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他者への不快感は、自分の嫌な部分の鏡

私が1年半函館の「荘」で複数の他者と生活を共にして感じ取ったことの一つです。

早くみんながいる家に帰りたい。早くみんなと共有したい。一緒に頑張りたい。家族みたいな仲間。

と思う時もあれば、反面

なんでこうするの?なんでああしないの?なん?なんで物腰が気に入らないの?なんで居心地が悪いの?なんで?なんで?

と悪い方向に目が行きがちな わたし。

 その感じた負の感情を捨て去ろうとせず向き合ってみようと思えるようになってきた。少しずつ感じたことをゆっくり咀嚼して、鷹くらいの高さから客観視して、不快に感じたことを他者にしないようにしようという視点に変化が起こっている気がする。

 不快に思ったことが過去の自分と重なったり、今の自分と重なったり、私がその場で想いを伝えられなかったり。不快になる原因が分かっただけでも晴れやか。理解したから、少しづつ少しづつ行動・言動に起こしていきたいですね。これが出来たら人間関係を保つことがどれだけ楽しくなることやら!!とワクワク。どんな場所でもどんな環境でも生きていける気がする。

まとめると「素直」に生きようということになるなと。

私にとって素直とは、感じたことを無視せず、向き合うこと。
さらにちょっとその自分の様子を高い高さから覗いてあげられれば最高なんじゃないか。

最近ある映画で韓国料理屋のおばちゃんが言っていた「人は生きるのに忙しいんだよ。」と その通りだと思った。結局は自分自分になる、自分に忙しくなる。そこで一歩外から、忙しそうにしている自分・他人を覗いてみよう。何か一歩踏み出してみよう、言葉かけてみよう。それでいいんだよ。

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