「夢みる頃をすぎても」吉田秋生

2023年6月に少女まんが館へ行ったときに読んだ漫画の感想!



🌷「夢みる頃をすぎても」吉田秋生

書誌情報:吉田秋生「夢みる頃をすぎても」(1983、プチフラワービッグコミックス、小学館)
収録作品:「楽園のこちらがわ」「楽園のまん中で」「はるかな天使たちの群れ パート1」「はるかな天使たちの群れ パート2」「夢みる頃をすぎても」


中学生くらいのころ、「夢みる頃をすぎても」の小学館文庫を買おうかどうしようか本屋さんで何度も迷ってたな~~こういう話だったんだ…
なんかでも小学館文庫とは収録作品が違うっぽいです!



「楽園のこちらがわ」

最初の「楽園のこちらがわ」は体調悪化により進学校から偏差値の低い高校へ不本意な編入をすることになってくさくさしている基(もとい)くん視点のお話。新しい学校になじめないのは仕方ないけど、家族から腫物扱いされてるのがちょっとかわいそう。。

黄菜子(きなこ)ちゃんは編入先の高校で出会う、頭よさそうで群れてなくてクールな女の子。「楽園のこちらがわ」ではそんなに前に出てくるキャラじゃなかったんですが、そのあとの作品を読んでいくといつの間にか主人公格の登場人物になっています。

作中でカミュ「異邦人」のあの太陽の下を歩く時にはコツがいるんですよみたいなセリフ(便利なのでリンク貼ってみたけどこのサイト誰が何のためにやってるんだろう…)が引かれてる。吉田秋生は文学作品を漫画に取り入れることが多いわりに、あまりそのイメージが強くないと思います。絵もストーリーも一流で、それがすでに強烈な個性になっていますもんね…
私は「カリフォルニア物語」が十代の頃まったく読めなかったので読んでないんですけど、よく考えたらこういう、文学の世界でロマン(長篇とか)と呼ばれるような主題の物語を最初期に描くってなんて驚異的…
一方で吉田秋生は私のなかではハナコ月記のハナコさんみたいな朗らかな人というイメージもあるんですよね。吉田秋生さんはどんな人なのだろう…

この作品集はほんとうに何でもないふつうの子たちの味わい深い青春もの。
まずは「楽園のこちらがわ」での黄菜子ちゃんの凛々しいひと言を載せておきます。

あたしガリ勉ってちっとも悪いことじゃないと思うわ
大切なのは<自分で選ぶ>ことよ

※<>内は傍点 42ページ

そうだよね。。

基くんの、ガリ勉の何が悪いんだよとくさくさしてる感じがとてもいいんですけど、恭一や操(みさお)くんみたいなガヤが投げかけるセリフもやたら文学的です。「象徴なんだよ」(p33)とか「おまえたちは思い出したくないことを思い出させるんだよ 「現実」ってやつをさ!」(p34)とか、、、、十代の頃の、若くて頭でっかちな気分を思い出します…!

(別冊少女コミック 1977年12月号に掲載)



「楽園のまん中で」

つづく「楽園のまん中で」ではみんなの入試~合格発表が描かれています。
模試の判定がコンピューターで出るんだそうです。そっかーー

大学入試のエピソードの合間に黄菜子ちゃんの、小学生の頃の、あんまり仲良くなかったけど一度だけ遊んだ女の子の友達についての話がはさまれます。

小学生のときは彼女の手を握り返せなかった、
中学生のときはなぜ自分が選ばれたのかわからなかった、
でも今は違う
…と黄菜子ちゃんは言います。

うーん、小学生のときの人間関係って独特な形で保たれることがありますよね。あと小学生って思索しないんで、当時いだいた感情も、本人にも周りにも説明がつかない不思議なものもあったりして、その意図を考えられる大人になってからの方がかえって重みを増したりすることありますよねー

「ぼくらの人生の中でも最良の夜明け」(p75)という言葉が出てくるんですが、私も最も美しくて、ただ楽しいという気持ちしかなかった思い出は高校時代のいくつかの思い出だったりします!思い出すだけで幸せな気持ちになれるのは、ちょっとうれしいですね。

私、青春時代や高校生活賛歌みたいな話が好きじゃないんですけど、吉田秋生ってほんとにカメラを回しているかのように時間を描き出しますね。。

私が子供の頃に読んでた青春少女漫画って、「焦り」があるから嫌でした。楽しまなきゃ!謳歌しなきゃ!みたいな強迫観念っていうか、矢沢あいの「天ない」とかもそういう心理を刺激するものだったし、夢や憧れを売るのが少女漫画だけど、それを受けて青春のコンテクストがそれしか無くなるなんてつまらないと思ってた(少女漫画をつまみよみしておいて少女漫画の理念を否定してるようですみませんけど)。
自分がどういう人間で、自分の周りに集まってくれる友人たちはどういうタイプの人間でっていうのが分かってくる時期であり、それは因果関係があってそうなるものだし、そうやって自分が漂着した境遇を受け入れていく時間が、大人になるまでに経る青春の時間なんじゃないかなあ。
大島渚の、青春というのは自分の不可能性を見つけていく時期 っていう言葉が私はとっても好きなんですよね、出典調べてないので載せられなくて申し訳ないけど…
周りを見ながらいろんなことをひとつひとつ諦めていく、そうやって自分に残された特性を見出していく、そんな感じの意図の言葉だったと思います。

