言われたくないことを言われてしまうトリック
繰り返し自己考察するなかで
私は自分のことを【わかったふうに】
言われることがとても不快だということが
よくわかってきた。
嫌いというか、不快だ。
反射的に言い返したくもなるし、
【わかったふうに言うな!】と
胸の中が沸騰する。
私は、自分の心に
しっくりこない言葉を
無理矢理当てはめられるような感じがする。
だから不快なんだろう。
じゃあ私が欲しいものはなんだ?
きっと、【そうなんだね】だ。
【わかる、わかる!】でもなく
【そうかなあ?】でもなく。
【へ〜】はオッケー。
【私もそう感じたことがあるなあ】もオッケー。
多分、これらの言葉は、
自分を認めてもらえている
感覚になるんだと思う。
一歩離れて見てくれて、自由さも感じる。
でも、欲しい言葉はもらえない。
欲しい人にこそ、なかなかもらえない。
親。
それから親を投影して見ている人。
そしてもらえない上に
言われたくないことを
繰り返し言われてしまう。
そのトリックは意識。
【また言われるだろう】と
意識が集中しているからだと思う。
これは潜在意識で
自分がまさかそう感じているなんて
全然気付いていない。
それは傷付かないために
構えている状態でもある。
私は常に【また言われるかもしれない】という盾を持ち、闘うような気持ちで会話をしている。
どうやったら
言われないようになるだろう?
ずっとそこにこだわっていたけれど
多分、それを相手に求めるのには
骨が折れる。
だからやはり
自分の意識を意図的に
書き換えることだ。
【言われるかもしれないし
言われないかもしれない
どっちでもいいや】
【言われたくないことを言われても
受け入れなくて大丈夫】
とかかな。
この書き換えのための言葉は
もうちょっとしっくりくるまで
吟味しよう。
そして、人がわかったふうに言う自由さを
許すのもいいかもしれない。
【私は言われたくないけれど、
この人は言いたいのかもしれない】と。
また「これから私の話を聞いてほしいんだけど、【そうなんだね】って言ってもらえない?」ってお願いするのはどうかなあ。
自分の怒りのために
人を傷付けるのは違うと思うし
自分が犠牲になるのもまた違うし。
あ、でも感じた「怒り」の感情を
ストレートに認めることも大切だな。
だって、不快なことは不快だし。
心の仕組み、トリックでは
片付けられないこともある!笑
今日は、そんなことを
甘酒を飲みながらぼやいた夜でした。