「顔だけじゃ好きになりません」1巻 安斎かりん

新しい少女漫画を読みたいなーと思い、なにか一つ選んで読んでみることにしました!


🌷「顔だけじゃ好きになりません」1巻 安斎かりん

書誌情報:安斎かりん「顔だけじゃ好きになりません」1巻(2020、花とゆめコミックス、白泉社、電子版)
収録作品:vol.1、vol.2、vol.3、vol.4、vol.5、extra、電子限定おまけマンガ


なぜ読もうと思ったかというと、数か月前、電車の車内広告で見かけたからです!
連載漫画の段階で車内広告になるなんて…かなり流行っているに違いない!とそのとき思いました。

でもこの漫画の広告を眺めていた時に、自分はふと考えました。

なぜイケメンを好きになるのだろう…

自分が試しに考えてみた答えは

この先なにか嫌なことがあったり不満に思うことがあったとしても、顔が担保になるからであろう・・・

という夢のない答えでした。
この少女漫画は、いったいどんなアンサーを用意しているのか。。。
たぶんイケメンがいいやつなんだろうなって思うんですけど、読んで確かめてみます!!

本編に入る前に へーそうなんだ👀と思ったのは、著者まえがきに

コミックス3作目になりますが、
1作目は(ほぼ)家族モノ、
2作目は(ほぼ)友情モノだったので、
やっとガッツリ恋愛モノを描いております。
p9

とあったことです。
本格恋愛ものはこの作品が初なのに、こんなに人気が出てすごいな〜と思いました。
3作目まで恋愛モノを描かなかったなんて、、1作目2作目も気になってしまいます。


vol.1

学校の公式インスタをイケメンの先輩と一緒に運営することになった1年生女子が主人公、というお話でした。
でも先輩はアプリ操作がまったく出来ない人で……

ふたりのやりとりの中でじーん…としたのはこちら↓

他にもコメントしてきた奴はいたんだ
昨日の夜
でも聞いても全員無視で
教えてくれたのは
あんただけだった

画面の向こうが
あんたでよかった
p55

この先輩は「わからないことを素直に聞いてみる」というアクションによって、きちんと関わり合える人に出会えたんだなー、、というところがよかったです。

なるほど、分かりました。テーマは仮想とリアルですね!(たぶん)
画面の向こうにばかり心をとらわれたり、刺激を求めてエンタメ化するのではなく、直接のやりとりや実体や実感に触れていこうよ!という話のようです。

ただ、ひとつ気になるのが・・・
生徒増加に寄与するほどの広報活動であれば、そのために生徒をタダ働きさせてはならないのでは・・・とか思ったり。。ちゃんと学校の利益を生む活動なんだし…
広報費を使ったり、生徒のアイデアに従って広報担当者がバックアップしてあげてほしいです。。(でもあとの方の話で先輩のスマホを学校が買い替えてあげてました。よかった!)


第1話で勢いがあったせいなのか、めちゃくちゃ新鮮だったのが、感情表現のスパスパ感(?)。。。
スパスパとは?って感じですが、、なんかこう、スパッ スパッ と感情の切替が速いというか……

SNS越しにしか見たことのなかったイケメンの先輩と直接遭遇したときの主人公の反応が太ゴシックで一言、「えぐいな」(p21)だったのには時代の変遷を感じました……(正確には「生 えぐいな」でした)
そのコマが先輩の顔正面ではなく後頭部なのもリアルでよかったです。


あと主人公にとって先輩は最初「推し」でしかないから、物怖じせず好きとか言えるんですよね。
第1話のラストシーンで「顔だけじゃ好きにならないから!!!」(p57)とモノローグで叫んで見事にタイトルを回収しているのですが、
この子はふつう(と彼女が考えている)の等身大の恋をするとき、人間性とか価値観で人を好きになることが当たり前だと思っているからこういう言葉が出てくるんだろうなあと思うと同時に、
うんでも…顔もめっちゃ好きだよね、、とも思わさせられる、まるで反語のようなフレーズなのもとても良いんですよね〜


