たかがプチストレス、されどプチストレス。〜赤ちゃんの靴下問題編〜
赤ちゃんの靴下に必要か不要か問題。
赤ちゃんは手のひら、足の裏で
体温調節をしている。
いろんな考え方があるなかで
私は赤ちゃんには基本的に
寒波時や真冬の外出時以外は
靴下を着けない選択をしている。
そこで。
義父母にいつも靴下のことを指摘される。
冗談抜きで、もう150回は言われた。
毎度10回は言われる。
というか、うちの義父母の場合
私に直接「子供に靴下を履かせなさい」と言わず
「あらぁ、靴下も履かないで」
か、
「ほらぁ足が冷たいよ」
か、
「靴下も履かせて貰えなかったのか」
か、
「お母さんにコラッ!て言わんとなぁ」
などの言葉をランダムで子供に言っている(笑)
プチストレスのちりつもで
立派な山ができた。
もう、山は絶賛火山活動中である。
今日なんて気温16℃。
薄いTシャツ一枚の人もいるくらい小春日和だった。
こんな日にこたつに入っている人のほうが
どうかしていると心の中で毒づいてしまった。
この靴下の話、世間でも祖父母VS母で
あるあるの討議らしい。
何がこんなに腹立たしいのか?
まず、しつこいと思う。
履かせ忘れたわけではなく、理由があり、私の判断であることを何回か伝えたけど同じことを言われる。
「しつこいのでもう言わないでください」っていうのは関係がぶち壊れそうなのでちょっと難しい(笑)
ここに【自分の正しさを押し通したい私】がいる。これが怒りの成分のひとつ。
それから、かわいそうなことをしていると責められている気がする。
「足が冷たいよ」→「冷たい思いをさせてかわいそうに」→「かわいそうなことをする母親だと責められている」と脳内変換している。
それは結局【責められるようなダメな母親の私】だと自分で自分に思っているということだ。
だからこう、ドロドロしたマグマのような腹立たしさなのかもしれない。
ただ、義父母は「赤ちゃんに靴下を履かせるべきだ」と思っているだけだ。
私は、「赤ちゃんに靴下を安易に履かせないべきだ」と思っているだけだ。
どちらも「心配」だから主張している。
「そのほうが赤ちゃんのために良いことだ」と信じているから主張している。
義父母の「べき」が私に当てはまらないことと、私の「べき」が義父母に当てはまらないだけで、おあいこだなと思った。
穏便にすませるためには義父母の前だけ靴下を身につける方法もある。
でも人目を気にするのではなく子供の体を観察して、自分で判断したい。
私も負けずに「いいえ、今日は必要ないと思うので履かせません」としつこくいこうかな(笑)
それに、おじぃ・おばぁなんだから「はいはい、そうね」とさらっと言えるスルースキルも欲しいなぁと思う。
たかがプチストレス、されどプチストレス。
爆発寸前に見つめ直すのは大切ですね。
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