見出し画像

本当のこと

人のことを心配したり

でも実は心配じゃなくて
「この人大丈夫か?」と疑っていたり

もっと本音を言えば「馬鹿だなー」と見下していたり

テレビ(はあまり見ないけど)で
自分と同じような意見を耳にしたり
「それ!」と
感銘を受ける価値観に触れたり
私はその知らない人たちの意見を着ぐるみにして、
そうじゃない人たちの考えや行動を
本当は馬鹿にしているんだなぁと思った。

『本当に馬鹿じゃないの?私はちゃんと分かってるもんねー』
って本当は思ってる。思ってます。 
そして、コロナ騒動に一番翻弄されてるのが
自分だったということも、本当。
おかしい、おかしいと思いながら
人前では自分が思うように行動できないのも
それも本当の私です。

そういう自分がとても嫌。
だって私も一応ビリーフリセットアドバイザーなのに。
本当の自分を認める練習をあんなにたくさんやったのに。
全然できない。

理想通りの自分が叶わないから  
人が目に映る。
心ここにあらずソワソワし、イライラする。

でも人のことをやっていると気が楽。
だって人のせいにできるから。
「イライラするのはあの人のせい」
それが一番の逃げ道だと思う。

それから『正解探し』がやりたい。
自分が正解のほうにいれば、安心だから。

やりたいことは『本当』だったはずなのに
やってることは『正解探し』

それに、私の理想の『本当』って
裏表がなくて芯が通っていて
正直な感じがして
やっぱりそれって『正しい』に近い感じがする。

でも私があやさんに教わった『本当』って
そういうことじゃなかったよな、と思い出した。

正解も間違いも、嘘も嘘隠しも、
人を馬鹿にすることも、
自分を抑えて人に矛先を向けてることも、
本当はなんにもわかっていなかったことも、
「あるんだよね」って見ることだったな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?