(別冊少女コミック 1979年5月号に掲載)



「はるかな天使たちの群れ パート1」

この作品から先は女子大生になった黄菜子ちゃんとその女友達たちとの交流を描く話。

もしかして黄菜子ちゃんと恭一って、「河よりも長くゆるやかに」でトシとみどりが道端ですれ違う大学生カップルですか?!「河よりも…」が手元にないので確認できないんですけど… あーでも違ったら恥ずかしい…


女子大生パート、、なんかほんと、、めっちゃいい話なんだけど、自分の読解力ではとらえようのないものが描かれている…。

今日子っていう黄菜子の友人がねー…私にとっては強烈だったなーーー今日子の気持ちってなんだと思いますか?

恭一が今日子の前では素直に黄菜子ちゃんのことが好きって伝えられるのも、恭一が黄菜子の前で「あの人はいい人だ」って今日子を褒めるのも、なんかわかるんだけど、今日子自身のことがやっぱりわからない…

今日子のかっこいいお言葉

あたし自分を愛するのと
おなじように彼女を愛してる

112ページ

私は百合とかGLとかシスターフッドとか…あんまり詳しくないですけど自分がわかる範囲で知ってる関係性や言葉は、違うと思う………当てはまらないと思うー たぶん。

今日子さんの思いって、欲とは別の次元なの。
存在の話だと私は思う。
もういっこのセリフはもっと分かりやすく書かれてるんだけど、これも言葉以上のものを自分は感じる。

彼女が好きよ
黄菜子はわたしの理想なの
わたしがいつも”こうありたい”と思っていた女の子そのものなの

111ページ

でもそれが何かは難しい。。


今日子さんのことばかり書いてしまったけど、この話は、女性が主体的に恋愛できる時代になったような気がするけど実態ははたして本当にそうなのか?と悶々とするようなところのある話で、読んでて複雑な気持ちになりました。

(別冊少女コミック 1980年3月号に掲載)



「はるかな天使たちの群れ パート2」

読みながらつけたメモに「サッフォー」と書かれている…。作中でサッフォーに言及があったのかも。。なるほどーーさすがすぎる……

黄菜子と恭一のカップルを見守る、今日子と基の視点で描かれたお話だったと思います。

今日子って恭一のことが好きなのかな?って最後の方で思いました。

あんまり細かいところ覚えてないけど、基の『どうしたら自分の哀しみをそんなやさしさに変えられるのだろう』という投げかけに対して今日子は『やさしさではなくて気が弱いのかも、打算かも』といった内容の返しをするんだったと思うんですけど、、私も今日子の見方に賛成で、やたらやさしさやさしさって言う人って自分の弱さを正当化したい気持ちがあるんだと思う。

(別冊少女コミック 1980年4月号に掲載)



「夢みる頃をすぎても」

これは同窓会の話。
友だちの同窓会に紛れ込む話なんですけど、こんな出入り自由な感じ、いいなー

今日子と黄菜子と、新しく空子(うつこ)という友人が登場して、3人で空子の同窓会に紛れ込む。うつこってすごい名前。ほんとは存在しないのかなあ…← そして今日子は女子校出身なのか…

黄菜子ちゃんが中学生のころ気になっていた人と再会して会話して、いろいろ物思いするというふうに展開します。

ある日偶然見た彼の風景画は――
昔 わたしが好きだった
絵はがきのように明るい色をしていた

182ページ

黄菜子ちゃんは『その人自身のことを自分は何も知らなかった…』と後から気づいたり考えたりするんですけど、当人にまったく関係ないような幻想性によって人に惹きつけられるのって、また文学的ですよね。自分を投影してるに過ぎなかったりしますが。

この話、たしか最後3人で逆ナン誘発する感じで終わってたと思うけど、この感じすごい楽しいね!

冒頭の会話にでてきた「国鉄がサーフ・ボードの持ち込みを許可」の話題に、えっ👀って思いました。

この話でも今日子はなかなか…
当時は今日子みたいな子を主人公に据えることができなかったんだろうな~

つきあうのはいいんだけど
なぜか相手がビビっちゃってだめになるのよ

188ページ

…の解決策が2023年の現在なら見つかっているんじゃないでしょうか。見つかっているはず。みんなで漫画を読んで、今日子に伝えよう。(?)


この作品だけ初出メモし忘れちゃった。。。

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