『好きってなんだろう』とか『好きの種類』もこれまで少女漫画は描いてきたと思うけれど、
この主人公はこの先輩と直接関わる経験を通して、「推し」に対しての情熱とはまた違う、自分自身のなかの感情と向き合わざるを得なくなるんですよね。伝統的なんだけど先行きが気になる話だと思いました。。

なぜかというと、たぶん今までの少女漫画だったら『推しや憧れ的な好き→相手の人間性やリアルを知ったうえでの等身大の好き』という変容が一般的なコンテクストだったかもしれないけど、もはや『推し的な好きもひとつの愛情の在り方』という時代になってきている気がするから。。
だからこの漫画は主人公自身に湧き出でたオリジナルの感情を描きつつも、推し愛としての愛し方を捨てることはないと思う…!(という決めつけ…)
リアルな好きとガラスの向こう側への好きを両輪として描いていく感じを引き続き愉しみたいと思います。

とはいえ、「好きなんです!!」「顔が!!!」(p24)の場面や、接近すると「いい写真撮れましたねえ!!!」(p54)と誤魔化す場面など、こんなに自分の感情を「推し愛」で隠して蓋をしつづけたら、いつか病んでしまわないだろうか…と、いろいろとこじらせた大人たちを知っている身としては心配になってしまい、せっかく多感な時期なのだからのびのびと素直にいろんなことを心に感じさせてあげてほしい…と老婆心ながら思ってしまいました。


第1話だけでいろいろ書きすぎたので第2話以降は気になった場面に触れて、さくさくいこうと思います。。


vol.2

こ、これぞ「花とゆめ」だなあ……😭と思ったのはこの場面。


私が見たいので!!
p86

いろいろと言い訳や理由を見つけてああだこうだ取り繕っていた主人公が、ほんとうは『自分が』それをしたくてしていたんだ…!と己の願望に気づくパターンです。。
こういった主人公が己の願望と向き合う場面が自分にとって印象深く描かれていたのは「ディア マイン」(高尾滋)ですかね……
「ディア マイン」に限らず当時の連載陣の漫画の中にはこういった問題提起は登場人物の成長のために必ず組み込まれていたような気がします。
「ディア マイン」は咲十子のお母さんのセリフとかも好きでした。
高尾滋先生の漫画は大人になってから読むとプロットの組み立てがめちゃくちゃきれいだなーと思うんですよね…しかも少ないセリフと豊かな表情でそのプロットがどう流れていくかをきちんと制限範囲内で伝えるからほんとに『漫画』だなーーー!😆と思う。読者だった当時はそのすごさが分からなかったけど、今は匠だ!と思っています。絵も巧いし…

やっぱり王道のコンテクストってあるんですよね。
そしてそれをなぞるとやっぱりちょっとうれしくなるんですよね。
鬼滅のアニメの第一話の炭治郎のバトルシーンをみたときに、かつてHUNTER×HUNTERやBLEACHで自分の体内に織り込まれてきた週刊少年ジャンプのバトル時のコンテクスト(?)がぶわわーーーっと脳内に蘇り、「ああ、やっぱりジャンプの漫画ってこうなんだ!」とアドレナリンが噴出したのを思い出しました。


vol.3

…ん?
顔が良いと
かっこいいって
なにがちがう?(p95)
p95

なにが違うんだろう( ˘ω˘ )ウムー

土井垣くんという対抗キャラが登場しました。
あと髪をおろした主人公かわいいって自分も思いました( ˘ω˘ )フフ


vol.4

ーーー急に当てられた問題が解けるわけでも
友達が多いわけでも
特技があるわけでもない俺を見て
どう思った
p150

ごめん、
友達がいないのは良くないなーって
思っちゃいました…

漫画の内容をぜんぶ説明するのもなと思いスルーしていたのですが、実は奏人(かなと)先輩(今更だけどイケメン先輩の名前)は顔面偏差値だけが独り歩きして、知り合ったり会話したりする以前に他人から偏見をもたれてしまって友達がひとりもいないし、授業もさぼって退学寸前の、生きていこうという覇気のない、こじらせ男子なのです。

