マガジンのカバー画像

杉山神社大集合!

20
古墳巡りで出会った杉山神社。鶴見川水系を中心に40社ほどが存在する超ローカル神社。高台の上や崖の下や鬱蒼とした森の中にある鄙びた杉山神社たちをコレクション!
運営しているクリエイター

#早渕川

杉山神社・事始め

ハァ〜♪ 社務所もねぇ!御神籤もねぇ!賽銭箱も見たことねぇ! 丘の上、崖の下、森の中にしか建ってない! (吉幾三「オラ東京さいぐだぁ」のメロディで) そんな替え歌がピッタリな鶴見川水系にしか存在しない超ローカルでマイナーな杉山神社。古墳散策で出会った愛すべき神社をこのマガジンでまとめていきたいと思います。 杉山神社とは現在、主に鶴見川水系流域に49社もあり、他の地域には存在しない。 新編武蔵風土記稿(幕府が1810〜28年にかけて編纂した地誌)には、橘樹郡37社、都筑郡

さまよえる式内社? 大棚中川杉山神社

孟母もビックリ!大人の事情で4回もお引越し? 数ある杉山神社の中でも、式内社の有力候補と言われる大棚中川杉山神社。しかし、現在地に至るまで遷座を繰り返す数奇な運命をたどりました。 今回は、その変遷も含めて散策していきます。 そもそも…杉山社の式内社問題は長らく放置されていたのですが、江戸時代に入って急に取り沙汰されるようになります。その理由として、社会が成熟していくにつれ、村々が自らのアイデンティティを確立する「村おこし」的活動として取り組んだことが考えられます。熱心に活

勝田杉山神社

今回は、勝田杉山神社とその別当寺の最乗寺、さらに近くの豪農・関家住宅を巡ります。 勝田社は、延喜式内社の有力候補(論社)に挙げられたり挙げられていなかったりと微妙な立ち位置のようですが、杉山神社を詳しく紹介しているサイト(保土ヶ谷郷土史)では、大熊社と共に論社と記載されています。 大熊社論社説はあまり見ませんが、その立地は式内社に相応しい立派な場所でしたので、個人的には論社説大賛成。となると、勝田社にも期待がかかります。 勝田町の立地勝田町は、中原街道と早渕川の交わる交

新吉田杉山神社

鶴見川紀行上流編に進む前に、どうしても早渕川沿いの杉山神社をまとめなければなりません。上流域の歴史を語る際、杉山社の話は避けて通れないのです。 と言う事で、延喜式内社の有力論社の一つ、新吉田町の杉山神社を巡ります。 周辺地図(新吉田社が共有マップ上に表示されないので、森農園を表示。  拡大すると、そのすぐ上に神社が出てきます) 早渕川の中里橋(島忠ホームズ近くの橋)から、大棚98号線を台地の縁沿いに進みます。迷いながらもグーグルマップを頼りに自転車を漕いでいくと… 参

杉山神社の謎 早渕川遺跡紀行(5)

鶴見川に40社以上!杉山神社軍団大集合の訳は? 早渕川親水公園また、早渕川に戻ってスタート。 歴博通りの下をくぐると 早渕川親水公園が見えます。 その先はブルーライン・グリーンラインの高架。 着工時期が異なるためか二路線の高架が分かれ、中央の空間がセンター北駅と南駅をつなぐプロムナードになっています。この両商業地域を一体化する都市デザインが、地域を繁栄させた一因かも知れません。 (遺跡のことも少し考えてほしかったけど.…) 区役所通りに出ました。左に緑のモフモフが見