世界は仮想、でも現実であること

自分は目が悪いです
老眼であるということも有るけれど、20代の頃から白内障で、両目はすでに眼内レンズを入れているし、何なら一度ずつレンズを取り換えてもいて、網膜剥離もやってて眼圧も高い
とりあえず、普段の生活には支障のない視力はあるのですが、今週はモノモライまで出来て片目が開かなかったりもして、モノが見えにくいなあということで前に考えていたことを思い出したので書いておこうと思います

と言っても、話は単純で、誰もが目や耳を通した情報を脳で処理して現実と認識している、ってこと
つまり現実は脳が生み出した仮想なんだ、ということなのです
そんなのあたりまえだという人も多いのかもしれないけど、自分は目が悪くなって手術をすることになってそれを改めて考えましたね

何を言っているか分からないという人のために詳しく説明すると、
例えば何かを、例えば林檎を見る時には、目で見ますよね
この目で見るという現象は、順序だてて考えると、林檎から放たれた光が結膜や水晶体を通って目の奥の網膜に当たり網膜にある一つ一つの細胞が光による刺激をそれぞれの信号に変えて、その数多くの信号を情報として視神経を通して脳に伝えるということです
そして脳はその情報を処理して林檎だと判断しているわけです

でもよく考えてみると、脳が林檎だと判断するのに必要なのは最後の一文で充分です。別に現実に林檎が無くたって伝わってくる情報が有れば脳は林檎だと判断する。これは聴覚も触覚も味覚も嗅覚も、もしあったとして第六感も、原理的には同じです

自分がこんなことを考えたのは、目の手術をして物の見え方が劇的に変わったときでした
目の中のレンズを変えるのですから見え方は変わります。眼内レンズを入れるとピントの調節ができなくなりますから、或る距離以外のモノはぼやけて見えるんですよね
それでもしばらくたつと、遠くのモノも近くのモノもだいたい何が有るか分かる様になってきました。見えている絵はぼやけているはずなのにくっきり認識しているように思います
ただし頭が疲れる感覚は非常に大きくなりました。たぶん脳内で情報を処理してくっきりした映像に変えているのだと思います
これって現実ではない映像を脳が見せていることですよね

VRゴーグルなどを身に着けたことがあって、そのまま外が見えるパススルーの機能を使ったことがある方は実感するかもしれません
ゴーグルが見せている映像は現実を映したものではありますが、カメラを通した映像で機械が処理した映像です
車のバックミラーやリアカメラだって同様で、何かを通した映像なわけなのですが、元々体に付いている目から見る映像も本質的には同じモノなのです

と言ったことに目の手術をして気が付いたという話なのですが、うまり今感じてるモノ全てが実は脳が生み出した感覚に過ぎない、つまり仮想に過ぎない、ということは忘れてはいけないことだと改めて思います
それぞれが感じる世界はそれぞれの仮想ですし、普段意識していないさまざまなバイアスや錯覚の上に認識があることも忘れはいけないことです

こういう考えの上で、シミュレーション仮説や世界5分前仮説、クオリアの実在、我思うゆえに我ありといった言葉、何かを考えると面白いんだろうな
そこら辺を簡単に、でも、偏り少なく分かる資料とかないかな
小説だけど、昔読んだクラインの壺は面白かったなあ

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