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光明 — 美容師 Maru ④

「2016年の独立から2017年にかけての間は、常に将来への不安がつきまとってたよ」

Maruは当時をそう振り返る。「お金を作らねばならない」という強迫観念に囚われて、ほとんどノイローゼに近い状態だったらしい。

少なくとも、はた目にはそう映ってはいなかった。ただ、思い返してみると、Maruの視野が「美容業以外」に向いていた気もする。

突然、株を勉強し始めた時期があった。いっときは、整体サロンの店舗開業にも興味を持った。生命保険を組み替えてみたり、あるときにはアルバイトに手を出そうとしていたことも。

周囲には「美容業にこだわらない・とらわれない柔軟さ」のようにもあるいは見えていたかもしれない。しかし現実には、これらの多くは本業の美容と関係の薄い、Maruにとっていわば「専門外」の分野。

そもそもが苦し紛れであったため、継続していく価値が見出せず頓挫してしまう場合も少なくなかった。

答えはどこにも落ちていない。試行錯誤するしかなかった。



そして、ボリュームアップエクステにたどり着く。「美容業」に戻ってきた。

それが結果的に、以後のMaruの美容を作っていく一筋の光明となった。



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「ちゃんとストレッチとか筋トレした?してから走った?走るのは、筋肉あっためてからだよ」

2018年の1月。Maruの独立から1年半ほどが経過していた。大手サロン時代から独立前後にかけて酒量が増えたMaruは、自己管理のための運動を続けていた。

大手サロン時代に、マネージャーとして新店舗の出店を何度も経験していたMaruでも、自身の独立はストレスとの戦いだった。

そのストレスを振りほどくために煙草・お酒を消費する。それを相殺するための運動。

運動するのも、半分は純粋に身体づくりのためだったが、もう半分は、運動によりあふれ出るアドレナリンで過剰なストレスにフタをするためだった。

周囲には、それまでと変わらずMr.ストイックなMaruにしか映らない。

美容、そして英語に加え、株や他のビジネス分野まで学びながら、自己管理も欠かさないとは。冗談とドMは休み休みお願いしたい。

そう思いながらも、一心不乱に自分を追い込む40代の先輩の後ろ姿に触発され、30代も折り返しに差し掛かっていた私は、重い腰を上げて苦手なジョギングをスタート。

長年のあいだ運動なんかしてなかったのに、いきなりアスファルトの路上をガンガン走ってみたら、さっそくヒザを痛めた。

学生時代に運動部だった人ほど、このくらいは走れるだろうと自分の体力を過信して痛めるらしい。Dr.ストレッチにでも通います。

「え、ヒザにきた?筋肉量が足りないよ、筋肉増やしましょう!良いね、失敗が勉強だから!」

熱量が松岡修造。英語指導とは立場が逆転し、今度は私がアドバイスをもらうようになった。

必然的に、互いのやりとりは日々増えていった。



長いこと、月に数回のペースでMaruは自ら飲み会を主宰し、お客様や周囲の方々と広くコミュニケーションを図っていた。頻繁に参加させてもらっていたが、同世代の方々も多く、非常に学びの大きい、価値の高い場だった。

Maru自身も、何かを変えたい思いで、周りの人々への情報共有と合わせて、少しでも情報を集め、学び取ろうとしていたのだろうか。

ある冬の日の新橋での集まり。引き戸を開けると、木造の古い内装に熱気がこもっていて、入店した途端に上着が邪魔になる。手狭だが味は抜群に良い、高レビューを誇る串焼き屋さん。

参加者は、その日は8人くらいだっただろうか。人数に対して席数が明らかに足りてない気がしたが、まぁ新橋だしそんなものだ。とりあえず壁際の席にギュッと詰めて座る。

「よろしくお願いします」「はじめましてー」ひとしきり挨拶をしたところ、その日はMaruの大手サロン時代の後輩美容師さんたちが参加していた。

「よっしゃーと呼ばれてるんですけど、名前はコンノって言います。こっちはマユリ。みんなヒメコって呼んでますね」

うん。あだ名の付き方が斜め上過ぎて、突っ込むかどうかためらう。大手サロン時代のニックネームらしい。なんかいろいろありそうなので突っ込むのやめとこう。

これが、のちにTUMUGUグループのメンバーとなる、コンノとマユリとの出会いだった。2人とも当時すでに大手サロンを卒業し、独立してフリーランスの美容師として生計を立てていた。

