見出し画像

迷走 — エクステ開発 ②

「今日のランニング、13km走り終わったよ。あと8km走る予定」

2018年、見るからにMaruのトレーニングが過熱していくのが少し気になっていた。1日に合計21kmってハーフマラソンですか。身体は大丈夫なのか。

わずか3kmの軽いジョギングだけで膝をやられた私からすると、Maruがサイボーグか何かにしか見えなかった。

のちに聞くと、大丈夫じゃなかったのは、身体ではなくメンタルのほうだった。

サロンワークを終えて帰宅後、妻や2歳の娘と過ごす時間が、ギリギリのMaruを支えていた。


+++


TUMUGU完全自社開発のボリュームアップエクステ。

商品化後もずっと、Maru、コンノ、マネージャーの3人で、ああでもないこうでもないと打ち合わせを続けていた。

いつからだったか、計7セット面がオープンに横並びになっていた面貸しサロン内で、Maruの1~2面のスペースにだけ、仕切りのカーテンを設営した。

撮影や打ち合わせのときだけそのカーテンを引いて、半個室の空間を作るようにしていたのだ。



まず何より、TUMUGUでのエクステ施術をなるべくリーズナブルなものにしたかった。

ボリュームアップエクステは、ただでさえ他では見ない珍しいメニュー。サロンとしての差別化にはつながるが、高い施術料金では、お客様の心理的なハードルがさらに上がってしまう。

料金は限界まで下げると決めていた。そのために、当然だがエクステを自社に仕入れるコストも下げなければならない。

図解入りの英語の仕様書をデザインソフトで作成し、エクステを作れる海外業者の工場にも掛け合った。

直接やりとりをしながら、何度も何度もサンプルを上げてもらった。

また、エクステ自体の品質にもまだ改善の余地がある。

地毛を通すための輪っか部分 (ループ)が、施術後にゆるんでしまうことがあった。着けたエクステが、毎日のシャンプー・リンス程度で自然に取れてしまっては問題になる。

コンノが品質管理の中心となり、ループをほどいてみたり、結び方を変えたりして、しっかり固定される施術方法を模索。新たな製法に行き着いた。

色味は、エクステファイバーのサンプルを実際に取り寄せ、着けてみる。その数、50色以上。画像だけでは、それらの微細な色の違いを見定めることはできない。

多くの方がご存知のように、「ダークブラウン」は1色ではない。赤み、黄み、青み、緑みのそれぞれのブラウン、グレイッシュなブラウンや、透明感のあるブラウン…さまざまなバリエーションのなか、最も使い勝手の良い数色を選び出す。

どこよりも良いものを提供したい。その一心だった。



並行して、ブログ発信も始める必要があった。

TUMUGUとは何なのか?何をしているのか?ボリュームアップエクステとは?どんなことができるのか?

キーワードは「可視化」。今やっていることを、誰にでも、目に見えて分かるようにしなければならない。

まずは記事本数を最低100本まで増やしていくことで、Googleからの評価を高め、ワード検索に強いサイトを目指す必要がある。

しかし。ライターを雇おうにも、ウェブサイト構築で予算を使い切っていた。Maruが記事を書くしかない。

毎日3か月以上の期間、文章など書いたことのないMaruが、実際に100本以上の記事をノンストップで書き続けた。



Webサイトができ、ブログを書き始めたら、それを広告していく。Facebook広告、Google広告に始まり、さらにはYouTube広告、インスタ広告まで、片っ端から試した。

画像を撮っては投稿、数字の動きを検証し、内容を微調整してまた投稿。

「Webサイト、見られてる!ニッチな市場だけど、ニーズは間違いなくあるね」

TUMUGUが得る利益は度外視で、エクステ技術が世の中に広まることだけを願って、やるべき作業をせっせと繰り返す。

今では当たり前になっている「まつエク」だって、日本市場に出てきてから広く認知されるまでには、多くの年数を要した。

このボリュームアップエクステの技術を多くの美容師さんが知って、メジャーな技術になったら、全国で悩むお客様を救うかもしれない。

「年月がどれだけ掛かってもやってやる」

時間、お金、労力のすべてを投資し続けた。



こうして、長い2018年が終わる。

メンバーそれぞれが、たぶん1年間で3年分くらいの仕事量を、馬車馬のようにこなした。面貸しサロンのカーテンのなかは「精神と時の部屋」だった。


+++


しかし、2019年。

長い間の努力もむなしく、いつになっても目に見える成果は現れてこない。各メンバーとも疲弊の色は隠せなかった。

「これだけやっても、まだダメか」

WebサイトやSNSを見てご来店してくださるお客様は、わずか少数。

エクステ施術後の仕上がりを見て、涙を流して喜んでくれたお客様もいた。10代のモデルさんや、20代の女性から、50代〜60代の経営者さんまで、幅広い年齢層のお客様にご来店いただいた。

