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GOTOで岡山の古墳に行ってきた(2)造山古墳
登れる古墳で大きさ日本一、巨石信仰、岡山は古代ロマンあふれる大地!
(1)からの続きです。
造山古墳(つくりやまこふん)
こうもり塚古墳から車で十分ほど走ると、田畑の真ん中に山らしきものが見えてきました。
これが墳丘長約350m、国内4位の大きさの前方後円墳、造山古墳。登れる古墳では国内No.1!近隣に呼び名が同じ作山古墳もあるので、地元では「ぞうざんこふん」の名で親しまれています。
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遅い時間だったので既に資料館は閉館。駐車場から歩いて民家の間の狭い道を抜けると…
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前方部の登り口に出てきました。それにしてもデカっ!
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前方部が学校の校庭くらい広い。何故か桜が植えられている。
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西日本豪雨で崩落した模様。痛々しい。直下に民家があるので応急処置がされている。
しかし、これをきっかけに古墳の調査と全体的な修復作業が動き出しだそうです。
後円部
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前方部に向いている部分が階段状に見えます。
備中高松城の戦いで毛利軍が砦として使用した際に、曲輪を作るため削った跡だそうです。
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後円部の墳頂。直系約190m、高さ約29m。墳頂が平らに削られてるのも、やはり砦を作るため。(前方奥が備中高松城方面)
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後円部西側から見下ろす図。結構高い!
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民家がある東側の縁。ここも砦の土塁の跡だそうです。戦国時代、お誂え向きの砦だったといことか…
前方部
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後円部から前方部を見たところ。幅約215m、高さ約25m、長さは160m(=350-190)かな?ここから見ると三段造りの形状が分かります。
前方部の先端へ向かう。
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前方部先端の上部には、少し高い台が造られています。ここは、埋葬儀式のための祭祀台だったそうです。
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墳上に祠があるのは「古墳あるある」ですが、神社っていうのがスゴイ。こちらは荒神社(こうじんじゃ)、火を祀る神様です。
左にある石の桶は石棺。(事前勉強不足で痛恨のスルー。涙)近くには蓋の破片も放置されていて、石棺内は赤で塗られているそうです。
前方部から出土したとの話もありますが、農地開墾で近隣の新庄車塚古墳を平地にした際に、出土した石棺を運んできたという話もあります。
もっとゆっくり見たかったけど…夫氏、猛烈な勢いで戻っていくので、泣く泣く下山。
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前方部の稜線。かなり急です。
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前方部を斜め正面から。しっかり3段構造を保っていますね。
手前が、丘陵地の尾根を切断した地獄田とよばれる谷です。造山古墳は、低丘陵地を利用して築造した古墳だそうです。前方部の形をきれいにするため、わざわざ自然の丘を掘って切断したとは…
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地図からも切断跡がはっきり見えます。
造山古墳のガイドブック
造山古墳を訪れるなら、西田和浩氏の著書(新泉社刊)の第1章の一部(pdf)が公開されているので、是非ご参考にしてください。
「これを見てから散策すれば、見どころを逃さなかったのに…」と非常に後悔しています。
【ご参考】
吉備の超巨大古墳-造山古墳群- 第1章「超巨大古墳がなぜ岡山に?」
巨大古墳の設計図
岡山大学の新納泉教授は前方後円墳の設計原理の研究をされていて、下記リンク先pdf12ページ目に造山古墳の設計モデルが掲載されています。新納氏によると、「前方後円墳は一枚の(2次元的な)設計図に則って杓子定規に造られたのではなく、元となる(3次元的な)設計原理があった」とのことです。
この設計モデルにその地域の尺度、地形や環境条件、施主の要望などを当てはめ、都度設計していたのではないかと推測しています。設計士や測量士、工事監督者などを含む技術集団が存在したのかもしれません。
【ご参考】前方後円墳の設計原理と墳丘大型化のプロセス(新納 泉氏)
巨大古墳の工事費見積書
昭和63年、造山古墳の「工事費見積書」が大本組や考古学者を中心に作成されました。
●盛土 約27万㎥(大型ダンプ約4万2千台分)
●葺石 量は約4200㎥立方メートル
足守川14km上流付近のもの
採取・運搬・施工の延べ人員約20万人
●埴輪 約5100個、延べ8万7千人が製作
●石室 石材は香川県産
石棺はさらに遠い熊本県宇土市から
●総人員 築成まで延べ150万人以上
●総工費 昭和63年の時点で約200億円以上。
造山古墳は舌状台地の先端部が利用しているので、盛土の量は少なく見積もれるが、硬い花崗岩の地山を整形するために多量の鉄製用具が消耗されたと想定されている。
いずれにしても大量動員、巨額支出。被葬者の権力は如何ほどのものか…
全長約475mの伝仁徳陵は、古代工法で延べ人員680万人、期間15年8か月、総工費約796億円。現代工法でも、期間約2年3か月、総工費は約20億円と見積られる。(大林組による試算)
一体、誰が埋葬されている?
