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ショパン・コンクールが語るクラシック音楽の未来

精神の多様性が、ポーランド人作曲家の作品を今も輝かせている

What the Chopin Competition tells us about classical music's future

NIKKEI・ASIAの記事。アジア系音楽家の台頭を含めたクラシック界の多様性について、ハワイ大学のアメリカ研究者・吉原真里さんが解説しています。とても長文です。

(ベース翻訳にはdeepLを使用。今回はかなり修正を加えました)

ショパン・コンクールが語る
クラシック音楽の未来

先週の水曜日、いつもよりずっと早く起きて、ポーランドからホノルルのノートパソコンに生中継された第18回ショパン・ピアノ・コンクールの最終ラウンドの最後を見ました。

前週の演奏をすべて見たわけではありませんが、87人の出場者が連日ショパンばかりを演奏するのは、熱心なファンにとってもつらいものがあります。

朝食をとりながら演奏を見ていると、ピーク時には約5万人の視聴者がいたネット上の視聴者が、猛烈なスピードでサイドバーチャットを繰り広げていた。自称 "音間違い警察 "が音違いを指摘したり、音色やオーケストラとのアンサンブルについてコメントしたり、ピアニストの演奏が 「本当にショパンらしいのか 」を議論したりしていました。書き込みは、ショパン研究所の要望である英語のほか、ポーランド語、ロシア語、イタリア語、ドイツ語、日本語、韓国語、中国語など、さまざまな言語で行われていました。

ブルース・リウが協奏曲1番を見事に演奏してコンクールを締めくくった後、約2時間後に受賞者が発表されることが告げられました。多くのオンライン視聴者が仕事や用事、睡眠のために帰っていく中、多くの人が評価や推測を伝え続けました。審査員たちは、当初の予定よりもはるかに長い時間をかけて審議を行い、それは何時間も続きました。

そして、ワルシャワ時間の午前2時、審査員が8人に上位6賞を授与し、受賞者が発表されました。1位はカナダのBruce Xiaoyu Liu氏、2位タイはイタリア・スロベニアのAlexander Gadjiev氏と日本の反田恭平氏、3位はスペインのMartin Garcia Garcia氏でした。

前回2015年にコンクールに出場して以来、母国日本のみならず世界的にも幅広いファン層を築いている小林愛実は、ポーランドのヤコブ・クシュリクとともに4位に入賞しました。イタリアのピアニスト、レオノーラ・アルメリーニが5位、カナダのJ.J.ジュン・リー・ブイが6位に入賞しました。

1980年のコンクールでイヴォ・ポゴレリッチが第3ステージで落選し、それに抗議したマルタ・アルゲリッチが審査員を辞任したことが有名ですが、これまでのコンクールで審査員の選択が大きな問題になったこととは異なり、今回の結果には大きな驚きはありませんでした。世界中の聴衆は、受賞者を祝福するとともに、出場者たちの並外れた才能と音楽への献身を称賛しました。

当然のことながら、国際的なメディアはこのコンクールとその結果を異なった形で報道しました。カナダのメディアは、モントリオール出身のカナダ人の優勝を誇らしげに祝いました。ベトナムのメディアは、優勝者が1980年にアジアのピアニストとして初めて同コンクールで優勝し、今回のコンクールの審査員を務めたベトナム人ピアニスト、ダン・タイ・ソン氏の教え子であることを強調していました。2015年に前回のショパン・コンクールで優勝し、チョ・ソンジンが一躍有名になった韓国では、報道各社が本選でのイ・ヒョクの演奏を熱心に報じていました。

日本のメディアは、反田恭平と小林の受賞に注目し、1970年に内田光子が第2位を獲得して以来、日本人ピアニストが受賞した最高の賞であることを何度も伝えていました。

オリンピックからノーベル賞に至るまで、国際的な大イベントやコンクールでは、このように国別に報道され、意味づけされる傾向がある。世界で活躍する同胞の才能や功績を讃えることは悪いことではありません。しかし、このコンクールとその結果をより広い文脈で捉えてみるとどうなるでしょうか。

まず、アジア系の音楽家が上位入賞者の半数を占めたことは、過去数十年の傾向とよく一致しています。

今年のショパンコンクールでは、87人の出場者のうち55人がアジア人でしたが、これは最近の他のピアノコンクールに比べてやや高い数字です。例えば、ブリュッセルで開催されたエリザベート王妃国際音楽コンクールでは、58人中26人がアジア人、イギリスのリーズ国際ピアノコンクールでは、62人中27人がアジア人でした。

クラシック音楽の世界では、アジア人は「過剰」であるという認識が広まっています。実際、多くの音楽院や音楽学部では、アジア人、特に中国人の学生がいなければ成り立たない状況です。

ニューヨーク・フィルハーモニックのオーケストラ・メンバーの約30%はアジア人で、そのうちバイオリン・セクションの約3分の2はアジア人です。アジアの音楽家の多くは、ソリスト、オーケストラや室内楽奏者、教師、作曲家、フリーランスの演奏家として、世界各地で活躍しています。