手応えは確かにあった。なのに、広まらない。

改善を重ねて、良いものを提供している自負があった。

何が悪いのかわからない。息継ぎできず水中でもがいているような苦しさ。

ニーズの有無がはっきりしない事業をやるのは、これほどしんどいものなのか。開始当初に事業への期待が大きく膨らんでいただけに、その反動も大きかった。

苦しい毎日のなかにあっても、十分に確信が持てるだけの成果が出ていたり、「ここまでやれば良い」というゴールラインがあれば、そこまで走り切ることもできるかもしれない。

でも、このエクステは?いつまで続けていく?

各メンバーとも、心が折れそうになっていた。

「エクステは、無理かもしれない」



いつしか、独立当初から重くのしかかっていた金回りの不安が限界に達したMaruのなかで、以前までの「お客様ファースト」のポリシーが雲のように消え、「儲けを出さなければならない」という強迫観念が頭をもたげてくる。

「エクステ技術をヘアサロン様へ販売し、エクステのできるサロンをフランチャイズ化したら良いのではないか?」

いま振り返れば、話が飛躍していたのは明白だった。

TUMUGUでお客様が集まっていない技術を、どうしてヘアサロン様へ提供しようというのか。

チームの全員が、わらにもすがりたい気持ちだった。「これならまだ可能性がある」と思ってしまった。方向性がぶれていることに、すぐには気付けなかった。

「なんでも『置きに行く』人間に、魅力ってあるのかな。『こいつ頭おかしい』と思われるくらいが、きっとちょうど良いんだよ」

TUMUGUのフランチャイズ化。壮大な夢と数字の魔に魅入られたように、Maruは多額の費用を支払ってコンサルタントを雇い、ビジネスを追いかけ始めた。

その方からも、ビジネスコンサルティングとしては、至極まっとうな意見をいただいていたのだと思う。

しかし、美容業界は初めて受け持つというコンサルタントが、数少ない回数のミーティングのなかで、しかも業界内でひときわ目新しいボリュームアップエクステ事業を成功に導くというのは、どうしても無理があった。



「いや、フランチャイズ化の前に。いま流行している、フリーランス美容師を集めた面貸しサロンでの新店舗の出店なら、アリなんじゃない?」

また別のアイデアとして、Maruの知る美容師メンバーで新規出店をしてはどうか?という話も持ち上がった。

フリーランス美容師や面貸しというスタイルが多く増えた時流に乗る、という施策だった。

Maruが独立後に所属したヘアサロンに近しいイメージで、セット面5席、スタイリスト5~6人、シャンプー台2~3個、アシスタント2~3名の小型面貸しサロン。

「これからは大型店ではなく、小型~中型面貸しサロンの時代だよ」

Maruはコンノやマユリを始め、その他の美容師にも声を掛け、飲んで話して計画を推進した。

しかし、ほどなくして、目星をつけてあった経堂駅の優良物件が流れてしまい、この話も頓挫してしまった。今思うと、「そっちじゃないぞ」という神様からのお告げだったのかもしれない。

明らかに迷走していた。


+++


2019年の夏。エクステを動かし始めてから、およそ2年が経つという時期になっても、興味を持って施術に来てくださるお客様は増えてこなかった。

見つけていただいたお客様には、心から、感謝の念しかなかった。また、そのようなお客様への施術後の反応は、いつだって喜ばしいものだった。

にもかかわらず、純粋に伸びが見られない。あまりにも八方ふさがりなムードに包まれていた。

ある日、身を粉にしてチームを支えてきたコンノから、とどめを刺すかのような一言が投げかけられる。

「すいません。俺もうTUMUGUを抜けようと思います」

Maruも、事務処理などでエクステ事業を支えてきたMaruの妻も、マネージャーの私も、おそらくコンノ本人も。全員が打ちひしがれたような気持ちだった。

「終わりか」

絶望的に動きが無い。小さな波紋すら起きない、濁った水たまりのような重すぎる空間。

長いようで短かった2年間。ついにチーム解体、プロジェクト解散か。



そんなタイミングでの、唐突の出来事。

エクステに興味を持った女性スタイリスト兼アイリストが、個人的にMaruへ連絡してきた。

のちにTUMUGUに加わることとなる、KiRiKoだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?