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富士山は見えないけど...新吉田富士

新吉田杉山神社に行った後、グーグルマップさんが教えてくれた、近くの新吉田富士も見に行きました。


新吉田杉山神社について ↓

富士塚シリーズ ↓


杉山神社前から続く細道を西へ進むと、第三京浜に出ます。

急な坂道さらに急な山道を上っていくと、舗装道路が終わり…

えっ、ここ入ってもいいのかな…

グーグルマップで「自転車が通れる道」として案内されるけど、自転車を置いて歩いて入ってみた。すると、

あっ、なんか盛り上がりがある!
おぉ、富士塚っぽい

ずっと柵で仕切られている。そのまま進むと…

あれっ、通り抜けちゃった。今はもう登れないのかな…

戻ろうと振り返ったら、あった!あれが入り口だ。

道らしきものが…登ってみよう!

土が柔らかい。靴の底がフカフカする。

あっ、何か見えてきた!

石碑と祠…

こちらは御嶽神社
こちらは浅間神社
右側面には、安政四つ巳年十二月吉日

左側面には、大正十年五月再建と記されていた。
御嶽神社碑の後ろには、安政五年八月と大正十年五月の日付けが記されていた。2つとも同じような時期に祀られ、再建されたようだ。

残念ながら、深い森に囲まれて富士山は見えませんでした。
昔は見えたのかな?

1960年前半の写真では、富士塚の南側は木が伐採されていたようだ。

地図上の標高は44.5m。断面図で見ると4m強の高さかな?

頂上から入り口方向を望む

町名が「新吉田」になる以前は「稲坂富士」と呼ばれてた。
しかし、ネット上ではそれ以上の情報が見つかりませんでした。


雑木林を通り向けると、狭い台地上に作られた畑が広がります。

右側の斜面が急で足がすくみます。急坂を下ってローソンの道まで出ると、そこは以前散策した百目鬼堀の上流でした。


この地域は深い開析谷が入り組み、アップダウンが激しい。20〜30mの高度差を階段や急坂などで一気に登らなければなりません。

標高図をずっと眺めていると、なんだか生物学的繁殖モデルが浮かんできた。

①ひだ状組織に最初の胞子が着床
②そこで繁殖
③周辺の組織に拡散
(以下無限ループ)

もしかしたら、谷戸は古代人のインキュベーター(孵卵器)だったのかな。

幸いこの辺りは昔の地形が保たれており、大規模な遺跡調査も行われてこなかった。第三京浜やニュータウン建設で見つかったような大きな遺跡が、今も地面の下に埋まっているのだろうか?

新吉田富士は近世に作られた富士塚なのか、それとも太古の円墳だったのか?

自らは何も語らず、周りの人も何も詮索せず…
新吉田富士は、今もひっそりとした森の中で静かに眠っています。


オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。