる。まずはうどんを一口。うん、これこれ。9月下旬だというのに鬱陶しい暑さが続く今、ざるうどんの清涼剤としての役割はバカにできない。減退していた食欲がマグマのように沸き立ち、間髪入れずもう一口。噛み応えのある麺を啜り、モチモチした触感を舌の上で楽しむ。

 次に牛丼を頬張ってみる。うどんのつゆ(わさび入り)の辛さに染まった口に、不意打ちの甘さがコントラストを生み出してくれる。牛肉も玉ねぎもよく汁を吸っているので、甘い。その甘さは、これ単体であれば胸焼けするかもしれない。だからこそ、うどんと交互に口に運ぶ行為を止められない。うどん、牛丼の順で喰らい、水で口内環境をリセット。今日は急ぐ必要もないから、ゆっくり食べよう。大盛のざるうどんというのは、見た目以上にパンチがあるもので、思ったより減るのが遅く感じる。ここで胃を酷使して楽しい気分に冷や水をかけるのはスマートではないだろう。

 という優雅な時間を過ごしていたが、よく声が通る若い男性店員がこちらに近づいてきて、他のお客様に聞こえるか聞こえないかくらいの声量で私に話しかけてきた。

「お客様、オーダーストップのお時間ですが、追加はなかったでしょうか」
「あ、じゃあ生で」

 かしこまりましたー、と机の伝票を持って行って、これまた一分にも満たない速さで机の上には伝票と、冷えたジョッキが置かれることになった。相も変わらず素早い提供と、気持ちのいい接客だ。今後とも御贔屓にさせていただきます。で、私なんで生ビール頼んだの??????

 動揺。激しく動揺である。生ビールを両親の次に愛する私ではあるが、“今”飲むべきかと言われたら、否だろう。うどんと牛丼という組み合わせとビール、全くという程ではないが、ベストマッチとはやや言い難いだろうし、どうせビールを飲むのなら食前の、暑さにやられた身体を冷やすためのファーストドリンクに選出するのがマナーであろう。ところが、今の私は大盛ざるうどんと牛丼である程度腹も満たされ、口内も冷え切った状態である。そこに突然の乱入者と言わんばかりにやってきた生ビールは、ちょっと場違いという気が否めない。

 そもそも、うどんと牛丼とビールなる組み合わせをためしたことがない。どれも味の強い部類で、食い合わせがいいとはどうしても思えない。マイフェイバリット新海誠ムービー『言の葉の庭』におけるユキノ先生がビールとチョコレートという組み合わせで生の実感を確かめていたけれど、あれに近いショッキングさがある。試しに味わってみるが、どの順番で食べて(飲んで)も、なんだか腑に落ちない。三人で遊んでいるのに自分だけ会話の流れに入っていけず、他の二人だけ楽しそうにしている時の妙な気まずさがある。

 ここにきて、「大盛」を頼んでしまった事実が、ボディブローのように効いてきた。すでに腹八分目みたいな状態で、うどんと牛丼はもう少しで完食だが、そこにビールである。炭酸が腹を満たすせいで箸を進めるペースが落ちるし、辛い・甘い・苦いの三連星がちょっとずつ食事という行為の負荷を上げてくる。それら単体はスター選手なのに、自己主張が強すぎるばっかりに、チームになるとどこか嚙み合わない。せっかく冷えたビールがあるのなら唐揚げやエイヒレが欲しくなるが、今それを受け入れる容量は俺の腹にはない。

 おぉ店員よ、「生ビールでよろしかったでしょうか」と一言挟んでくれればこんなことには……いや、全ての非はこの私にある。今はただ、目の前のこれらを食べつくし、代金を払い、粛々と退店することだ。刻一刻と満腹に満たされていく身体にムチ打って、牛丼をかきこみ、間髪入れずにうどんを啜る。旨い。旨いが、苦しい。そして全ての苦行を洗い流すように、ビールで〆る。ごちそうさまでした。早くどいてカウンター席を空けてあげたいのだけれど、ちょっと座ってていい?ごめんね。あ、割引券あります。ごちそうさまでした。レシートは結構です。

 帰り道。少しでも摂取したカロリーを消費しようと歩いて帰ることにしたが、何もかもが後の祭りなのはわかっている。そして歩きながら考えていたのは、なぜあそこでビールを反射的に注文してしまったのか、という分析。飲み屋街の喧騒がやけに響く中、ようやく解に辿り着く。おそらく、私の腹具合を狂わせた要因とは、「浅ましさ」なのだろう。

 オーダーストップですが追加いかがですか?からのビール。これは、いわゆる「飲み放題」において必ずやる私のラストオーダーだ。オーダーストップを宣告されたということは制限時間も近く、退店の心構えをしなければならないはずなのに、ギリギリまで居座る口実を得るため、あるいは元を取らねばと最後にビールを一杯。何一つ思考を挟まず、ルーティンのように生を追加するそれを、なぜかうどん屋でやってしまった。ただそれだけの話だ。

 何と浅ましいのだろう。損をしたくないという発想が数々の居酒屋に迷惑をかけただけでなく、今回のような愚行を引き起こしてしまった。結果として、元より小食である私の胃は悲鳴を挙げ、家に帰りつくや否やトイレに駆け込む羽目になり、なんだか身体も重い。よくよく思い返せば、炭水化物が多すぎるし、そこにビールだ。そろそろ健康を気にして、老いても元気に働ける身体づくりに励むべき歳なのに、これである。フォロワーがジムに通って贅肉を落としている傍らで、食欲に溺れ大罪を犯す、私。

 ふと空を見上げたら、月が綺麗だった。そういえば忙しくて、夜空をぼんやり眺めるなんてことも随分していない。なんでこんな感傷的な気分になったかと言えば、こうして大きな何かに心情を委ねることで、自分の愚かさを矮小化するため、だったのだろう。まさか馴染のうどん屋で、自分の「弱さ」と向き合うとは思いもしなかった。この腹の痛みは、きっと自分で自分を罰するものに違いない。

 謙虚になろう。ラストオーダーで慌てない、落ち着いた大人になろう。あの日飲んだビールは、私という人間がより成長するための授業料ということにして、前に進んでいこうと思う。

 ちなみに、その次の日の夜は、ビリヤニパーティでした。おいち☆

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