日本の音楽家がアメリカやヨーロッパで国際的なキャリアを築き始めたのは1960年代であり、1980年代頃には韓国の音楽家がそれに続きました。この数十年の間に、指揮者の小澤征爾、チェロのヨーヨー・マ、ピアニストの内田光子、バイオリニストのチョン・キョンファ、サラ・チャン、ミドリなど、さまざまなバックグラウンドを持つアジアの音楽家が国際的なスターになりました。2000年代に入ってからは、ピアニストのユンディ・リ、ラン・ラン、ユジャ・ワンらの人気に支えられた中国のクラシック音楽ブームにより、中国はクラシック音楽の最も重要な生産国・市場の一つとなっています。

このようなパターンは、人々の文化的願望や芸術的努力を形成する社会経済的条件を反映しています。日本、韓国、台湾、香港、中国は、高度な音楽教育と音楽産業のためのインフラを支えるに十分な経済を既に築いています。今回のショパンコンクールでは、タイ人初のコンテスタントであるサン・ジッタカーンと、ベトナムとポーランド籍を持つベト・チュン・グエンを除いて、アジア系の出場者はすべて東アジア人です。

しかし、クラシック音楽のシーンを今日のようにしているのは、より長い歴史と広範囲での移民と異文化接触であることを認識することも重要です。ショパン・コンクールでも、クラシック音楽界でも、多くの音楽家にとって、生まれた国と育った国、音楽の訓練を受けた国、現在住んでいる国は同じとは限りません

また「アジアの音楽家」の中には、両親や祖先がよりよい生活を求めて、教育を受けるために、あるいは戦争や政治的迫害から逃れるために、アメリカやカナダ、ヨーロッパに移民してきた人も少なくありません。また、ハイブリッドのルーツを持つの音楽家もいます。

中には、反田がロシアとポーランドに、小林がアメリカに留学するなど、故郷を離れて高度な音楽の勉強をする人たちもいる一方で、生まれ故郷の人脈やプロとしての活動を維持し続けている人も少なくありません。多くのロシアやヨーロッパの音楽家もまた、同様に複雑な背景や軌跡、アイデンティティを持っています。

これらは、西洋の高尚な芸術の典型と考えられているクラシック音楽が、もはやヨーロッパ文化の閉ざされた領域ではないことを示しています。現在「クラシック音楽」と呼ばれているものは、18世紀のヨーロッパで生まれ、19世紀のブルジョア社会の発展と工業化の中で発展してきました。

しかし、ショパンをはじめとする作曲家や演奏家たちは、帝国、戦争、革命、貿易、移民などの歴史の中で、国境を越え、他の地域の人々からインスピレーションを得たり、音楽を共有したりしてきました。そして、世界中の多くの人々がクラシック音楽を受け入れ、自分のものにしていきました。

このような交差や融合の歴史は、従来のクラシック音楽を支配するエトス(芸術的思想や慣習)によって覆い隠されてしまいがちですが、クラシック音楽は文化や国、人種を超えた絶対的なものであり、普遍的なものであると信じています。

そして、技術や芸術的理解を得るために必要な長年に渡る厳しいトレーニングや鍛錬は、実力主義への信仰に通じています。つまり、重要なのは楽器から出る音であって、演奏者の経歴や出自などではありません

しかしながら、クラシック音楽において、このような考え方は他の重要な価値観と衝突することがあります。起源と信憑性に重きを置く分野であるため、批評家や聴衆は、作曲家の意図を「真正かつ適切」に表現しているものと「そうでないもの」との間に、しばしば確固たる境界線を引きたがるのです。

ポーランド文化の代表であるショパンの作品を讃えるショパンコンクールでは、その傾向が顕著です。他の音楽コンクールでは、さまざまな時代やスタイルの音楽を習得することが求められますが、ショパン・コンクールでは、ショパンだけを対象としています。ショパンとポーランドにゆかりのあるマズルカとポロネーズの演奏には、特別賞が用意されています。(今年のマズルカ賞はポーランドのヤコブ・クシュリクで、ポロネーズ賞は受賞者はいませんでした)。

もちろん、作曲家の作品の「正しい」「権威づけされた」の解釈や演奏についての考え方は、音楽学的な知識の進化や時代とともに変化していきます。また、ピアノメーカーとしては比較的新参のイタリアのファツィオリがコンクールで健闘したように(クラシック音楽界における新たな地殻変動のような)、演奏環境すなわち楽器や会場、設備も変わってきているのです。

この作曲家の演奏を評価するのに、唯一無二の固定した基準はありません。審査が長引いたのは、様々な文化的背景や音楽的系統を持つ17人の審査員の間で、ショパンの芸術を最もよく表現しているのはどのような演奏なのかということが、簡単には合意が得られなかったことを示しています。

