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新羽杉山神社・西方寺横穴墓群

今回、杉山神社巡りで港北区の新羽へ来ました。


この地区には2つの杉山社があるので、まずは新羽町へ向かいます。(下図の右下のマーク)

鶴見川から行くなら、新羽橋から新羽駅方面に進み、大きな木が目印の旧道っぽい細道を入ります。不規則な辻になっている場所が神社の入り口です。

古道には、食い違い十字路がよく見られます。憑き物が入って来ないようにするとか、鬼門を避けるとか様々な理由があるようで興味深いです。

新羽杉山神社

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新羽郷の総鎮守社です。

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一の鳥居からは平らな参道があり、その奥に階段が見えます。

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木に囲まれています。

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馬の像だ。この辺りが馬の牧(産地)だったのかな?

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ニの鳥居と拝殿、背後が崖になっている。
隣に社務所兼任住居があり、杉山神社の中では珍しいタイプです。

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狭い境内ですが、木造社殿でなかなか風情。町中にありながら、山奥にある古社のような雰囲気が醸し出されています。

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御祭神

 日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
 火産霊神 ( ひむすびのかみ )
 澳津彦神 ( おきつひこのかみ )
 伊弉冊命 ( いざなみのみこと )
 速玉男命 ( はやたまおのみこと )
 事解男命 ( ことさかのおのみこと )
 天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )

いろいろな神様が祀られています。もう系統とか分かりません。


由緒など
『新編武蔵風土記稿』(1830)にはこう記されています。

杉山社
除地、一段、字三谷にあり、又此邊を八朔堂ともいへり、神體は木の立像長一尺許、其形菅神の像に似たり、されど近来の作にして、昔本地と號せしは石像の不動にて、長二尺ばかり、これも立像の由傳へり、石階七間程を登りて、社前に至る、本社二間四方、拝殿三間に二間東向なり、石の鳥居をたつ、西方寺の持、以下四社も同寺の持。

八朔とは旧暦の8月1日のこと。早稲の穂が実る時期で、別名「田の実節句」(たのみのせっく)という。武士にとって重要な日(家康の江戸入府の日など)とも言われるため、稲作や中世の武士に所縁があるかもしれません。

その昔、この地域は上古根古屋の庄・荷場の郷と呼ばれていたそうです。
「上古」は「大昔」という意味で、「根古屋」は小机城の記事でも書きましたが「斜面と平地のキワ」にあたる場所のことです。急斜面がちなこの地域の地形を言い表しているようです。
「荷場」は、この地域が水郷で鶴見川の水運物流の拠点であり、荷場(ニバ)→新羽(ニッパ)と変遷したと見られています。

狛犬

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古そうですが、年代までわかりませんでした。

境内社

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奥にはいくつもの神様が合祀されているようです。
擁壁工事されているようですが、後ろがかなり急な崖になっていますね。

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そんなに長い階段ではなかったのに、結構な高さがあるような気がします(標高13mほど)。周囲に遮るものがないからでしょうか。

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参道の脇に大きな木がありました。

日本武尊や天照大神などの御祭神、街道近くという立地を考えると、古代というよりは中世に作られた杉山神社という感じがします。


西方寺(別当寺)

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先ほど話した、旧道の入り口で見かけた大きな木。その隣に長~い参道。

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気になって入ってみました。

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どうやら、新羽杉山神社の別当寺である

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西方寺です。

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茅葺屋根が立派です。

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鐘楼も茅葺。これを維持するのは大変そう。

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大悲閣
西方寺が鎌倉極楽寺から移建される前からこの地にあり、永く庶民の崇敬を受けていた十一面観音菩薩(平安時代末期の作)を祀る。関東管領・上杉家の御厨(みくりや)の地として、またその子孫繁栄の願いをこめて信仰されていた。「子宝安産」「治水」の仏さま。

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創建は鎌倉時代。本堂と鐘楼は江戸時代の1700年代に作られたまま、かれこれ300年もの間残っています。


山門からの眺め

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ここもそれほどの標高ではありませんが、見晴らしが良いです。


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これで終わる予定でしたが...

家に帰って西方寺について調べていたら、な、なんと「西方寺横穴墓群」というパワーワードを発見!えっ、全く知らんかった...古墳マップさんにも載っていない横穴墓案件?

こうなったら、もう一度行くしかない!


西方寺横穴墓群

ということで後日、西方寺の山門をくぐって右手の細道を進むと...

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斜面沿いの墓地にでます。(お写真失礼します)
なるべくお墓を撮らないように...左側の崖沿いを進むと

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ひと一人が入れるような穴が開いています。

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中に何か...観音様でしょうか。内部のほうが広そうです。
かまぼこ型の横穴の奥に一段高くなった場所があります。

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その奥に壁があり、周縁に溝がついています。
壁の奥が玄室で手前が羨道なのかな、または、これが玄室か?
手前の石段は祭祀用、あるいは玄室への壁を塞ぐ石なのか?
壁にキズがあるのは、誰か開けようとした跡なのか?

謎が謎を呼ぶ...

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隣に穴が続いているようで気になるのですが、いろいろ怖いので覗き込むのはやめました。

横穴墓は4基あるそうですが、2基しか見れないそうです。実際に行ってみると1基しか分かりませんでした。
後で調べると、この隣に続く穴の先がもう一つの横穴墓で、入り口がつぶれてしまっているそうです。

歴史ブログ「鶴見寺尾逍遥図」さん(https://jmpostjp.exblog.jp/5493407/)によると、ここはカネ塚横穴墓群(6世紀末~7世紀)と言うそうです。
カネ塚?…この近くには、他にも早渕川沿いにカネ塚古墳があります。「カネ」って何かしらの意味があるのかな?


カネは曲(カネ)を意味し、曲っている川や丘を表しているそうです。

河川の決壊や氾濫が起こり易い場所だと言うサイトもありました。

確かに、川ががっている付近にある高台()とも言える。

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毎度お世話になっている今昔マップさん(https://ktgis.net/kjmapw/)より


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横穴墓のある崖を横から撮影しました。中腹に突然穴が開いています。
この通路の標高が16m、この崖の頂上が30m。お墓の造成があるので不明ですが、縄文海進による海成段丘か、鶴見川による河成段丘でしょうか?

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かなり脆そうな性質の岩(凝灰岩?)に見えます。
ここが寺だったので保存されましたが、中世から開発が始まっていた地域では横穴墓やその遺物が残るのは難しいかもしれません。

他にも...
グーグルマップの新羽杉山神社のコメントの中に、神社の後ろの崖に、以前、横穴墓が複数あったとの書き込みがありました。興味深いです。

今まで結構遠くまで古墳を見に行ってきましたが、わりと近くに立派な横穴墓があって、ちょっとビックリです。灯台もと暗しでした。


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