舞台でも映画でも、『パラサイト』を観ると子供の頃を思い出して切なくなる

今日は妻と二人で大阪の新歌舞伎座へ舞台『パラサイト』を観に行ってきた。

自宅で読売新聞を購読してるのだけど、その「読売ファミリー」ってので舞台チケットの抽選販売ってのをやってたので、応募したら当たったので、行ってきた。

普通に販売するので、特に安いわけじゃないのだけど、1階席で観られたのは良かった。

にしてもキャストが豪華だよね。古田新太、江口のりこ、キムラ緑子、この3人だけでもう観たくなっちゃうよね。個人的には宮沢氷魚や伊藤沙莉よりもこの3人の方に惹かれる。

で、観てきた感想なんだけど、期待に違わず面白かった。もちろんベースとなった映画の方もNetflixで観ているので、その流れに概ね沿った形で展開されていくのは、先が見える点もあったけど、あそこをどう表現するんだろう、みたいな楽しみもあり、良かった。特に地下室のところをどう再現するのか、気になってたのだけど、これもいい再現だったと思う。

映画の方では大雨の日に家に逃げ帰ってたけど、舞台の方では阪神淡路大震災にしたんやなぁ。大雨で堤防が決壊するとかそういう展開かな、と思ったのだけど、そうじゃなかったか。でもその変更は、それはそれで良かったと思う。

僕は阪神淡路大震災当時は地元にいたので、関西にはいなかった。なので、当時の現地のことは分からない。舞台の中で言及していた、「高台の高級住宅街は被害がなかった」「高台の方は特に変わらず日常生活を送っていた」みたいなのが事実なのかどうかの判断もできない。ここで言う高台とかって、芦屋の方だよね、多分。

なので、この辺はちょっと調べてみたいなぁ、と思った。もちろん平野部の方が被害は大きかったんだろうけど、高台も被害が殆どない、なんてことはないんじゃないかと思うんだよね。地震のことに気づいていなかったかのような描写やったけど、ホンマにそんなことある?って感じだし。

で、だ。映画を観た時も思ったのだけど、今回の舞台でも改めて思った。

この話は、僕の子供時代の事を思い出させて、心がしんどくなる。

僕の子供時代はホンマに貧乏やって、一歩間違ったらその境遇にずっと甘んじてたかもしれない。向上心も特になく、なんとなく中学出て高校出て、で就職して、ってやってたと思う。
あんなふうにパラサイトできる金持ちは近くにいなかったけど、底辺みたいな家に住み続けて、そこでクソみたいな人生を送ってたかもしれん。そして、この歳になってもカネに困って闇バイトに手を出すとか、そういうことをしてたかもしれないし、もっと若い頃に悪いことしてた可能性は十分にある。

そこから抜け出せたのは母親の力と運が良かったことの2つの要素があったからなんだけど、それはさておいて。

あの家族の底辺の生活を見てると、ホンマに僕の子供の頃を思い出す。金がなかったこと、母親がダブルワークしてたこと、同じ小学校の人間に泥棒に入られたこと、ホンマにクソみたいな環境やった。その事を思い出させて、切なくなる。観るのがしんどくなってくる。

映画はだから、あの大雨の日に抜け出したところでしばらくその先を観られなかったのだけど、舞台はそういうわけにはいかんからね。ちゃんと最後まで観た。

だからと言ってこの作品が悪いわけじゃない。僕が単に無駄に感情移入しすぎているだけ。逆に、他の人達は阪神淡路大震災のところで感情移入してたかもしれないけど。

そんなね、昔の辛かった時代のこと、そしてあの時代には絶対に戻りたくないという気持ち、我が子にはあのような体験は捺せたくないという思いを思い出させてくれる、それが僕にとっての『パラサイト』って作品なんです。

だから何回も観たいとは思わないけど、でも忘れることはない作品だと思う。

舞台で観るのはまた全然雰囲気が違って、とても面白かった。こういう生の演技を観られるのは、舞台のいいところだよね。また違う舞台も観に行きたい。

何観るか特に決めてないけど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?