審査員の多くは「クラシック音楽が死にかけているのではないか」、「聴衆が高齢化して減少しているのではないか」、「白人のエリート文化という時代遅れの理想を大切にする少数の門番がいるのではないか」と懸念しています。また「黄禍」という言葉を使って、アジア人がクラシック音楽を乗っ取るのではないかと心配する人もいます。

しかし、ショパン・コンクールが示しているのは、「生まれた国、育った国、訓練を受けた場所が多様であるアーティストの並外れた才能」と「審査員たちの幅広く深い専門知識と洞察力」、「世界最高峰の舞台で音楽が生まれるのを目撃しようとする世界中の熱心な聴衆たちの投資」を通じて、今もなお、ショパンの音楽が生き生きとして、多くの人々に関係しているということ。それはつまり、ショパンの音楽によってもたらされる精神の多様性なのです

そして、このコンクールの受賞者や出場者のような次世代の音楽家たちが、音楽やその他の方法で世界中の多様な聴衆に語りかけることができれば、それだけで、ショパンの音楽は生き続けるでしょう。今や、コンテスタントの音楽的才能や技術だけでなく、独創的なビジョンや企業活動にも光が当てられています。

惜しくも最終選考に残らなかった角野隼人さんは、東京大学大学院で情報科学を専攻しただけでなく、ポップス、ジャズ、エレクトロニック・ミュージックのミュージシャンとして人気を博し、YouTubeのチャンネル登録者数は84万人というユニークな経歴の持ち主です。

反田恭平さんは、クラシック音楽の新しい方向性について大胆なビジョンを持った起業家であり、室内管弦楽団のほか、レコーディングレーベルやスタートアップ企業を設立しています。

この他にも多くの音楽家が、鍵盤の上でも生活の中でも、それぞれの声で語り、世界の音楽文化を彩っています。


吉原真理 
ハワイ大学マノア校のアメリカ研究の教授。著書に「Musicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Music」(2007年)「Dearest Lenny: Letters from Japan and the Making of the World Maestro』(2019年)のほか、日本語の出版物も多数ある。

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海外でのショパンコンクールの結果の受け止められ方が気になって、色々と調べて見つけた英文記事を翻訳しました。

正直なところ、欧米での総括や批評記事を探してみても見つかりません。ほとんどが結果に関する報道だけです。欧米ではショパンコンクールは若手ピアニストの登竜門くらいの扱いで、あまり大きな話題にならないのでしょうか。(redditやピアノ系フォーラムでもあまりスレが伸びていない)

一方、アジアでは非常に大きな関心をもって注目されていて、だからこそNIKKEI・ASIAにも紹介されているのでしょう。

日本人コンテスタントの多様性

「多様性」という切り口で見ると、日本人コンテスタントの中に非音楽大学出身者がいて大きな話題になりました。

沢田蒼梧さんは名古屋大の医学生でもあり、ある意味、大谷選手を超える二刀流。どちらのレベルも高すぎて理解を超えます。才能だけでは片づけられない、物凄い努力で両立しているのだと推察します。(ホールで出会った現地のお医者さんと仲良くなって小児科病棟を視察したお話や、今後の進路として感染症の専攻を考えているというお話も感銘を受けました)


もう一人は、角野隼人さん。ピアノYoutuberというと「ストリートピアノでゲリラライブを行う人」みたいなイメージが先行して、彼本来のアイデンティティを歪めている気がします(ストリートライブはしていません)。お母様がピアノ教師であること、ピティナコンペティションの優勝実績があることからも、「幼少時より十分なクラシック音楽の素養を身に着けている上で、Youtubeを通じて様々な音楽活動をしている若手演奏家」だと思います。

第3ラウンドの演奏は鬼気迫るものがありました。

クラシック業界での中国勢旋風

中国は、すでに自国完結で優秀なピアニストを育てられる状況で、今後、「共同富裕」理念の影響で、学術分野から芸術分野に才能と資金が集中投入されたら、一体どうなるのだろうといった期待と不安があります。

ハオ・ラオさん、素晴らしい才能、17歳とまだ若く将来が嘱望されます。演奏後に指揮者のアンドレイ・ボレイコさんへの尊敬と感謝の念から、直角お辞儀をした姿(41′17付近)がほっこり。


ピアノ選択の多様化

今回FAZIOLIは、1,3,5位の入賞者が使用していたので大勝利でした。


日本からはKAWAIが大健闘。ファイナルでは、韓国のイさんを含め3人が使用していました。

ファイナル演奏後、ガジエヴさんとKAWAIのスタッフ(らしき方)が熱い抱擁を交わしたシーンが感動的。(抱擁の場面から)

プロフェッショナル同志の信頼関係、緻密な仕事が実った瞬間です。

前回ヤマハは入賞者を多数輩出したので、期するものがあったと思いますが、残念な結果(3次予選進出者無し)に終わってしまいました。また次回、挽回して欲しいです。

オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。