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線をひく、線をなぞる。

最近関西にいくと少年のような友達と本を貸し借りしてる。個人的な話ではあるけど本を貸し借りするのが昔から好きだ。小学生の頃からやっていて、もしかしたらわかってもらえるかもなんて思いながら、本を読んでいる途中に思い浮かんだ顔の相手に貸したり、そしたら次は向こうが貸してくれたり。

僕にとってはあれが文通みたいなもので、誰にも内緒ねって心の内側を少しだけ見せあったりしているようでわくわくとホワっとしたあの二人だけしか知り得ない共有を見せてもらっているみたいで好きだった。

見せる部分ってのは共感がほしい部分ではなくて理解してもらえないかもしれないからそっと隠してた自分だけが知ってる宝物のようなもので、それがまた良かった。でも相手は誰でも良いわけではなくてちゃんと読んでる時に浮かぶ人でないといけなかった。(誰でも良い人に手紙は書かないようにね)

きっと言葉にするのが幾分も下手、好きな物語を話す時、言葉が溢れかえっちゃって喉元に詰まって全然うまく説明できなくて。毎回それがとても申し訳なくて、だから文字にしたり言葉にするよりまずは話したかった物語に行ってもらって帰ってきたらその時思い出話みたいに話をするとすごくぴったりきた。

貸してくれた人が線を引いている本も好きだ。学生の頃に僕に本を貸してくれていた人がそれをしていて、自分では見逃していた描写やこの人はここで立ち止まっていたんだなってなんとなく足跡を辿っているみたいで好きだった。それは恋心ではない、興味みたいな原動力でその人の足跡を追っているみたいでそれが良かった。それ以降自分も足跡をつけるように立ち止まって線を引いていった。

話は戻るけどその関西の少年は不思議なヤツだ、少し危なっかしくもなぜか目が離せない。言葉下手だけどとても沢山の気持ちや感情や考えがあってそれをうまく話せない不器用さが彼の良いところだと勝手に思っている。10歳くらい離れた彼にぴったりだと思って貸した本を返してくれた時拙いながらもびびっときた部分を一生懸命説明してくれた時なんだか嬉しかった、それと予想もしてなかったけど彼が僕に本を貸してくれた。次なる返信をいただけたみたいでそれが嬉しかった。旅の移動中少しずつページをめくっている、まだ読み終わってはいないけどたまにセリフや描写に線が引いてある時にハッとする。その線は彼が見せた本の少しの心のような気がしていて、でもそれは僅かな隙間でそれ以上散策することはできない。けど、その隙間と物語を読み進めていくうちに少年がなぜこの本を貸してくれたのか少しわかった気がした。すごく丁寧に返信をいただけたんだなと少し微笑んでしまった。



もうひとり最近本を貸していた人(国語の先生をしている人)は小さな便箋と一緒に本を返してくれた。ちょっとした読書感想文も送付されていて流石は国語の先生、貸した本の要点を手短くまとめて自分の心情を書き綴っていてくれていた。要点の何個かは自分も同じ場面で立ち止まった所で先生にそこは正解ですよっと教えてもらえたみたいで花丸をもらえた時のように嬉しかった。その他の要点は自分が見れていなかった描写でその抜粋していたところが美しくてまたこの本を読み返す時の楽しみが増えた。

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思いやりみたいな丁寧なもの、近すぎない遠すぎないこの柔らかい距離感が丁寧に丁寧に時間をかけて気持ちや言葉を整理させてくれる。自分のペースで走る事を許されているみたいでそれが今もとても好きだ。

少年から貸してもらった本がもうすぐ読み終える、次会う時が楽しみだ。また一冊本を携えて持っていこうと思う。

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