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recommendな無邪気さを大事にしたい。

5年ほど前にブログを始めた頃、ちょびっとだけ学んだセールスライティング。

当時はたとえ読者の方々のためだとしても、
販売を促したり、気持ちを誘導するようなことはしたくないと思ってすぐにやめちゃったけど、最近になってセールスライティングの尊さやうつくしさを感じるようになってきた。

5年前と比べて、爆発的に情報を発信する人の数も増えて、手にすることができる情報の数も増えた。

けれど、その情報は多くの人を悩ませている。もちろんそうじゃない情報も沢山あるけれど、情報の多さ、多様性、出す側受け取る側の未熟さ…色んなものが相まって、人々は情報に翻弄されているように見える。


私がほんのちょびっと学んだセールスライティングでは、読んだ方に行動を促す重要性が書かれていた。読んだ後にどんな行動を取ってもらうための記事なのか。どんな行動を取りどんな感情になり、読む前と後ではどんな変化が起こるのか。

そういったことをしっかりと考えて、練って、記事を構成していく。なぜなら情報も知識も手にしただけでは意味をなさないから。

行動し体験し、何かを感じることによって始めて意味をなすものだから。だから、行動を促すことができるライティングスキルが重要なのだと。


学んでいた当時はまだYouTubeやInstagramよりもブログ収入がもてはやされていた時で、セールスライティングを学んでもすぐに、=稼ぐため、に勝手に変換してしまい、稼ぐための文章は書けない…なんて思ってしまっていた。

誰でも情報を発信できて、情報で溢れ返るようになった今、情報は人々の行動を止め、人々から体験を奪う可能性も秘めていたのだと知って、改めてセールスライティングという…〝書く側の技術や心構え〟の必要性を感じた。

あれは、あれの本質は、=稼ぐため、じゃなかった。読み手のためだったんだ。情報を手にした後に行動し体験し何を感じたのか?この、〝感じる〟が重要だったんだなぁと。


私は表現活動をしているけれど情報のようなものを書いていることもあるし、表現として書いているものでも、情報と重なってくるものもきっとある。特にこういった文章での表現は受け取り手によって、表現にも情報にもなりうる。

つまり表現という側面も情報という側面も持っているということ。

表現は見た人に直接的に何かを感じさせるものだろう。情報はそこからその人の実体験を通して何かを感じさせるものだろう。それはつまり、けっきょく同じ場所に行き着くのではないだろうか。


…と、興奮して色々と考え始めたけれど、笑

改めて振り返ってみると、私の書く文章は実体験に基づく研究や日記のようなエッセイなんかが多い。

その時の気持ちって、「ねえねえ聞いて聞いて面白い発見してさ!」というrecommend(お勧め)の気持ちがかなり大きい。笑

行動を促せていたかはわからないけれど、「素敵だったから、面白かったから、よかったら是非やってみてー!試してみてー!因みにあなたならどう感じたー?」 の気持ちがけっこう大きい。だから参考にしたサイトや商品のリンクも貼るし、メンションもする。


もちろん、あーでもないこーでもない…という文章も多いけれど、5年前にちょびっとだけ学んだセールスライティングの欠片は私の中にあったのかもしれない。

これからも行動を大きく促すような書き方はしないだろうけど、自分が書くものが誰かの行動や体験を奪う可能性があるということは忘れないでいたい。

むしろ誰かにrecommendしたくて、体験をお裾分けしたくて書いているわけだから、そういう意味では自身のそういう無邪気さを大切にしてあげたいし、もう少し細やかな表現や気遣いを施してあげたいなぁと思う。





𝗂𝗋𝗈 𝖺𝗇𝖽 ∞ #紡ぐ日々

/ 𝟤𝟢𝟤𝟦𝟢𝟪𝟢𝟩


ことごと紡ぐ、






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