楽しい時間だった。飲み過ぎたこと以外、その日の内容はあまり覚えていない。

いまTUMUGUの仕事で2人と関わらせてもらっていて、つねづね感じる。人生は、目の前の数年先だって、どうなるか分からない。



そして、たしか2018年の1月頃だったように記憶している。

昼間にMaruから唐突に電話が掛かってくる。基本的に唐突なのでもはや慣れたものだ。

作業していたカフェの外に出ると日差しが強く、時期にしては春らしい陽気だった。

「エクステって知ってる?」
「あー、知ってますよ。あの、なんていうんですか、こう後ろに着けて髪を伸ばすやつですよね?女の子が着けてる」
「ちがうちがう、伸ばすやつじゃなくて。髪の毛を増やせるやつ」
「そんなのあるんですか?」
「あるよ。もうちょっと調べてみる」

ボリュームアップエクステが、ずっと頭のなかにあった「お客様ファースト」を実現できるツールになるかもしれない。

電話口のMaruが、普段よりもどこか確信めいているのが感じ取れた。



Maruは美容師としてのキャリアのなかで、ヘアボリュームの小さいお客様への接客がずっと気掛かりだった。

年を追うごとに、美容の技術は進歩していく。カラーなどの商品の品質だって年々高まっている。ヘアボリュームが十分あるのなら、できることは多い。でも、十分でなければ?

どうしてもご提案できることが限られてしまう。でも、どんな美容師だってそれは同じ。「そういうもの」なのだから。そんなふうに自分に言い聞かせ続けた。

悩まれているお客様は、決して少なくない。たとえ悩んでいても言い出せない方だって多いだろう。とくに女性にとって、ときにこうした悩みは深刻なものにもなる。

そうしたお客様に出会うたび、大手サロン時代のとある1日が、トラウマのようにいつも脳裏をよぎっていた。

「最近、トップ部分の髪が立ち上がらなくて。スタイリングに時間が掛かるの。地肌も見えちゃうし…」

お客様からこんな言葉をもらったMaruは、とっさに、無意識に、ほぼ自動的に言ってしまった。

「そんなことないですよ!」

瞬時に、ハッとした。そう言うことしかできない。他にできることが無い。どうしようもない。

悩んでいるお客様を目の前にして、そのお悩みに正面から向き合うことなく、ごまかして、うやむやにして、その場を取り繕ってしまった。

自分が情けなかった。美容師として、このままで良いのだろうか。悔しくてたまらなかった。



その出来事をきっかけとして、頭皮学に興味をもった。ヘッドスパを学び、ライセンスも取得した。

学べば学ぶほど、「健康な頭皮」だけでは根本的なヘアスタイルの改善にはつながらないことも分かった。

「何かできることは無いか?」

長年にわたって模索を続けてきたからこそ、エクステを知った瞬間、これが自分の探し求めていたひとつの答えなのかもしれない、と胸に突き刺さった。

ボリュームアップエクステを、一般の美容院で、カラーやパーマに近い感覚で、同じくらいの料金で、気軽に施術できたら?

多くの困っているお客様に、もっと喜んでもらえるのではないか?



それから、Maruはエクステ施術のセミナーを行なっている既存の業者を片っ端からリストアップし、どんどん受講していった。

2018年2月には、ここだと決めた業者の講習に、ローンを組んで約100万円を支払い、道具一式を購入。コンノに声をかけ、2人で何ヶ月もトレーニングを重ねて、エクステ技術を習得するに至る。

私もモニターとして駆り出され、実際に施術してもらったりしながら理解を深めていた。あまりにも違和感が無く驚いた。

また、女性モデルとしてマユリもエクステ施術を受けたが、気になる部位にピンポイントで施術できることに感動。

性別・年齢を問わず、受け入れられる可能性がある。これはいけるかもしれない。全員が、エクステに将来性を感じていた。

目と耳と頭を総動員し、可能な限りの情報を仕入れながら検討を続けてきたMaruには、これまで接してきたお客様の声が、この道を行けと導いてくれている感覚があった。



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そしてMaruの頭のなかに、エクステをもう1段階さらに進化させる、あるアイデアが生まれる。

ボリュームアップエクステの「完全独自開発」だった。

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