でもこれは、従来のダメ男像(ダメ男って言葉自体が『男として』ダメという旧来のジェンダー観に引きずられているよねと今は思う)というわけではなくて、性別に関係ないダメさを描いてるのかなーと思います。今回はたまたまイケメンキャラを通してこういった弱みを描いているけど、イケメンじゃなくても、女の子でも男の子でも抱える悩み。。
殻のなかにある自分の実態と周囲の視線との歪みだなあと思います。

…といっても、主人公も友達いなくない?(´・ω・) (この漫画、主人公の名前がほとんど呼ばれなくておもしろい…)
※説明を添えておくと、単位制の高校なのと同中の友人がいないのと入学したばかりの1年生という設定のためだと思われます


vol.5

びっくりするほど
話すこと浮かばない
というか私が
ここにいる意味って何?
p168

それって、、、いいの?と心配になった場面。。
第5話は奏人先輩と学校外で会うという、疑似デート回となっているのですが、、公式アカウントの中の人としての役目を今日はしなくていいと奏人先輩に言われ、主人公は奏人先輩の隣ですることがなくなってしまうのです。

よくよく思い返せば主人公はあくまでも奏人先輩を「推し」ていて、自分が先輩と関わっていられるのは自分が「中の人」だから、と逐一抑制をかけているのです。かつ、自分の本来の感情の「好き」と「推し」を混ぜこぜにしています。

「話すことがない」という障壁は、自分が知っている限りの少女漫画で描かれるパートナー間の障壁として「ラブ★コン」(中原アヤ)の『友達→恋人への移行の壁』を超えた気がします。。

結局この日主人公はどうするのか、、、というと
自分のために奏人先輩の写真を撮ります。
推し愛を自分自身の愛情のための行為として取り込むのです。なるほどー

とはいえ、いろいろと心配だなあ、、と感じたところで、
なんと奏人先輩がめちゃくちゃ示唆的なことを発言します――

いくら顔が好きでも
流されないで
仮に俺があんたを好きでも

あんたが心から望まなきゃ
ごほうびじゃない
p184

なるほど…!
意思を持てってことでしょうか!
この場面、いい場面でした。。たしかにな!とセリフが心にさくっと刺さりました。
奏人先輩は主人公の気持ちが追いつくまで待っててくれるってことですよね。なんかでも、その意図を主人公もこの短い言葉から分かったところも頭いいなあ…と思うんですけど。。。(自分が高校生だったらちんぷんかんぷんだったであろう)

なんていうか、このふたりは全然お互いのことを知らないんですよね。
第5話では奏人先輩は主人公の喜ばせ方がわからないと自己申告するし、主人公も奏人先輩の前では推し活しかできない。
ふたりとも相手の心情どころか、自分の気持ちに対しても手探りだし。
そういう二重のシェルターを超えてどういうふうに関係を育むのか気になります。。。


extraと電子版おまけ漫画もおもしろかったです!ぜひ読んでみてください!


まだ1巻しか読んでないけど、いろいろと新鮮だった…

奏人先輩という、ヒーローの立ち位置であるキャラクターの内面性も、思い切ってるなあ…!と思いました!
ヒーローがけっこう深刻にこじらせている、、というのが驚きでした。
あと触れるタイミング逃したのですが、今の時代のイケメンキャラって、美しさなんだな…!とかも思ったり。女性的な美形キャラって昔からあったけど、サブ的な立ち位置のほうが多かった気がする。
しかも奏人先輩は男性的でありながら美しいんですよね。


既刊6巻ですがまとめ買いしたのでこんな感じでちまちま読んでいこうと思います。

こういったキュン系の恋愛ものを自分はほとんど読まないのですが、例外的に「キスよりも早く」(田中メカ)だけはなぜか一気読みしたことがあります(しかも完結後何年も経ってから。。)。 たぶん「お迎えです。」が連載当時すごい好きで大人になってからも繰り返し読んでいて、次第に物足りなくなって何かどうしても類似のもの(おい。)を読みたくて読んだんだと思う。。。


ちなみにインスタには「美乃和総合高等学校」というアカウントが作られていて、ファンとの交流の場になっているようです。すごい!😆


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