さて、この巨大古墳に埋葬されている人は誰なのか?優等生的に回答するなら、「ヤマト王権と良好な関係を持つ吉備地方の有力豪族」なのでしょうが、古墳にロマンを感じる人はそんな答えに納得しません。
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上の表は「日本の大規模古墳一覧wiki」から抜粋加筆して作成した「古墳墳丘長トップ10+1」です。造山・作山古墳以外は、(真偽はともかく)全て天皇・皇后陵と推定されているものです。
最近の論調は、倭国が北九州・吉備・畿内の連合王国であったとし、吉備にも大王がいた可能性も示唆しています。(徳川御三家的な感じ?)
古くから製鉄技術を有し、稲作、製塩、瀬戸内海を介した交易基地などで富を得て、政治的にも力を持っていた可能性は多いにあります。
造山古墳の立地に、大王陵の風格を見出す説もあります。古墳周辺の標高図を、もう一度ご覧ください。V字型に張り出した山に囲まれた平地の中央に造山古墳が坐し、まるで鳳の両翼に護られているように見えます。さらに、後円部の前方には足守川が伏龍のように横たわっています。これが、当時日本でも信仰されていた古代中国の風水では、大王陵となるべき場所なのだと言うのです。
また、周辺にある小規模な古墳群は陪塚と見られており、陵墓にはこのように陪塚が存在する傾向があります。
陪塚
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造山古墳付近には小さな古墳が6基存在し、まとめて造山古墳群と呼びます。これらは、築造年代が近いため、造山古墳の被葬者の近親者または主従関係者が埋葬されている陪塚と考えられています。(第2古墳だけ築造年代が離れているので除く)
榊山古墳(第1古墳)
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千足古墳(第5古墳)
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周りの古墳も見て回りたかったけど断念…猛ダッシュで遠くから写真だけ撮影(涙)
ああ、もっと見たいし、もっと知りたい!盛り上がった妄想もシュ〜ンと萎んでしまいました。
磐座信仰の庚申山と造山古墳
車に乗りこみ空港へと少し走ると、小高い山の頂上に寺が見えた。すると夫氏、突然「あの山の寺から古墳の全景が見えるかも?」と言った。
「えー、今から登るの?」
「まだ若干時間あるから、大丈夫」(だったら陪塚寄らせてくれよっ!)
古墳には無関心でも、造山古墳の大きさには甚く感動したらしい。
急きょ車で狭く急な坂を登り、参道の階段にたどり着く。ここは庚申山と言うらしい。
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ぐぇっ!長い階段。
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ひたすら登って
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本堂かな?右奥に、さらに上へ行く道がある。
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途中で一度振り返る。見えた!造山古墳。
でも、電線が邪魔。まだまだ高さが足りない。
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もっともっと上に。
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奥宮かな?まだ奥に何かある。左に回ってみよう。
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巨岩だらけ…こんな所にどうやって運んだのか?あるいは元からあったのか?
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階段を上がると毘沙門天を刻み込んだ岩の前にお社が…写真OKか不明なので建物ごしに撮影。
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少しでも高い所へ。ここからなら、きっと鍵穴の形が見えるはず!
タ、タ、タ、タ、タ、タ、チャ~ン!(BGMは「キエフの大門」)
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う~ん。電線がない分クリアだけど、角度的にあまり変化なし。さすがに鍵穴みたいな形を見ることはできないか。残念!
磐座(いわくら)信仰
しかし、こんなに立派な巨石が祀られたお寺なのに、観光案内にも出ていないし、周りに看板すら立っていないなんて、どういうことだ?
そこで庚申山をネットで調べてみたら、下の動画を発見。こちらは「盤座巡礼」チャンネルです。(動画をお借りいたします)
磐座信仰とは、近年ではパワーストーンのようなオカルト信仰までも含んでいるようですが、本来であれば「神様が宿るまたは降臨する施設=巨石」をお祀りすることのようです。
さらに調べてみると、合田憲隆氏の「備中本隆寺と庚申山」なる文献を発見。合田氏は庚申山の磐座信仰が古代に遡ると考え、庚申山と吉備中山、造山古墳の立地に関係性を見出しています。
実際に庚申山から造山古墳を見てみると、古代人が神の庇護を願って、あの場所に古墳を造ったと考えるのは、とても自然なことに思います。先ほどの中国風水の観点から見ても、左の翼先端に庚申山があることに何らかの意味を見出したくなりますね。(これ以上掘り進めると、某オカルト系雑誌のようになりそうなので止めておきます。)
夫氏、庚申山を見つけてくれてありがとう!
造山古墳の空撮動画
造山古墳の鍵穴の形を上空から見たい方は、こちらへ↓
感想
果たして造山古墳は大王の墓なのか、それとも、大王になりたくてもなれなかった人物の墓なのか?謎は深まるばかり…
はぁ~。今回は見て回っても疲れたし、noteを書いていても疲れた。おそらく、読んでくださった方々もお疲れ様でした。 m(_ _)m
岡山って、なんだかスゴイ所。大きな古墳や古代遺跡、磐座があり、日本の中でも特異的。私にとっては千葉にある夢の国よりも魅力的なテーマパーク。まだまだ行けなかった古墳があるし、楯築墳丘墓や鬼の城にも行きたかった。
今度は遺跡メインでじっくり散策してみたい。
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